地域以外の選挙区はないか

国政と中間集団」の続きにもなります。
憲法では、国民は国政・国会と直接つながりますが、選挙の単位は全国一つではありません(かつて参議院議員選挙に全国区がありました)。
衆議院議員は小選挙区と比例代表、参議院議員は選挙区(都道府県単位、ただし鳥取県と島根県、徳島県と高知県でそれぞれ一つ)と比例代表です。地理的単位と比例代表で選ばれます。ここで、選挙区内での争いとともに、選挙区間での代表(1票の格差など)が問題になります。

地理的単位でない、選挙単位はないのでしょうか。
一つ思いつくのは、年齢別選挙区です。例えば10歳ごとに投票し議員を選ぶのです。選ばれる議員数は、年齢階層別人口に比例させます(1票の格差がなくなります)。議員はその年齢階層に属するものとする場合と、必ずしもその年齢階層でなくてもよい場合が考えられます。すると、「私は、若者のために頑張ります」といった選挙公約が主張されるのでしょう。
その年齢階層別に、男女別に選出する(男女同数を選ぶ)とすると、国会議員は男女同数になります。

議会は、国内の対立を集約してまとめる機能があります。どのような単位でそれを代表させるか。地理的区分以外に、何か良い選挙区はないでしょうか。

職員の心の健康

10月15日の日経新聞オピニオン欄、村山恵一・コメンテーターの「社員の気分を上げる経営」から。心の健康には、病気にならないだけでなく、積極的に仕事に打ち込むこともあります。

・・・従業員のメンタルヘルス(心の健康)に気を配っているか。そう問われれば、イエスと答える日本企業は多いだろう。ストレスチェックやEAP(従業員支援プログラム)があると。それでは足りないと訴えるシンガポール企業が9月、日本に上陸した。2019年創業のインテレクトだ。
スマートフォンアプリを介し、主に企業の従業員にメンタルケアを提供する。ストレスや不安への対処法、睡眠の質や自己肯定感を高める方法が学べ、コーチングも受けられる。アジアを中心に300万人以上が利用する。科学的な根拠を重視し、大学などとの共同研究にも熱心だが、売りはアプリ経由というカジュアルさだ・・・

・・・わが社の従業員はいま何を思い、欲しているのか。経済学だけでなく心理学の視点もないと、経営は回らない。米国を見てみよう。
セクハラ問題に対する会社の対応が手ぬるいと、グーグル従業員が各地でストライキに踏み切ったのは18年だ。19年にはアマゾン・ドット・コムの従業員たちが環境保護を徹底せよと会社に株主提案した。この年のある従業員アンケートでは、75%が「自分たちには雇用主の方針に反対する声を上げる権利がある」と答えている。
経営者が直面するのは「物言う従業員」に限らない。「物言わぬ従業員」からも目を背けられない。米ギャラップが9月に公表した調査によると、米国では働く人の半数が「静かな退職者」だ。
実際に会社を辞めるのではない。行動を起こすほど強い不満はないが、仕事への熱意もない。最低限の業務をこなすだけ。コロナ禍で在宅勤務が広がり、薄れた会社との結びつきが背景にある・・・

・・・教科書に正解が書いてあるような問いではない。アプローチはいくつもあり、模索が会社を鍛える。ソフト開発のコンピュータ技研(大阪市)はヒントになる。
約130人が働く同社は、社員が自分の給与(年収)を自己申告して決める仕組みを20年から段階的に導入してきた。社員はまず、自分が業務や社風にどう貢献できるか、人生の目標とどう関わるかなどを専用シートに記載する。そういう自分に対する会社からの「投資」として給与額を求める。
シートの中身について社員とマネジャーが対話した後、松井佑介代表取締役とマネジャーによる投資準備委員会で各社員への投資の可否を判断する。認められれば松井氏と役員からなる投資委員会で最終決定だ。準備委員会を通るまで、社員はマネジャーと対話して納得のいく着地点を探す。
制度の導入後、社員の7割で年収がアップし、全社の人件費は三千数百万円増えたが、手応えもある。ずっと1~2%台だった営業利益率が4%を超えた。離職率も下がった・・・

市町村アカデミー「フォロワーシップによる組織づくり」で講義

今日は、市町村アカデミー、「フォロワーシップによる組織づくり」で「働き方改革と業務改善」を話しました。
小野善生先生は、フォロワーの視点からリーダーシップ論を研究しておられます。これは、鋭い視点です。フォロワーのいないリーダーは、成り立ちません。

良いリーダーは、良いフォロワーによって支えられています。これは、私の体験からも導き出した法則です。私が仕事ができたのも、良い部下たちに支えられたからです。
そのような部下がいないと、上司は空回りします。助さんと格さんがいないと、水戸黄門様は活躍できません。徳川四天王がいたから、家康は天下を取り、名君になりました。

もう一つ、組織論では、上意下達(トップダウン)と下意上達(ボトムアップ)が説明されますが、多くの組織では、ミドルアップダウンで成り立っています。すなわち、中間管理職が多くの通常業務を判断しています。
トップダウンとボトムアップはごくわずかで、その場合もトップからの指示を解釈して部下に伝え、部下からの報告と相談に対応しています。この人たちがしっかりしているかどうかで、組織の強さは決まります。
するとリーダーの役割は、中間管理職をどれだけ意欲を持って働くように仕向けるかです。放っておいても、良い部下は育たず、四天王は集まりません。ここに、部下を育てる、部下に仕事をさせるリーダーシップ論、管理者論があります。

円安でも買われない日本企業

10月14日の日経新聞オピニオン欄、レオ・ルイス、ファイナンシャルタイムス・エディターの「円安でも買われない企業」から。
・・・だが、今回の規制緩和で日本に戻ってくると期待されている外国人は観光客だけではない。米国や欧州に拠点をおくファンドマネジャーなどの投資家も久々に日本に再び出張してくると思われる・・・しかし、だからといって彼らのファンドの投資ポートフォリオにおける日本株の比率が高くなる可能性は引き続き低い。

日本企業への投資が増えないのには理由が4つある。
第1は、今の円安は日銀が超緩和策に固執し、米連邦準備理事会(FRB)の利上げ政策と乖離してしまっているのが原因だが、日本の株式市場が割安な水準にあり続けているのには、もっと本質的な理由がある。
日本はそもそも天然資源に恵まれず、高齢化問題を抱え、エネルギー政策は福島第1原発事故以来この10年、ほぼ何の進展もなく、こうした問題が日本経済をむしばみ続けている。故安倍晋三元首相は「日本は変わりつつある」と国内外にアピールするのに成功したが、岸田氏はそうしたメッセージを全く発信できていない。
第2の理由は、日本市場には利益率が高く多様な企業が多く存在するにもかかわらず、国内の投資家が触手を伸ばさないことにある・・・

・・・今回、コロナ禍を経て海外の投資家が訪日しても日本企業に思ったほど投資しないと思われる第4の理由は、今後さらに3年待ってみても、日本が大きく変わると期待できる要素が全く見当たらないことだ。
今、多くの人が懸念しているように世界的な景気後退が起きつつある。日本企業の多くは抱える債務の規模が比較的小さく、多額の内部留保を積み上げてきたことからほかの国・地域ほど大打撃は受けそうにない。むしろ投資家には魅力的に映ってもいいはずだ。
まさにこうした「雨の日」に備え、晴れた日が何年続こうとも内部留保をせっせとためてきた。企業としての野心より存続を優先するやり方を貫いてきたわけだが、海外投資家はそんな企業は求めていない。
景気後退という嵐の中にあっても、あえて失敗を恐れずに果敢に挑戦しようという日本企業の姿を既に想像できないうえ、嵐が去ってもリスクを取ろうとはせず塹壕の中で縮こまり続ける姿を想像できるだけに日本企業を今が買い時だと考える海外投資家はいなさそうだ・・・

新しい政治の対立軸は

国政と中間集団」の続きになります。
政党や政治団体の機能について、長い間考えているのですが。政党は、日本社会の意見の違いを拾い上げているのか。また、労働組合は、なぜかつてほどの力を失ったか。知識人は、なぜかつてほどの影響力を失ったのか。新しく政党が対立するとしたら、どのような軸で対立するのかです。すると、日本社会には、どのような対立があるかを考えなければなりません。

戦後の日本では、「55年体制」といわれた、自民党と社会党の対立が政治の対立軸でした。保守と革新、右翼と左翼、親米と親ソ(ソビエト)とも言われました。しかし、冷戦が終わって、東西対立が消滅しました。資本主義対社会主義は対立軸でなくなりました。社会党が、存立基盤をなくしました。労働組合も、経済成長もあって、存在理由が希薄になりました。経営者対労働者も、対立軸にならなくなりました。

では、次の対立軸は何か。政治理論、目指す社会、政治勢力、政党を分かつ基準です。
私は、地方対都市が一つの対立軸だと考えていました。地方行政を仕事としていたことも、その理由にあります。もう一つは、借金を続ける現世代と、その借金を払わされるこれからの世代もあると思いました。でも、これらは主たる対立軸になりませんでした。

しかし、だんだんと社会内の対立が見えてきたようです。それは、これまでの政治理論とは、全く異なった次元のようです。その中の2つを取り上げましょう。
一つは、保守と革新です。といっても、かつてのような右翼対左翼、資本主義対社会主義ではありません。
極めて単純化すると、これまでの男社会、企業社会を続ける人たちが保守で、それを壊す志向が革新です。日本社会の行き詰まりは、これまでこの国を支えてきた男中心の社会、会社につくす生活態度に大きな原因があります。これを壊すことが、革新なのです。

もう一つは、社会にうまく適応できた人と、できていない人の対立です。正規対非正規に典型的に現れています。一億総中流は過去のこととなり、格差社会になりつつあります。その格差は、かつてのような単純な貧富の差ではありません。
引きこもり、不登校やいじめに遭った子どもも、入るかもしれません。このような、社会にうまく適応できなかった人たちは、政治勢力になっていません、なりません。この人たちの声をどう拾うか。労働組合はそれに失敗し、これらの課題はNPOが拾っているようです。野党には、その役割が期待されています。また、与党も政権を維持し、支持を広げるために、そのような新しい課題を拾うべきです。

このように見ると、日本社会と政治の停滞は、どのような未来をつくるのかについての合意や対立がないこと、そして現在社会の問題や対立を分析できていないことによるのでしょう。