権力を預かる畏れ

あるところで、公私混同について聞かれました。発端は、岸田首相の長男で首相秘書官が、昨年末に首相公邸で親族らと忘年会を開いていたことが今年5月に発覚したことです。その後、首相秘書官を辞任しました。
首相公邸には、首相家族が暮らす私的な場所と、公務に使う公的な場所(会議室など)があります。私的な場所は公務員宿舎と同じですから、非常識な使い方以外は自由です。他方で公的場所は官邸の延長ですから、使用目的は限られ、使うには手続きも必要です。
今回の事件も、公的な場所を使って私的な忘年会をしていた、ふざけた写真を撮っていたことが問題になったのでしょう。首相が公的な忘年会をされたのなら、問題はなかったでしょう。

権力を預かる人たちには、庶民より厳しい倫理観が要求されます。国民から疑惑を持たれないことです。国民の信頼がなければ、何を説いても信用されません。
そのような目で見ると、より問題の大きな事案もあり得ます。持っている権力を、公正・公平に行使しないことです。
例えば、補助金のか所付けや許認可です。客観的基準に基づいて優先順位の高い場所から補助金をつける、申請を採択するべきですが、それを無視して特定の人の申請を優先する場合です。
もう一つは、人事です。候補者の能力や適性を無視して、気に入った人を優先し、気に入らない人を遠ざける場合です。

政策の策定は公の場で議論されるので、よほどのことがない限り、私的な好き嫌いは入る余地がありません。しかし、政策の執行や人事権の行使では、すべてが公開されているわけではないので、私的な意向が入る余地があるのです。
そのような誘惑に惑わされないことが、権力を持つ人やその周囲にいる人には要請されます。一言で言うと「権力を預かる畏れ」でしょう。
さらに、権力を持つ人は、その一言が周囲に大きな影響を与えます。本人はそのつもりはなくても、周囲が忖度するのです。綸言汗の如し。

産業政策の復活

7月16日の読売新聞1面、伊藤元重・東大名誉教授の「産業政策の復活「市場の失敗」是正し成長」から。

・・・主要国が先端技術分野の支援や気候変動対応の促進など、大規模な産業政策を展開している。
米国は、半導体の国内開発・生産を推進する「CHIPS・科学法」による7兆円超の投資支援を実施しつつある。さらに、インフレ抑制法に基づいて、気候変動対応などに10年間で60兆円規模の補助を行おうとしている。
 一方、欧州連合(EU)も新型コロナウイルス禍で打撃を受けた経済の「復興パッケージ」として、グリーン化やデジタル化などに300兆円規模の予算を準備している。
こうした大規模な産業政策の背景には、ポストコロナ時代に経済成長を実現することへの意気込みと、地政学的リスクへの対応があるのは明らかだ・・・

・・・主要国では少し前まで、民間の活動に政府は関与すべきではないとする考え方が主流のように見えた。しかし近年は、政府が財政や税制などを使って民間の経済活動を支援する「産業政策」の復活が目に付く。なぜ、こうした流れになったのだろうか。
気候変動対応で、政府による市場への介入が必要であることは論をまたない。地球温暖化は壮大な規模の「市場の失敗」だ。政府が何らかの介入を行わない限り、正しい資源配分を実現するのは難しい・・・

・・・気候変動対応のための産業政策は良いとしても、半導体のような先端分野で同様の政策を行う正当性はあるのだろうか・・・
・・・政府の介入は、気候変動対応では正当化できそうだが、半導体の場合は意見が分かれる。日本企業、あるいは日本国内での開発・生産を拡大させなくても、米韓台から輸入すればいいとの見方もあるからだ。かつての日米半導体摩擦で、米国は、日本政府による過度な国内支援が公正な競争を妨げていると批判した。
ただ、最近はそうした見方に変化が起きている。半導体そのものの重要性がこれまで以上に高まっていることに加え、地政学的な理由から国内で半導体産業を維持する必要性が増しているためである。
さらに、半導体分野で国境を超えたグローバルな分業が広がっていることも、産業政策のあり方を変化させた。日本の産業政策によって日本国内での活動を拡大できるのは、日本企業にとどまらない。米国や台湾の企業も産業政策の恩恵を受けるのだ。
いずれにせよ、技術革新や「規模の経済」が強く働く半導体のような産業で、どこまで産業政策によるテコ入れが正当化できるか、古くから議論の対象となってきた。産業政策はうまく機能するとは限らない。市場の失敗と同じように、政府の失敗もある。

とはいえ、技術革新の動向や半導体の重要性、地政学的な問題などを考え合わせると、政策的な関与による失敗よりも、市場に委ねることによる失敗の方が、可能性は高そうだ。
すでに述べた通り、日本経済が30年停滞した大きな要因は、民間投資の弱さである。これがマクロ経済の需要不足を生み、デフレの原因となった。金融緩和策で需要を作ろうとしたものの、投資を増やすことはできなかった。
投資の貧弱さは供給サイドにも影響した。生産性の伸びは緩やかで、生産能力の拡大も鈍かった。規制緩和や成長戦略は力不足で、コロナ禍での財政出動も、危機対応の一時的なカンフル剤にとどまった。
政府による財政出動が必要だとしても、それは最終的に民間投資を促す政策でなくてはならない。政府の産業政策には、そうした効果が期待できる・・・

経済への政府の介入の変化は、連載「公共を創る」第132回、133回で取り上げました。

最低賃金千円に思う

7月28日に中央最低賃金審議会が最低賃金の平均を時給千円に決めたことが報道されています。例えば、29日の朝日新聞「最低賃金、1002円に引き上げ
・・・中央最低賃金審議会(厚生労働相の諮問機関)は28日、最低賃金(時給)を全国加重平均で41円(4・3%)引き上げて1002円とする目安をまとめた。過去最大の引き上げ額となり、政府目標でもある1千円を超えた。物価が高騰するなか、実質的な賃金水準を維持するため、物価上昇率を上回る引き上げが必要だと判断した・・・

この報道の問題点を、いくつか指摘しておきます。
1「過去最大の引き上げ額」と書かれ、いかにも高くなったように思えますが、先進国では最低水準です。欧米では多くの国が日本の倍近いです。それを指摘してほしいです。

2 また、この金額は審議会が決めたもので、政府が決めたものではありません。そして、この後、各県の審議会が、県ごとに数字を決めます。政治が責任を持っていないのです。仕事に就けない人の生活保障が「生活保護基準」とすれば、働く人の生活保障が「最低賃金」でしょう。審議会に丸投げせずに、内閣が金額と方向を決めるべきです。
このような重要なことを審議会で決めるのは、政治主導への転換の忘れ物です。審議会の決定では、国会での審議もできません。

3「中小企業が困る」との意見があります。それはもっともですが、賃金の引き上げは、価格に転嫁すべきです。「売り上げに響く」との意見もあります。これも一部には正しいでしょう。しかし、コンビニやファストフード店は、どの店舗も同じように人件費が上がります。競争条件は同じです。そして、そのような店で働いている従業員の賃金が上がり、消費が増えるのです。赤福餅も紅葉饅頭も、同じでしょう。国内の賃金が同じように上がるのですから。
経営者の「値上げするしかない」という声を、困ったことのように伝える記事もあります。(給料が同じなら)物価は上がらない方が良いのでしょうが、物の値段が上がらず、給料が上がらないことが、この30年間の経済停滞を招いた、あるいはその結果だったのです。そして世界に取り残されました。物の値段が上がらないことは、必ずしも生活者の味方ではありません。

4 問題は、海外との競争する製造業です。しかしすでに、日本の賃金はアジアでも高くありません。この欄で時々取り上げるビッグマック指数で、ソウルやバンコクに負けているのです。低賃金で海外との競争で負けるようでは、申し訳ありませんが将来性はありません。「賃金を上げると、安いアジアに負ける」という言説は、過去のものです。

5 急に最低賃金が上がると、企業も困るでしょう。そこで、中長期の見通しも示すべきです。
政府が行うべきは、「今後毎年2%ずつ最低賃金を上げる」という方針を示すことであり(これでも先進各国に追いつくには時間がかかります)、各年度の金額も審議会に投げずに内閣で決めることです。そして、それに耐えられない中小企業に対する支援策です。

事務局の発表資料で記事を書いていては、物事の本質や位置づけは見えませんよ。

最初から完璧を求める社会

7月15日の朝日新聞夕刊、藤田直哉のネット方面見聞録」「マイナ問題、世代分断と完璧主義を越えて」から。

・・・もちろん、個人情報は保護されるべきで、不利益を被る人が少ない方がいい。だが、そのことによってデジタル化(DX)や効率化が進まないことの損失も大きい。ここには、単なるシステムの不備よりも、大きな社会的・政治的ジレンマが横たわっているように思われる・・・

・・・二つ目は、細部にこだわりがちな日本社会の神経症的な性質と、IT業界やシリコンバレーなどの「やってみて、ミスがあったら修正していく」やり方の齟齬である。IT系のサービスは前例がないことも多いので、最初からミスなく提供することは困難である。だから、サービスを始めて、問題があったら修正していくという手法を採ることが多い。それに対し、日本は、企業や行政に最初から完璧であることを求めがちであり、組織も防衛的になりがちである。しかし、もはや日本はバブル崩壊前のように豊かではなく、人材の数にも余裕がない。産業構造も大きく変わった。かつてのように細部にこだわり完璧を求める文化を維持するだけの体力がないのかもしれないし、それに合理性もないのかもしれない。

現状の危機感を、年長世代も理解し、協力する姿勢が、分断や敵対を越えるために必要である。そして、政府が「ミスがあれば必ず補償する」と約束し安心感を醸成することを前提に、最初から完璧を求めるのではなく、多少のミスを織り込んだ上でダイナミックな改革を進めていくことに対する国民的な合意と文化を形成していく必要があるのではないだろうか・・・

朝の集団ラジオ体操

先日、小学生の孫娘が泊まりに来て、翌朝、集団ラジオ体操に連れて行かれました。近くの小学校の運動場です。高齢の方と、子どもと、子どもの保護者が、大勢集まってこられました。
私は、固まった筋肉をほぐし、70肩(40肩)を治し予防するために、職場で「NHKテレビ体操」をやっているのですが。朝の集団ラジオ体操に参加するのは、久しぶりです。あの開始の元気の良い歌(新しい朝が来た・・・)も久しぶりに歌いました。

その日は、北海道本別町からの生放送でした。第一体操と第二体操の間に、音楽に合わせて首を回す運動をします。その音楽は、松山千春さんの「大空と大地の中で」を編曲したものでした。なるほど。