「平等社会の負の機能2」の続きです。戦後の平等社会思想が生んだ負の機能に、エリートをつくらないことがあります。
平等はよいことです。しかし、組織を動かすときには、全体を考える幹部と、与えられた役割を実行する構成員とで、役割分担することが機能的です。そのような関係をつくらず、全員が同等という組織もあります。同好会や議会です。ホラクラシーと呼びます。「階統制組織と平等的組織」
日本人の勤勉さに変わりがないのに、バブル経済崩壊後に日本の経済が停滞したのは、企業幹部、政府幹部、官僚に責任があるのでしょう。社員は、上司に言われたことを実行しているのです。彼らが突然、働かなくなったわけではありません。社員が従前通りに働いていて会社の業績が悪くなった場合は、経営陣に問題があります。
「平等思想」では、管理職と社員の仕事と責任のあいまいさを生みました。なるべく、全員が納得して仕事を進める形がよいとされました。しかし、その組織の進むべき方向を決めたり、新しい仕事の目標と期限を決めたりする場合には、管理職が責任を持って、時には部下全員の同意を得ることなく、決める必要があるのです。ところが、平等思想で育ってきたサラリーマン幹部は、それができませんでした。
平等思想は組織がうまくいっている、売り上げも利益も伸びている条件の下では機能しますが、うまくいっていない場合には機能しません。内向きの論理でしかないのです。「組織構成員の分類その3。階級の区別」
管理職教育を受けていない従業員が、選抜されて管理職になります。しかし、よき従業員の能力と、管理職に求められる能力とは異なります。それを、自らの体験で身に付けよというのが、これまでの日本の職場でした。ここに書いた業績低下の問題以外にも、管理職教育を受けていない管理職が部下の指導に困る場合が増えています。従来型の管理職選抜の仕組みに限界が出てきています。