平櫛田中と30年分の材木

買っても読まない本が、増え続けています。生きている間にすべてを読むことは、できそうにありません。「なら、新しい本を買うなよ」との声が聞こえてきそうです。

全く関係ないのですが、彫刻家の平櫛田中さんを思い出しました。かつて、旧居を転用した美術館を見に行ったときに、たくさんの材木が残っていました。
「田中は百歳を超えても、30年かかっても使いきれないほどの材木を所有していた。これはいつでも制作に取り掛かれるようにと、金銭に余裕がある時に買いためていた材木がいつの間にかそれだけの分量になっていたためである」(ウィキペディア)とのことです。

そのひそみにならえば、「100歳まで生きて、まだ読むことができない本が残っていた」「まだまだ勉強する意欲を持っていた」とは、なりませんでしょうか。残された家族が、処分に苦労するだけでしょうか。

子ども医療費の無償化の効果

8月11日の日経新聞オピニオン欄、渡辺安虎・東京大教授の「データが語る子育て支援のワナ」から。

・・・子育て支援策のうち、この25年ほどで一気に広がったのが子ども医療費の無償化だ。一定年齢までの子どもについて、健康保険でカバーされない2割や3割の自己負担分を市区町村や都道府県が負担し、実質無償で医療や薬を受け取れる政策である。
子ども医療費の無償化は国ではなく自治体レベルで行われてきた。当初はごく一部の市区町村で就学前までの医療費が無償化されていたが、この20年ほどで多くの自治体に広がった。2021年時点で半数弱の自治体が高校生まで、残りの半数弱も中学生まで無償化されている。就学前までのみ無償化の自治体は非常に少なく、助成対象の年齢の引き上げが続いている。

この政策はどのような効果をもたらしたのだろうか。実は無償化政策のデータに基づく効果検証を、政府はこれまで実施していない。
東大の飯塚敏晃教授と重岡仁教授は、市区町村レベルでの無償化の状況の推移データを作成した上で、患者レベルの治療の経過がわかるレセプト(診療報酬明細書)データと結合して政策効果を推計する論文を発表している。
結果は予想される通り、子どもにかかる医療費が増加していた。さらに健康な子供の受診回数が増え、不要な抗生物質の処方や、緊急性が低いのに救急外来を利用する「コンビニ受診」も増えていた。他方、無償化の効果については、死亡率や入院確率に変化はなく、成長後の健康状態にも影響がなかった。

つまり医療費の無償化は子どもの健康状態を特段改善しないにもかかわらず、過剰な医療費支出を生み出しているわけだ。将来的な財政負担を増やす非効率な政策はどのように広がったのだろうか。
重岡氏と筆者との共同研究からは、この政策が自治体の選挙を通じて広がってきたことが判明した。さらに単に選挙のタイミングで広がるのではなく、周囲の市区町村より無償化の対象年齢が低い選挙の場合に広がっていた。
首長が選挙への影響を恐れて周囲の市区町村に追いつこうとし、非効率な政策が地理的にどんどん広がる構図が読み取れる。前回選挙で対抗馬がいたり、首長が多選であったりする場合に特にその傾向が強い。

より大きな問題は、このような分析を政府が行っていないことだ。異次元の少子化対策は新たな挑戦であり、間違いや失敗が生ずることは避けられない。であれば、事業費の0.1%でよいのでデータに基づく政策改善のための予算を確保するなど、政府が改善を進められる体制を整えることが重要だろう・・・

チャーチル著『第二次世界大戦1』

ウィンストン・チャーチル著『第二次世界大戦』が、完訳版で出版されます。みすず書房から伏見威蕃さんの訳です。
まず、『第二次世界大戦 1――湧き起こる戦雲』が今年8月に出版され、これから毎年1巻ずつ出るそうです。

チャーチル・元イギリス首相は、この本でノーベル文学賞を受賞しました。本人は、ノーベル平和賞を欲しかったそうですが。首相退任後、関係書類を持ち帰る(独占する)ことを許可され、それを元に執筆したとのことです。
20世紀の一番大きな出来事の、当事者の記録です。それだけの価値があります。

私は、河出書房文庫の縮約版で読みました。英語版もいつか読もうと買ってあるのですが・・。今回出版された第1巻だけでも、900ページ近くの分厚いものです。

傷ついた心を支える、苦手な日本

8月10日の朝日新聞オピニオン欄「心のケア、苦手な日本」から。詳しくは本文をお読みください。

心のかたちは、世界広しといえども同じ。でも、日本社会で心を支え合うのは、とても難しい――。国内外の紛争地や被災地で、傷ついた心のケアを約30年間にわたって続けてきた、精神科医の桑山紀彦さんがたどり着いた結論だ。「トラウマは人生を変える資源」とも説く桑山さんに聞いた。なぜ日本では、心を支えにくいのか。

――そもそも、トラウマとは何ですか。
「トラウマとは、いわば凍りついた記憶と感情です。心に刻印されたそれは、決して消え去ることはありません。何度もよみがえり、そのたびに苦しくなる。時間が経てば軽くなるものでもありません」
「ただ、私は、トラウマは『資源』だと考えています。トラウマはバネになる。人生を変える起点にできる、ということです。そのために大切なのは、つらい記憶をなかったことにしないことです」

――トラウマに向き合うには、専門家の力が欠かせないのでしょうか。
「受けたトラウマが非常に強烈なものだったり、適切な対処がされずに悪化したりしてしまえば、もちろん精神科医や臨床心理士など専門家の力を借りる必要があります。でも、私の体感では、そういうケースは全体の15%ほど。残りの85%は、社会のなかで癒やせる。周囲の力を借りることで、傷と向き合えるようになります。文化や言語が違っても、『心の形』や回復の過程は、世界中どこでも同じです」
「ただ、いろんな国で活動してきて唯一、心のケアが難しいと感じた国があります」

――どこですか。
「日本です」
「11年の東日本大震災の時を例に、お話しします。震災の3カ月後、被災地の学校に招かれてPSSのプログラムをやろうとしたのですが、難しかった。教員のみなさんから、『子どもたちをあんなおそろしい経験と向き合わせるなんて、ありえない』『子どもが不安定になったら、どう責任をとればいいんだ』といった、激しい反発が出ました」
「彼らを責めたいわけではありません。こういう反応が起こるのは、日本の社会がずっと、トラウマを『触れてはいけないもの』として扱ってきたからでしょう。結果的には、場所を学校から避難所に変えることで、プログラムは無事に実施できたのですが」

――「心の形」には国による違いはないのに、日本が向き合えないのは、なぜでしょうか。
「トラウマから回復するステップは原因が紛争でも自然災害でも同じです。ただ、うまくいくかどうかに差が出るのが、先ほどお話しした『社会との再結合』です」
「日本では、心に傷を負った経験が『恥ずかしいこと』だと捉えられがちです。本人も表明を避けますし、周囲も『触れてはだめだ』という態度を取る。例えば、『胃潰瘍(かいよう)で体調が悪い』と言うのと、『トラウマで苦しんでいる』と言うのとでは、社会からの受け止めが大きく違います」

――日本以外の国でも、違うのではないですか。
「こう説明しましょう。日本社会では、『心に傷がないのが良いことだ』という意識と、『みんながそうあるべきだ』という意識がセットになっている。トラウマは本来的にマイノリティーの体験ですが、どんな人でも抱える可能性があります。にもかかわらず、日本では『マジョリティーでなければまともじゃない、恥ずかしい』という意識が、強く働いているように思います」

人類の成長と格差の理由

オデッド・ガロー著『格差の起源 なぜ人類は繁栄し、不平等が生まれたのか』(2022年、NHK出版)を、これまたかなり前に読み終えました。

出版社の宣伝には、次のようにあります。
「30万年近く前にホモ・サピエンスが誕生して以来、人類史の大半で人間の生活水準は生きていくのがぎりぎりだった。それが19世紀以降に突如、平均寿命は2倍以上に延び、1人当たりの所得は地球全体で14倍に急上昇したのはなぜか?
この劇的な経済成長の鍵は“人的資本の形成”だったことを前半で説く。
それを踏まえて後半では、なぜ経済的な繁栄は世界の一部にとどまり、 今なお国家間に深刻な経済格差があるのかを検討する。制度的・文化的・地理的要因に加え、“社会の多様性”が根源的な要因だったと論じる。人類史を動かす根本要因に着目した〝統一理論〟にもとづいて、究極の謎を解き明かした世界的話題作!」

そこにあるように、前半は「何が成長をもたらしたか」を説明し、後半は「なぜ格差が生じたのか」を説明します。壮大な人類の歴史を遡り、この2つの究極の問に答えようとします。問の立て方が良いですよね。それぞれに筆者の説明には納得するのですが、統一理論といえるかというと・・・。