発達障害の子8.8%、

文部科学省の調査で小中学校の児童生徒の8.8%に発達障害の可能性があることが分かりました。

12月14日の朝日新聞「「発達障害」の子8.8%、4割は支援受けず」から。
・・・全国の公立小中学校の通常学級に通う児童生徒の8・8%に、発達障害の可能性があることが13日、文部科学省の調査でわかった。35人学級であれば1クラスあたり3人程度いることになる。このうち4割強は、授業中に丁寧な指導を受けられるようにする配慮・支援を受けていなかった。識者は、専門知識がある教員による個々の児童生徒の特性に応じた支援態勢の強化が必要だと指摘する。

調査は10年ごとに行われ今回は今年1〜2月に実施。全国の公立小中高校の児童生徒から約8万9千人を抽出し、学習障害(LD)、注意欠如・多動症(ADHD)、高機能自閉症に関する質問が当てはまるかを担任教員らが回答。回答率は84・6%だった。この調査では、医師による発達障害の診断は行われていない。
調査結果によると、「学習面または行動面で著しい困難を示す」とされた、発達障害の可能性がある小中学生の割合は8・8%(男子12・1%、女子5・4%)だった。今回と前回の調査は一部の質問内容が異なるため単純比較できないが、2012年の前回調査時の6・5%より増えた。今回から調査対象になった高校生は2・2%だった・・・

近年、そのような子どもや人が増えたのでしょうか。昔からいたのですが、隠れていた、隠されていたのでしょうか。
いずれにしろ、「優等生を育てる教育」だけではダメで、「ついて行けない子どもや人を支援する教育と社会」をつくる必要があります。連載「公共を創る」での、私の主張です。

『行政改革の国際比較』

C・ポリット、G・ブカールト著『行政改革の国際比較 NPMを超えて』(2022年、ミネルヴァ書房)を紹介します。監訳者である縣公一郎、稲継裕昭先生からいただきました。

先進12か国の、1980年代以降の公共マネジメント改革を比較分析したものです。定評ある教科書になっているようです。残念ながら、12か国に、日本は入っていません。
民間企業の経営手法を公共部門に導入し、効率化や国民住民への応答性を高める改革です。ニュー・パブリック・マネジメントと呼ばれました。政治経済において、先進諸国の多くが停滞に見舞われ、サッチャー首相、レーガン大統領、中曽根首相による新自由主義的改革に取り組みました。行政改革は、その一環でした。

日本でも、中曽根行革に続き、1990年代と2000年代にさまざまな行政改革に取り組みました。ちょうど、連載「公共を創る」で書いているところです。連載執筆で行政改革を振り返ろうとしているときに合わせて、このような本が出版されます。ありがたいことです。ふだんは出てきていても、見過ごしているとも言えます。

日本もこのような観点からの行政改革はかなり実行され、成功したと思います。問題は、日本社会の変化はもっと進んでいて、行政改革では対応できない課題となっているのです。

物の豊かさより心の豊かさ

12月10日の読売新聞「岐路の資本主義 共感すれば買います ファンが市場動かす」に「モノ消費」から「コト消費」」へ移っていることが書かれています。

・・・経済成長を経てモノが飽和する現代は、生活者の価値観が多様化している。同時に、人々の間に「共感」を抱こうとする姿勢が広がりつつある。他者とのつながりや社会への配慮を意識した行動が、新しい資本主義を考える際のカギになる・・・

内閣府国民生活に関する世論調査が図になって載っています。重視したいのは心の豊かさか物の豊かさかを聞いた調査です。1977年には双方が40%程度と並んでいましたが、その後差が広がり、近年では「物の豊かさ」が30%に対し、「心の豊かさ」が62%です。
もっとも、現実生活でそのような行動が取られているかは、わかりません。格差が広がり低所得で不安定な職業では、心の豊かさを望んでも困難な場合があります。

「勉強ができる」と「賢い」の違い

子どもの頃に、近所のおばさんたちが、「あの人は、学があるんだけどねえ・・」とか「あの人は、学校は出ていないけど賢いわ」と言っていることがありました。「賢い人は黙っている」とか「黙っていたら分からないのにねえ」とも言っていました。
子どもの頃は、勉強ができる人が賢い人だと思っていましたが、社会に出てから、なるほどという場面に出会いました。

学歴の高い職員で仕事ができない人、周囲から浮いてしまう人です。仕事ができないのは、いつまでに何をするかを理解できないのです。浮いてしまう人は、自分の発言が相手にどのように受け取られるかを考えずに発言する人、(たとえ正しい内容であっても)時と場所をわきまえずに発言する人です。私も反省しなければなりません。

このようなこと、世の中を渡っていく知恵(知識でなく知恵です)を、どのようにしたら、若い人に伝えることができるのでしょうか。

スポーツ選手への中傷と批判

12月9日の朝日新聞スポーツ面「W杯を語ろう」「中傷と批判、選手守るには」から。

田中ウルヴェ京さんの発言
誹謗中傷のわかりやすい例は、人格、人種など「選手」としてではなく「人」として変えられないものについて悪く言い、その人を傷つけることでしょう。
批判とは、根拠をもとに、良いところと悪いところを分けて評価したり、検証して論じたりすることです。そして、批判にも「やり方」があります。目的が何なのか。目立ちたい、怒りをぶつけたいなど自己主張が目的だとすれば、それは“悪質な”批判、あるいは誹謗中傷でしょう。選手らと同じ立場で一緒に戦っていない人は、批判の前提である根拠がありません。

スポーツ選手が負けると、テレビなどを通じて表面的に見える部分だけで安易に判断し、中傷する人がいます。しかし、負けたからといって誰しもが中傷したくなるわけではありません。中傷をSNSに書く人は、その書き手自身に勝手な目的がある。書き手の心理背景が中傷の目的にある限り、そして、書き手が自身の課題に向き合うことから逃げる限り、中傷はなくなりません。

荒木香織さんの発言
五輪やサッカーW杯などのメジャーな大会であればあるほど、批判や誹謗中傷は多くなってきます。ファンが期待するものと、現実の結果との落差に腹が立ち、それをはき出したくなるのでしょう。
選手側から対策を考えていきます。
私が選手に伝えているのは「大会前後、レース前後は絶対にSNSは見ない」「自分の名前を検索しない」ということ。これが大前提です。書かれていたコメントをどう受け止めるかという以前に、一番必要なことです。
2015年のラグビーW杯のとき、私がメンタルコーチを務めた日本代表は「見ない」ということを決めていました。

大会に向けては、メディアコントロールが重要です。いい準備をするために必要なもの以外は、全てシャットダウンしていきます。一般の人が書き込むSNSもそうですが、新聞やテレビも例外ではありません。
記者との接触一つでも気を使います。たとえば、記者から「こういう風に思うのですが、どうですか」という質問があっただけでも、選手は不安になったり、動揺したり、いらだったりする可能性があります。
そのくらい選手も私たちと同じ「人間」です。中傷にさらされれば、心理的なダメージを受けます。

大会が終わってからも、ネット上に書き込まれたものは残ります。大会後も見ないと自分で決めるか、「反応しない」と決意して見るか、だと思います。
見たくて見るのであれば、選手も相応の覚悟をしないといけないと思います。そのくらい深刻に捉える必要があります。