政治主導の負の作用

4月26日の朝日新聞オピニオン欄「保育政策、いま国に言う」、無藤隆さん(保育学者)の発言から。

・・・日本は欧米諸国と比べ、保育士1人あたりが見る幼児の数が多いことは事実です。12年に自民・公明・民主の3党で合意した「社会保障と税の一体改革」で、こうした配置基準の改善など保育の質について3千億円超を確保することが努力義務とされました。しかし、いまだに実現されていません。

その大きな理由は、幼保無償化ではないかと思います。17年、解散総選挙に踏み切る際に安倍晋三元首相が、消費増税分を使って行うと突然打ち出しました。私たち保育関係者ばかりでなく国の担当者にも驚きであったでしょう。結果、年約8千億円を割くことになり、保育にさらに予算をつける要望をする際の障壁となったことは否めません・・・

内を掘る、外から見る

したこととしなかったこと」の続きにもなります。
あることを研究する際に、そのものを深く調べることと、そのものがおかれている環境で見ることの、二つの視角があります。ある商品が売れないときに、その物のどこが悪いのかを調べるのが、前者。競争相手の商品や消費者がどのように評価しているかを調べるのが、後者です。太平洋戦争の敗因を調べる際に、日本陸海軍の組織内の長所と欠点を調べるのが前者。アメリカ軍との比較や戦い方を調べるのが、後者です。

失敗を調べる際には、内を深く調べても限界があり、外との関係を見ざるを得ません。ところが、うまくいっているときは後者を忘れて、「我々が優秀だからだ」と自己満足に陥る恐れがあります。
日本が戦後、驚異の経済成長を遂げたときに、日本人論や日本経営論が流行りました。「日本は優秀だ」と自尊心をくすぐられました。それが間違っていたこと、あるいは一面でしかなかったことは、平成の停滞が証明しました。もちろん、日本には優れた点もあるのですが、「優秀」だけで成功したのではありません。
鎖国状態ではないので、国際環境の中で分析しないと不十分です。当時の日本の一人勝ちは、先進国を追いかける優位さと、後発国が追いかけてこないという条件があったからです。

管理職の仕事の仕方も、同じです。組織内ばかり深掘りしていても、社会の期待には応えることはできません。置かれた立場と、期待されている役割を認識して、それに応えることができる組織を作る必要があります。
この点を、管理職研修では「深掘りと周囲確認」として説明しています。

日本のサラリーマン社長

4月21日の日経新聞オピニオン欄、イェスパー・コール氏(マネックスグループ グローバル・アンバサダー)の「サラリーマン社長は進化する」から。

・・・日本の企業経営者はネガティブな評価にさらされることが多い。確かに日本の「サラリーマン社長」はプライベートジェットで世界中を飛び回ることが少なく、逆に会社のファクス番号が名刺に記されているケースが多い。しかし仕事を成し遂げる能力をみてみれば、日本の経営者の実績はなかなかのものである。
1995年から2022年にかけて、日本の上場企業の売上高はわずか10%しか増えなかった。しかし同じ期間に経常利益は11倍に増えた。投資や経営の経験者なら、売上高という追い風を受けずに利益を伸ばすことがいかに困難かはよく理解できるだろう。
同時期、米国の「スーパースターCEO(最高経営責任者)」は売上高が3倍になる追い風を受けつつ、利益を6倍に増やした。もちろんこの数字も誇るに値するが、日本のサラリーマン社長が利益を11倍に膨らませたのに比べるとパッとしない・・・

・・・それではなぜ、サラリーマン社長の実績が株価に反映されてこなかったのだろうか。答えは簡単だ。1995年以降、日本の上場企業の設備投資は10%以上減少した。一方、米国の上場企業の設備投資は2.5倍に増えた。さらに米国のCEOが従業員の報酬を約90%引き上げたのに対し、日本の社長は約25%引き下げてしまった。
株価は将来の企業業績に対する期待にもとづいて決まる。そして企業のリーダーが設備や従業員に投資しない限り、将来の業績への期待が生まれることはない・・・

「庶民感覚」が商売の足を引っ張る

ある人が高級料理を食べたりすると、「そんな高いものを食べて。庶民感覚とは違いますね」と批判する人がいます。先日、天然ウナギの鰻丼を食べた大臣に対して、「生活必需品が値上がりする中で、嫌みを言いたくなる」と発言した人がいました。大臣はたぶん自費で払っているのですから、鰻丼を食べても問題ないでしょう。大臣でなくても、多くの人が鰻丼を食べているでしょう。財布の事情に応じて。だから高い鰻丼も売れるのです。

世界第3位(かつては第2位)の日本で、「そんな高い料理」「庶民感覚とズレている」という発言は、いささか変です。貧しい人から見ると、「そんな高い料理」は手が届かないでしょう。他方で、それを求めている人もいて、それを提供している店もあります。
日本料理やホテルなどは、世界の金持ちからすると、とても安いようです。「安い方が良い」という発想はもっともなことですが、その行き過ぎがこの30年間の給料が上がらない経済を生みました。
「国民が安い物を求める」→「売り上げが伸びない」→「店の従業員の給料が上がらない」→「その従業員が安い物を探す」→(負の連鎖)。そして、会社は安い給料の非正規職員を雇います。彼ら彼女らは給料が安いので、安い店を探します。

自由主義経済では、ある程度の貧富の差は生まれます。もちろん極端な差は、社会を分断し、不安定にするでしょうが。努力して金を儲けた人が、高価な物やサービスを求めることは自然であり、それが経済を発展させます。
「そんな高いものを食べて、庶民感覚とは違いますね」は事実としても、努力して成功した人が儲けた金で高いものを食べることを批判するのは、おかしいと思いませんか。提供しているお店も、悪いことをしているのではなく、必要な経費にもうけを乗せて売っているのです。
努力した人の足を引っ張るのではなく、ほかの人もそのように努力しようと考えて欲しいです。「庶民感覚」は、くせ者です。

「まったき個人」人間観が生んだ問題

4月19日の朝日新聞夕刊「「見えない世話役=女性」、問い直して 東大大学院教授・林香里さんに聞く」から。私が主張している、「近代憲法は自立した市民を前提としていたが、その後は、みんながみんな自立できるわけではないことを発見する歴史だった」と通じます。

・・・私が重要だと思うのは、「社会的弱者を取り残さずに手を差し伸べる」という価値観を重視する「ケアの倫理」の考え方です。近代以降、「まったき個人」という自由主義的な人間観や、そんな価値観を持つ男性が様々な制度を作ってきた。でも、いつでも合理的な判断を下し、自分の人生を決定できる人間なんてあまりにも現実離れしていませんか。もし、「自分でキャリアを選択した」と言っても、多くの場合、その決断の裏には世話を担う家族(母や妻)がいる・・・

・・・家族や「イエ」(家制度)の概念は、血縁による「自然な」共同体だと思われています。だからこそ、こうした問題を隠しやすい。妻がケア労働をし、夫はお金を稼ぐという構図の根拠を「イエ」や血縁に求めると、男性中心社会において自由主義的な議論がしやすいのです。「イエ」は、自由主義が喧伝してきたメリトクラシー(業績主義)や競争主義を広め、発展させる基盤であり、燃料でもあったと思います。
いま、同性婚や夫婦別姓を求める声が増えています。家族の価値観はすでに変わっているのだから、制度を変えていく必要があるのではないでしょうか。
私が考える家族とは、自分の親密な部分を見せ、打ち明けられる空間です。人はありのままの自分を受け入れてくれる他者を必要とします。決して一人では生きていけない。だから、例えばLGBTQ(性的少数者)の人が、みんなと同じように結婚し、自分の家族が欲しいと思うのも自然なことです。それが新しい時代の「家族」だと思います・・・