上司を使う

「上司を使う」は、一見おかしな表現に思えます。通常の組織では、上司の命令によって部下が動きます。「上司が部下を使う」です。しかし、あなたが組織の中堅になると、この言葉を考えてください。

あなたが案をつくり、上司や組織の了解を得て進めようとする場合を考えてください。その案の内容を紙に書くとともに、それを実現する段取りを考えますよね。すると、上司の了解を取るだけでなく、関係者の同意を取る算段を考えなければなりません。
案を作って終わりではありません。上司に向かって「このような案を考えました。その実現は上司であるあなたの仕事です」と渡すようでは、よい部下ではありませんね。

あなたが案を上司に説明したら、上司はその案の問題点を考えるとともに、どのようにしたらその案が組織内で実現できるかを考えるはずです。その段取りを考えることも、部下の務めです。案を考えるには、内容とともに段取りを考える必要があります。
これが、「上司を使う」です。あなたの案を実現するために、「上司に動いてもらう」、露骨に言うと「あなたの案を実現するために、上司を使う」のです。

場合によっては、案の実現に消極的な上司に対し、彼の心配事への対策を説明し、彼が嫌がる折衝を代わって引き受けるとかも、必要になります。
「できる部下」、将来の「できる上司」になるために、考えてみてください。

閣僚会議2割廃止

12月27日の朝日新聞に「閣僚会議2割廃止を発表」が載っていました。

・・・河野太郎行政改革担当相は26日の閣議後会見で、政府が内閣官房と内閣府に設置している85の閣僚会議のうち、2割にあたる17会議を廃止すると発表した。「官邸主導」のもとに乱立した会議を整理した。
廃止するのは、日仏友好160周年記念事業を検討する「ジャポニスム2018総合推進会議」や、神奈川県の障害者施設「津久井やまゆり園」殺傷事件を受けて設置された会議など。河野氏は「(議論が)終わったものは、本来なら廃止措置をしっかりすべきだった」と説明した・・・

会議をつくるときに、終期を定めておけばよいと思います。

『解(ほど)けていく国家―現代フランスにおける自由化の歴史』

解(ほど)けていく国家―現代フランスにおける自由化の歴史』(2023年、吉田書店)を読みました。
宣伝文には「公共サーヴィスの解体と民衆による抵抗運動…自由化・市場化改革の歴史を新たに描き直す」とあります。巻末についている、訳者である中山洋平教授による解説がわかりやすいです。

フランスにおける、この40年間の経済の自由化・市場化・国際化を解説したものです。第二次世界大戦後のフランスは、「ディリジウム」(国家指導経済)という言葉で表された、経済に対する強力な国家介入で知られていました。鉄道、通信、電力と行った社会インフラだけでなく大きな企業(金融、自動車、製鉄)といった企業も、国有でした。そして、政府とともにそれら企業の幹部を、特定の有名大学出身者(高級官僚)が占めていました。日本より、自由化は強烈な打撃だったのです。

本書では、第Ⅰ部(1945年~1992年)で、介入型国家が成立した過程を描きます。それは政府が一方的に主導したのではなく、人民戦線やレジスタンスの民衆動員(デモ)に基礎をおいていて、平等を求める国民の支持があったのです。これを、社会国家と表現しています。フランスは私たちの思い込みとは異なり、労働組合が弱く、デモがその代わりを務めます。フランス革命以来、民衆が街に出るのです。
しかし介入型国家が行き詰まりを見せ、官僚主導による自由化が徐々に進められます。その過程では1968年の五月事件も起きます。ドゴール政権に対して左翼が蜂起するのですが、総選挙でドゴール派が勝って、逆の結果になったのです。ミッテラン左派政権も、社会主義的な政策を掲げていたのですが、自由化へ転換します。

第Ⅱ部(1993年~)は、自由化、国際化の過程が描かれます。国家の後退、改革する国家から改革される国家へ、規制国家から戦略国家へなどという言葉が使われます。地方分権も含まれます。
この本のもう一つの軸は、民衆動員です。フランスの伝統でしょう。五月事件もその代表例ですが、政府は民衆動員を抑えようとします。規制国家は、秩序維持国家に変身します。それは、大量の移民の増加、社会の治安の悪化も理由として進みます。

サッチャー、レーガン、中曽根首相による新自由主義的改革、1980年以降先進国で進められたニュー・パブリック・マネジメントは、日本でも採用されました。
私は、フランスでどのようなことが起こっていたか、不勉強で知りませんでした。戦前の日本並みの中央集権国家(知事が官選)だったフランスが、ミッテラン政権で大胆な分権に踏み出したことは知っていたのですが、上記のような文脈にあったのですね。勉強になりました。

早朝も校庭・学童開放

12月22日の朝日新聞に「早朝も安心、子どもの居場所 校庭・学童開放、共働き家庭のニーズ高まり」が載っていました。詳しくは記事を読んでいただくとして、このような需要もあったのですね。

・・・早朝の校庭開放など、朝の子どもの居場所づくりが広がっている。登校時間より早く保護者が出勤する家庭では、短い時間でも子どもが1人になってしまうからだ。共働き家庭の増加や、教員の働き方改革で、かつてより開門時間が遅くなっていることなどが背景にあるようだ。

東京都八王子市の市立由井第一小学校の校庭に、子どもたちが駆け込んできた。10月末の平日午前7時45分。人数はあっという間に50人以上に。サッカーをする子、おしゃべりする子……。3年の男子児童は「早起きも全然平気」。
同小では5月、朝の校庭開放を始めた。午前7時45分から8時15分まで校庭で過ごせる。地域の団体に委託し、毎朝5人体制で子どもを見守る。
2年ほど前まで開門は午前8時で、外で20~30人が待っている状態だった。緒方礼子校長は「教員の勤務時間前で、何かあっては困ると門の中には入れない対応だった」。ところが、近隣から「道路に出て危ない」などと意見が来るように。昨年からは門を入った所で待たせていた。
この地域は都心で働く保護者が多く、出勤時間が早い。1人でカギを閉め登校する子や、保護者と家を出て校門で待つ子が多かった。地域の要望も受け、朝の校庭開放に踏み切った。保護者からは好評だ。早起きをする子も増えた。不登校気味だった子も来るように・・・

・・・背景には何があるのか。社会学者で早稲田大招聘研究員の品田知美さんは「過去10年ほどでフルタイムで働く母親が急増したことが大きい」とみる。国民生活基礎調査によると、正社員で働く母親は2010年の16・9%から、21年は29・6%に増えた。
「以前は一番早く家を出て最後に帰るのが父親だったが、母親も同じように早く家を出るようになったということでは」と品田さん。「男女の格差が一部でも是正されたということで、自治体や学校の取り組みは支えになる」と評価する・・・

エッセイとessay

エッセイと聞くと、随筆と考えますよね。でも、英語のessay、フランス語のessaiは随筆ではないのです。
インターネットで、Oxford Learner’s Dictionariesをひいてみたら、「a short piece of writing by a student as part of a course of study」とあります。

色摩力夫書『黄昏のスペイン帝国ーオリバーレスとリシュリュー』(1996年、中央公論社)342ページに詳しく書かれていました。「フランス語の明晰性とその限界
ラテン語のexagiurnを語源として、本来の意味は「試みること」で、文書の上では「試論」です。純然たる学術論文ではなくて、必ずしも根拠をすべて明示せずに書かれた論文だそうです。日本語では「評論」と言えるとのこと。
モンテーニュの「エセー」は、随筆ですが。