鎌田浩毅先生の最終講義が本になりました

鎌田浩毅著『揺れる大地を賢く生きる 京大地球科学教授の最終講義』(2022年、角川新書)を紹介します。副題にあるように、鎌田先生の最終講義を本にしたものです。YouTubeの最終講義は90万回再生されたそうです。

「はじめに」に、最終講義は通例、定年退職する教授が研究人生を振り返ることが多いのですが、鎌田先生の場合は「昔を振り返っている場合じゃないんです。これから日本列島は大変なんですからね!」から始まったのですと、書かれています。
「あとがき」には、京大で教壇に立った当初は、学生から「惨憺たる授業」と呼ばれていて、自らの講義を録画して見て反省し、改善することで、「京大で一番受けたい授業」になったと書かれています。この点は以前に教えてもらって、私も参考にさせてもらったのですが、なかなかその域には達しません。

鎌田先生は、9月に『池坊専好×鎌田浩毅 いけばなの美を世界へ 女性が受け継ぐ京都の伝統と文化』(2022年、ミネルヴァ書房)を出版しておられます(すみません、紹介が遅くなって)。
野田秀樹さん、山際寿一さんとの対談に続く第3弾ですが、今回は全く違った分野の方との対談です。火山学者から見ると、華道とその家元はどのように見えるか。こちらも興味深いですよ。

ナホトカ号事件、ボランティアによる重油回収

10月9日の読売新聞「あれから」は「よみがえれ日本海」は、1997年に起きたナホトカ号沈没による重油汚染と、ボランティア活動による重油回収を取り上げていました。
もう25年にもなるのですね。若い人は、知らないでしょう。1995年の阪神・淡路大震災でボランティア活動が社会に認識されましたが、ナホトカ号の重油回収もまたボランティア活動を世の中に知らしめた事件でした。

私は当時、富山県総務部長でした。重油は福井県と石川県沿岸に漂着し、富山湾にはまだ入っていませんでした。重油が能登半島の先を越えると、富山湾に入って、大変なことになると説明を受けました。
沖合では自衛艦が出て、汲み取ってくれました。知事と相談して、自衛艦にバナナなどを差し入れに行きました。吃水が高い自衛艦では、作業は困難だということでした。
県庁内からも、石川県沿岸での重油回収作業に応援に行こうという声が出て、ボランティアを募り、県庁でバスを仕立て、道具などを用意して、派遣しました。私は見送る係でしたが、とても寒かった記憶があります。

過去との対話と未来との対話

「歴史とは、現在と過去のあいだの終わりのない対話です」は、エドワード・カーの『歴史とは何か』第1章の最後に出てくる有名なセリフです。近藤和彦先生の新訳では、「歴史とは、歴史家とその事実のあいだの相互作用の絶えまないプロセスであり、現在と過去のあいだの終わりのない対話なのです。」

私はこれを踏まえて、「官僚の役割は未来との対話である」と書いたことがあります。日経新聞夕刊1面コラム「あすへの話題」2018年4月19日「未来との対話
・・・「歴史とは現在と過去との対話である」は、イギリスの歴史家E・H・カーの有名な言葉である。これを借りると、官僚の仕事は「未来との対話である」とも言える・・・

ところが、『歴史と何か』を読んでいると、次のような文章が出てきました。
・・・第二には、客観的な歴史家は未来に投影した自分のヴィジョンによって、過去への洞察を深く耐久性のあるものにする能力があるということです・・・こうした長もちする歴史家こそ、いわば過去から未来にわたる長期のヴィジョンをもつ歴史家です。過去をあつかう歴史家が客観性に向かって接近できるのは、唯一、未来の理解に向かってアプローチするときだけです。
したがって、私は第一講で、歴史は過去と現在のあいだの対話であると申しましたが、むしろこれは、過去の事象とようやく姿を現しつつある未来の目的のあいだの対話であるとすべきでした・・・近藤訳208ページ

そうだったんですね。カーも、過去だけでなく、未来との対話を言っていたのです。でも「過去との対話」というセリフが、それまでの歴史学が事実を並べれば歴史になると主張したことに対しての反論であり、分かりやすかったので有名になり、未来との対話は引用されなかったのでしょう。あるいは、第1章を読んでこの言葉が出てきたところで納得し、その後ろの章は少々難解なので読み飛ばしたとか。

大島理森先生の回顧談

読売新聞連載「時代の証言者」、10月14日から、大島理森・前衆議院議長の「政の舞台回し」が始まりました。
・・・衆院議長を歴代最長の6年半務め、上皇陛下の退位を実現した特例法成立などを手がけた大島理森さん。国会で合意を形成するため、「 政まつりごと の舞台回し」で名脇役となった議会人の生き方を語る・・・

私は麻生総理大臣秘書官の時に、自民党国会対策委員長の先生にお世話になりました。総理の国際会議出席などと国会出席とを、どのように調整するかです。しょっちゅう、先生と二人で、日程調整をしたのです。
東日本大震災では、自民党復興加速化本部長として、ご指導をいただきました。官僚では解決できない課題を、自民党と公明党が主導する形、それを官邸に提言する形で実現してもらったのです。
それぞれに困難な仕事であり、大島先生でなくては乗り切れないことがたくさんありました。見ていて、「なるほど、このように解決するのか」と、とても勉強になりました。
天下国家のことを考える政治家です。原発事故対応についても、「原発を推進した自民党と、私としても責任がある」と、正面から取り組んでくださいました。原発被災地の町村長の多くも、大島先生を頼りにして、尊敬しています。

若輩の私を、やさしく(人前では厳しく)指導してくださいました。しばしば、「それは何だ」と、厳しい声で机を叩かれるのです。
はじめは怖かったですが、懐の中に飛び込むと、解決策を考えてくださいます。だんだんと、私の持ち前の厚かましさと、先生の包容力に甘えて、いくつも難題を解決してもらいました。

肝冷斎の野外活動

野球の季節がほぼ終わり、肝冷斎の楽しみが一つなくなりました。
どうしているのだろうと見てみたら、まだ野球はあり、さらに北海道まで野外調査に足を伸ばしているようです。
今月初めには沖縄、その次は埼玉県の古墳巡りと、精力的に活動しています。それぞれの写真をご覧ください。うらやましいです。

本業「古典漢文」の方は、10月14日の鉄道記念日にちなんで、西太后と光緒帝が初めて汽車に乗った記事が載っていました。1902年とのことで、日本では明治天皇が乗ってから30年後です。