フランス語の明晰性とその限界

フランス語は明晰であると言われます。「明晰ならざるものフランス語にあらず」(Ce qui n’est pas clair n’est pas français.)は、18世紀の作家のことばです。何をもって明晰かどうかを判断するか、難しいですよね。それは神話だとも言われます。フランス語の単語の綴りと発音のずれ(発音しない文字がある)を見ただけで、明晰でないと思うのですが。

ただし、フランスは言語を明快にするために、努力をしています。国家機関のアカデミー・フランセーズが、フランス語の規範を定めているのです。アカデミー・フランセーズは、1635年にリシュリューが創設しました。中世の封建国家だったフランスを、近代統一国家・絶対王政の国に仕立て上げたのがリシュリューで、彼は統一国家言語を作ろうとしたのです。その反面、方言が抑圧されました。

もう一つ、色摩力夫さんが、著書『黄昏のスペイン帝国ーオリバーレスとリシュリュー』(1996年、中央公論社)で、スペインの哲学者オルテガの説を引用して、次のように指摘しています(337ページ)。
「フランス語は明快であり、明快なものはフランス語である」との格言が、自縄自縛に陥った。言葉と理念の明快を求めるのは美徳である。しかし、言語による「表現」の明快と、表現される「もの」の明快とは関係がない。「もの」には明快でなく難解なものも多い。難解なものをどのように表現するか。表現の明快を求めるあまり、難解なものまで明快であるかのように表現するのは虚偽である。フランス文化はこのような誤りに陥る危機にあるのではないか。

「官僚は政治家の道具ではない」

12月24日の読売新聞、千正康裕氏の「官僚 政治家の道具ではない」から。

・・・官僚が外に出向く時間が取れない最大の要因は、国会対応です。「質問通告」では、国会の各委員会で質問に立つ議員から事前に内容を聞き取り、閣僚らの答弁を準備します。議員の質問通告が前日に届き、深夜残業することも日常茶飯事です。直前にならないと、実際に質問があるかどうかも分からないため、夜に予定を入れることはできません。現場に行きたくても、「行けるかどうか分からない」という前提では面会のアポイントをお願いできないのです。その結果、官僚の情報収集ルートは狭くなります。

国会では、これまでも質問通告の早期化を幾度となく申し合わせてきました。しかし、依然として改善は進んでいません。かけ声倒れに終わらないように、国会の委員会の開催が決定された日時と、各議員の質問通告時刻の公表をセットで行い、可視化する必要があります。官僚は、政治家が目的を達するための道具ではなく、公共財だと考えます。与野党が利害対立を乗り越えて協力し、国会改革を進めるべきです・・・

・・・官僚の業務は、国会対応以外にも増えています。その分、増員されるわけではないので、官僚の「労働密度」はおのずと高まります。こうした環境では、勉強時間が取れません。様々な現場を自分の目で見て、自分の足で歩き、自分の頭で政策を考えることがだんだんと難しくなる。政策立案能力を高めるために、もっと官僚に時間の余裕と裁量を与えるべきです。

そもそも深夜残業が前提の働き方では、自分自身の家族と過ごす時間も満足につくることができません。官僚も今の若手の多くは共働きです。昔の霞が関のように、家事や育児は家族に任せ、夜中までずっと職場にいても大丈夫だという人は少なくなりました。
理想は、ムダな仕事を排し、国会対応も効率化し、政策立案能力に優れた官僚と政治のリーダーシップが融合することです。僕の本意は「官僚に楽をさせてあげたい」のではなく、官僚が担っている政策立案機能は社会的に大切で、その機能が「壊れる」と国民が最終的に困るから止めたいのです・・・

市町村アカデミー令和6年度の研修計画

市町村アカデミー令和6年度の研修計画を公表しました。
研修科目や内容を見直し、時代に合ったもの、希望に応じたものとしています。85回、5000人を超える定員を予定しています。
大津市にある、全国市町村国際文化研修所(国際文化アカデミー)でも、数多くの研修を予定しています。

業務遂行に必要な知識と技能、新しい施策の知識、地域の課題への対応、管理職の技能など、職場では身につかない、本を読んだだけではわからない内容を提供します。
市町村におかれては、活用を検討ください。受講を希望する職員は、市町村を通じて申し込んでください。

「積極財政で成長幻想、捨てよ」

12月28日の日経新聞経済教室は、松元崇・元内閣府事務次官の「衰退途上国からの脱却 「積極財政で成長」幻想、捨てよ」でした。的を射た分析です。政治家や経済界の指導者たちに、早く気づいて欲しいです。原文をお読みください。

・・・「失われた30年」といわれて久しい。かつては米国すら抜くといわれた1人当たり国民所得は、今や韓国や台湾にも迫られている。筆者は、2022年の日本経済学会春季大会のパネル討論で、日本は「衰退途上国」になったと報告した。
衰退途上国とは発展途上国の反対だ。発展途上国は高い生産性の伸びを続けて為替レートが高くなり、インフレになっても所得がそれ以上に伸びるので所得が先進国に追いついていく。一方、衰退途上国は低い生産性の伸びを続けて為替レートが安くなり、インフレになっても所得がさほど伸びず先進国よりもはるかに低い所得になる。

なぜそうなったのか。バブル崩壊後には、日本経済低迷の要因について過剰債務とか、IT(情報技術)化の遅れといった様々な説明がなされたが、いずれも30年もの低成長を説明するようなものではなかった。
筆者は、答えは高度成長のイデオローグだったエコノミストの下村治が石油危機後に唱えた「ゼロ成長論」の中にあると考える。下村の考え方を整理しよう。
経済成長をもたらすのは人間の創造力であり、成長に必要なのは人間の創造力を発揮させるための条件整備だ。それは高度成長期には道路や港湾などのインフラ整備だったが、石油危機後には省エネなどのイノベーション(技術革新)をもたらすための条件整備になった。それに気付かずに積極財政で成長率を元に戻せるといった議論、国民総生産(GNP)ギャップ論に惑わされていると、日本はゼロ成長になってしまう・・・

・・・筆者は、下村がそうした議論に惑わされていてはゼロ成長になるとしていた議論、すなわち積極的な財政政策で経済を成長させられるという議論に世の中が惑わされているからだと考える。「豊かな長寿社会をつくる礎」となる財源は消費税に限らないが、消費税以外の税の出番もなくなっている。
実はケインズも、積極的な財政政策で経済を成長させられるという議論に困惑させられていた。ケインズは、積極的な財政政策は景気回復をもたらすが経済成長はもたらさないと明言していた。では何が経済成長をもたらすのかと聞かれた時の答えが「アニマルスピリット」だった。下村の「人間の創造力」と同じだ・・・

知らないことを知る

知るは楽しみであり、力をつけることでもあります。知らないことを知るには、二つのものがあります。

一つは、これまで見たことがないものを見る、知らなかった事実を知ることです。初めての場所に行く、学校で習う、本を読んで学ぶなどなど、これはわかりやすいでしょう。
もう一つの知るは、すでに知っていることについて、別の見方を知ることです。専門家の解説や、違った意見を持つ人の話を聞くと、これまで自分が考えていたこととは違った見方があることを知ります。

新聞などは、ニュースで知らないことを伝えてくれますが、それら多くは1日後には忘れるようなことです。それより重要な機能は、後者の解説です。いろいろな出来事も、背景や隠された意図を説明されるとよくわかります。また、情報操作に操られそうな場合に、立ち止まることができます。
「なるほど、そう見るのか」と唸らせる解説記事が、ありがたいです。