コメントライナー寄稿第12回

時事通信社「コメントライナー」への寄稿、第12回「一身にして二生を過ごす」が、7月10日に配信されました。

高度経済成長によって、私たちの暮らしは大きく変化しました。私たちは今、もう一つ大きな変化を経験しています。経済成長期にできた「標準的家族の終わり」です。漫画「サザエさん」に描かれているです。夫婦と子2人の4人家族、父親は仕事に出かけ、母親は家庭を守ります。ところが今や、片働きより共働きが多くなりました。家族の数は1人暮らしが一番多いのです。

人権意識も大きく変わりました。私が就職した頃の人権教育は、同和問題が主でした。現在では、いじめや体罰、家庭内暴力、パワハラ、セクハラ、性的少数者へと広がりました。特に男女間の格差解消は、革命的な変化です。

福沢諭吉は江戸と明治の二つの時代を生き、『文明論之概略』で「一身にして二生を経るが如し」と述懐しています。明治維新に続き戦後改革でも、憲法体制が革命的に変わりました。
平成と令和を生きている私たちは、憲法は変わらなかったのに、革命的経験をしています。しかも前2度の革命より、暮らしの形と社会の意識は大きく変化しています。政治革命を伴わない社会革命です。

言語が階級を作るインド

6月21日の日経新聞夕刊「映画でみる 大国インドの素顔(3)」、インド映画研究家・高倉嘉男さんの「お受験熾烈、英語力で決まる人生」から。

・・・2023年に中国を抜いて人口世界一に躍り出たとされるインドは、単に人口が多いだけでなく、若年層が総人口の半分を占める若い国でもあり、受験戦争も熾烈だ。
さらに、インドには言語が教養人と無学者を分断してきた歴史がある。庶民の言語とは異なる高等言語が政治や文学の場で使われ、その言語にアクセスできない者は無学者扱いされた。古代の教養語はサンスクリット語だったが、中世、イスラーム教の浸透に伴ってペルシア語がそれに取って代わり、英国植民地になった後の近現代では英語が教養語に躍り出た。
現在、インド人英語話者の数は総人口の1割ほどとされている。この1割がほぼそのまま上位中産階級から上流階級までの社会的上層を形成し、富と権力を手中に収めている。インドの身分制度というとカースト制度が有名だが、カースト制度以上に古代からインド社会を分断してきたのは言語だ。

近現代の都会を舞台にしたインド映画を観ると、台詞には現地語に加えて英語がかなり使われていることに気付く。単に現地語文の中に英語の単語やフレーズを交ぜるだけでなく、現地語文と英文を往き来しながら会話をする。日本人の耳には奇妙に聞こえるのだが、これが教養あるインド人の一般的な話し方であり、インド映画はかなり写実的にそれを再現している。英語を適宜交ぜながら会話をすることで、彼らは自身の教養を証明し、エリート層としての仲間意識を確認し合うのだ。
それだけではない。多言語国家インドには無数の現地語があるため、英語には共通語の役割もある。IT企業など、高収入が期待される多国籍企業が就職先として人気だが、その絶対条件も英語力だ。つまり、インドにおいて英語ができない人は、教養層から排除され、社会的・経済的な地位の向上も難しく、異なる地域から来た人とのコミュニケーションにも困ることになる・・・

従業員の性善説とは

6月16日の朝日新聞オピニオン欄「それって性善説?」、田澤由利さんの「在宅勤務 緩やかな柵で管理」から。

・・・「在宅勤務は性善説で」と言われることがあります。25年以上前から在宅勤務の推進に携わってきましたが、性善説での在宅勤務には行き詰まりがあると私は考えています。
「従業員を疑え」という意味ではありません。人は弱い生き物ですから、家にいれば気が緩み、さぼってしまったり長時間労働になってしまったりする従業員はどんな組織にもいます。また、どんなに良い上司でも、部下の様子が見えない状況が続くと「さぼっているのでは」と不安になっても仕方がありません。疑いや不安が蓄積されて起こるのは、出社への揺り戻しです。実際、コロナ禍で在宅勤務を導入したものの、今は「出社せよ」となっている企業は少なくありません。

在宅勤務は、うまく運用できれば素晴らしい制度です。企業は交通費やオフィス代などのコストを削減できる。就職で「在宅勤務ができるか」が重視される傾向があるため、いい人材も確保できる。従業員にとっても、育児や介護や病気の治療など、これまでだったら辞めるか、給料を減らして勤務時間を減らすか、無理のある働き方をするかしかなかった人も、柔軟に働き続けることができます。
問題は、生産性です。「在宅勤務で生産性が落ちた」とよく聞きます。組織は「2:6:2」で構成されているという話があります。自己管理ができてばりばり働く人が2割、普通に働く人が6割、ちょっと困った人が2割。多くの組織に当てはまるのではないでしょうか。ばりばり働く人だけでなく、残りの8割の人もしっかり働けるマネジメントが必要です。

そのために私は「ゆるやかな柵」という考え方を提案しています。「監視」は悪いことのように言われますが、社員の労働時間を把握して適切に管理するのは企業の責任です。在宅勤務でも、会社にいる時と同じような「働いている」「席についている」くらいの「柵」を用意することは、デジタルツールを利用すれば可能です。労働時間を把握して時間当たりの生産性を評価することができれば、だらだら働く人に多くの給料を支払う必要もなくなります。
「在宅勤務だから自由がいい」と思う人もいるかもしれませんが、成果を出そうと過重労働になったり、非効率な働き方になったりすると、企業は在宅勤務をやめてしまいます。企業はゆるやかな柵を用意し、従業員は柔軟でもきちんと働くことが、在宅勤務の正しい運用ではないでしょうか。
「従業員を信じましょう」「従業員に優しくしましょう」という考えでは、必ず甘えが生まれ、職場がぎくしゃくし、長続きしません。必要なのは優しさではなく、適切なマネジメント。性善説ではないのです・・・

日立の改革

日立製作所、私たちの世代には家電製品の印象が強いですが、大きく転換しました。きっかけは2008年、当時最高の赤字を出したことです。そこからの改革と復活は有名です。本にもなっています。
NHKウエッブニュースが、「日立製作所 採用・人事担当者に聞く「モノづくり」から「社会課題の解決」へ 大赤字からの大変革」(7月5日掲載)を載せています。詳しくは記事を読んでもらうとして。

会社が潰れるという危機感から、扱う事業と商品を絞り込みました。記事では、それを3つに整理しています。
1 社会課題解決型ビジネス
2 データ・アナリティクス(データ分析)
3 ジョブ型人事

1については、次のように説明しています。
・・・先ほどの2008年度の赤字をきっかけに、大きくビジネスを見直し、 「モノづくり」から「社会課題の解決」にかじを切ったからです。
少し前まではお客様が自分たちが何を欲しいのか分かっていました。この時速で走る電車が欲しいとか、それに耐えうるモーターが欲しいとか、日立に限らず、どのメーカーも品質の高い製品を競って作るという時代でした。
けれど、いまの時代は何かを作って欲しいではなく、例えば利用者が減って困っているという状況に対して、何ができるかが問われています。
そうです。そのため「単に良いものを作ったら買ってくれる」ではなく、社会が何を求めているかを踏まえたうえでビジネスを展開していくようになったんです・・・

2は情報通信技術の発達によるものですが、1と3は経済成長期になじんだ仕組みからの脱却です。拙稿「公共を創る」で議論している、日本社会の転換に通じます。

タマネギの皮を増やす

立命館大学法学部「公務行政セミナー」講師2」の続きにもなります。
「人生とはタマネギの皮を増やすことだ」という話が、たくさんの学生から反応がありました。皮と言っても、外側にある茶色い薄い皮でなく、内側の食べる部分(鱗茎)です。あの1枚ずつも皮と呼ぶのでしょうが、茶色の皮と区別する際には、なんと呼ぶのでしょうか。

人は、自分が何者であるかを知りたくなります。特に若い人が「自分探し」をします。就職活動に当たって、自分は何にむいているかを考えるときなどです。私は、それは無駄だと助言しています。「ラッキョウの皮をむく」という、ことわざがあります。むいてもむいても皮ばかりで、実がでてきません。若いうちは、経験も少なく、自分が何者かを考えても、よい答は見つかりません。

私も若いときにそのようなことを考えたのですが、ある教育者から「人生とは自己実現だ。その過程だ」と教えられて納得しました。その趣旨を『明るい公務員講座』にも書きました。自己実現は自己発見の過程でもあります。ラッキョウの皮にたとえれば、むいていって芯に何があるのか探すのではなく、タマネギのようにいろんな経験の皮を加えていって太ることでしょう。
自己実現というと、少々難しいです。何が自己かは、人生の終盤にならないと分からないのです。

私の人生を振り返っても、学生時代はもちろん、就職した頃も、現在の私になるとはとても想像がつきませんでした。たぶん、神様もご存じなかったのかも。
神様がその時々にサイコロを振ってくださって、私もそれに応えるべく努力して、さまざまな経験を積んで、今の私ができたのでしょう。タマネギの皮を増やす人生でした。