リスクを取らない報道機関

9月5日の朝日新聞夕刊、藤田直央編集委員の「リスク取らぬ大手メディア、フランス人研究者の見立て」から。

フランス人のセザール・カステルビさん(36)。パリ・シテ大学准教授で日本メディアを研究し、フィールドワークで東京に滞在中です。高校生の頃から日本文化に関心を持ち、2010年代には東京大学に留学しながら築地の弊社でアルバイトもしていました。
最近の日本メディアの報道ぶりについて尋ねると、安倍氏が撃たれた7月8日、東京都心での「観察」から話が始まりました。
渋谷のカフェにいて事件にツイッターで気づき、新聞やテレビが街の声を取材するぞ、とすぐ地下鉄で定番の新橋へ。駅前SL広場で待っていると新聞の号外が配られ、取材も始まりました。
あるテレビ局の記者に近づき質問に耳を傾けると、「びっくりしましたか」と「今後が不安になりませんか」のふたつ。公人への暴力がこの事件で問われていると考え、取材で確認しているとカステルビさんは思ったそうです。
ところが事件の反響は旧統一教会批判、そして大手メディア批判へ。カステルビさんは驚きませんでした。「海外にある日本の伝統的な大手メディアに対する典型的な批判だったからです」。それは「リスクを取るのが苦手で当局の情報に頼りがち」と「横並びになりがち」のふたつです。

「読者にとっては多様な報道が大事なのに、日本の大手メディアは互いを気にしすぎでは。もしこんな事件がフランスで起きたら、大手紙でもリベラシオンやフィガロは踏み込み、ルモンドは慎重という違いが出ると思います」
もうひとつは、「ネットメディアと役割分担ができればいいが、大手メディアは旧統一教会批判に当初慎重だったのに、一気に積極的になったようです。ゼロか百かのバランスの悪さも典型的な批判対象です」ということです。

それでもフランスとの違いを感じるのは、「世間」という存在だそうです。「社会と個人の間にある地域や会社、学校などでの人のつながりは、もちろんフランスにもあります。でも日本の『世間』には異なる人を追い出すような厳しさがある。大手メディアはとりわけ事件報道でその『世間』の意識に影響を与えてきました」
いまやSNSの方が影響力があるのではと聞くと、「そう思います。しかも日本の『世間』のあいまいさと、SNSでの匿名性の高さはつながりが深い」。14年に総務省がまとめた調査結果では、ツイッターの利用は匿名でという回答が日本では75%。フランス(45%)、米国(36%)、韓国(32%)を大きく上回っています。
そんな日本で大手メディアの生きる道は。カステルビさんは「説教と思われたくないのですが」と前置きし、こう語りました。
「人口減で市場が縮む日本で、新聞社は経営が大変でリスクを取りにくいでしょう。でも萎縮すれば何も伝わらず、読者はネットへどんどん流れます。SNSの時代に伝統的な大手への批判は必ず来ます。批判を恐れず、何を誰に伝えるかを意識してリスクを取る。批判されてもやるという誇りを持ち、存在感を示すことです」

対立と止揚と

「正反合」、「止揚」という言葉をご存じでしょうか。ドイツの哲学者であるヘーゲルが弁証法の中で提唱した概念で、簡単に言うと「矛盾する要素を、発展的に統一すること」です。この言葉は大学時代に習いましたが、「そんなものか」程度にしか理解できませんでした。

今から振り返ると、官僚生活で何度もそれに該当する事態に出くわしたことがありました。当事者間で意見が対立し行き詰まった際に、全然違った観点から解決策を提示してくれる人がいたり、それを思いつくことがありました。裁判のように、どちらかが勝って、相手が負けるという解決ではありません。双方が、完全には納得しないとしても、それなりに納得する結論です。

簡単なのは、足して二で割るですが、これは止揚にはならないでしょう。
もう一つは、時間軸で解決することです。例えば、短期的にまずやることと、長期的に解決することに振り分けるのです。資金がないけれど行わなければならない事業がある場合、借金をしてまず事業を行い、その借金を時間をかけて返していくことが分かりやすいでしょうか。

5月3日の日経新聞経済教室で(古くてすみません。書き始めて途中で放棄してあったのです)、楠木建・一橋大学教授が「厄介ものを「白鳥」にする」の中で、経営者と従業員と株主の3者の関係を説明しておられます。短期的には、賃金を増やせば利益が圧迫されます。配当を増やせという株主に対して経営者は防御姿勢を固めます。株主は合理化のためのリストラを歓迎しますが、従業員にとっては迷惑な話です。3者の利害は相反します。
しかし、時間軸を長く取ればこの対立は解消します。経営者が長期的に稼ぐ力がある商売を作り上げると、雇用が生まれ賃金も増えます。従業員が力を合わせ能力を発揮すれば、ますます強くなります。結果として株価も上がり、株主も果実を手にできます。そこで楠木教授は、従業員が株を保有していると、短期的な対立は解消され、みんなが豊かになる関係になると説明されます。

ロシア、プーチン体制を支持する中産階級

9月5日の日経新聞夕刊に、斉藤徹弥・編集委員の「長期化するウクライナ侵攻 ロシアの社会構造にも一因」が載っていました。

・・・ロシアがウクライナに侵攻して半年たちました。戦争が長期化する一因にプーチン大統領を支えるロシアの社会構造があります。一般に中産階級は民主化を志向するとされますが、ロシアの中産階級は必ずしもそうではないようです。

旧ソ連や中東欧の中産階級について分析した米国の政治学者ブリン・ローゼンフェルド氏は著書「独裁的な中産階級」で、ロシアのような非民主主義国では、国営企業や公務員など国営部門で働く中産階級は独裁を支持する傾向にあることを明らかにしました。
ロシアでは中産階級の6割が国営部門で働いています。民主国家なら民主化の要になるはずの中産階級がプーチン体制を支えている構図です。歴史社会学の立場からロシアを研究する鶴見太郎・東大准教授は「仮にプーチン氏が交代しても、同じような人物を求める社会構造になっている」と指摘します。
これはソ連崩壊後の30年で形成されました。大統領への信頼度は議会と同様に低迷していましたが、プーチン氏が強権的な体質を強めるにつれ、皮肉にも信頼度は高まってきました・・・

・・・鶴見氏はロシアの社会構造も、欧米諸国と同様なグローバル社会につながる層とローカル社会に生きる層の対立とみます。ローカルな人々による反グローバリズムの動きは、欧米ではトランプ現象などのポピュリズム(大衆迎合主義)を生み、ロシアのような権威主義国では独裁を支えているという見方です。
グローバル社会は一定の条件がそろえば誰でも参入できる普遍的なものです。しかし、途上国などは条件をそろえにくい場合があり、結果的に排除された人々が別の社会を形成すれば二極化してしまいます。
ポピュリズムも独裁も、処方箋はグローバル社会の普遍原則を守りつつ、排除につながらないよう工夫していくことという鶴見氏。「グローバル社会の構造を根気強く少しずつ変えていかなければならない。1世代、2世代で変わる話ではない」としています・・・

ウェブ版の記事には、より詳しい話が載っています。

般若心経「ぎゃてい、ぎゃてい」

9月9日の肝冷斎に、「般若心経」の最後の「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提娑婆賀」(ぎゃてい、ぎゃてい、はらぎゃてい、はらそうぎゃてい、ぼじそわか)が載っていました。
仏式の葬式や法事の際にお坊さんが唱えられるのを聞いて、子どもの頃から、不思議な言葉だなあと思っていました。日本語にはない響きです。

で、インターネットで調べてみました。マントラの一つ。
意味は、「行こう、行こう、真実の世界に行こう、みんなで共に行き、仏の悟りを成就しよう」。サンスクリット語を漢訳せず、漢字で音写したもので、漢字に意味はないとのこと。
マントラは、サンスクリットで「文字」「言葉」を意味する。真言と漢訳され、大乗仏教、特に密教では仏に対する讃歌や祈りを象徴的に表現した短い言葉を指すとのことです。

子どもの頃に、家族で奈良薬師寺に初詣に行ったことがあります。高田好胤さんが、堂内で法話をしてくださり、最後に、みんなで合唱させられました。
それが、「行こう行こう幸せの国に行こう。みんなで行こう」というようなものでした(記憶は不確かです)。声が小さいと、再度合唱させられました。みんなの大きな声が、堂内に響き渡りました。そして、お参りした功徳があったような気がしました。これだったんですね、納得しました。

日本社会の意識がつくる孤立する家族

9月5日の朝日新聞文化欄「元首相銃撃 いま問われるもの」、岡野八代・同志社大学教授の「家族が負う、政治が放棄した責任」から。

安倍晋三元首相への銃撃事件を起こした山上徹也容疑者は、家庭環境への不満や孤立感をSNSにつづっていた。ケア労働と家族の関係に詳しい政治学者の岡野八代・同志社大大学院教授は、事件の背景に「子育ての責任は家族が負う」という日本の家族観があると指摘する。

――事件の背景には「閉じられた家族」の問題があると主張されています。どのような意味ですか。
まず伝えたいことがあります。日本では事件が起きたとき、その社会的背景について言及すると、「容疑者を擁護している」との批判がでてきます。しかし、個人の罪を司法が裁くことと、その背景にある問題を論じることはまったく別です。社会的背景を考えることは市民一人ひとりの重要な責任ですし、政治家には政治的責任について考える義務があると思います。

日本では家族のことは家族任せとし、他の家族にはなるべく介入しない社会が築かれてきました。報道を見ると、山上容疑者の母親は旧統一教会(世界平和統一家庭連合)の活動にのめり込み、子どもたちの世話もできなくなった。それなのに、家族は固く閉ざされ、外からの支援が受けられなかった。家族は、子どもや高齢者といった社会で最も弱い人を抱える集団であることも多い。その家族に対し、すべて自分たちで責任をとれというのは、政治のありかたとしていびつです。

――自己責任論が子育てに対する家族の責任を強めることになるのですか。
未成年は経済的に誰かに依存して養育・教育されるので、自己責任論は例外なく家族責任を重視することになります。山上容疑者は、家族の外に支援を求めることができず、孤立を深めた。彼は崩壊した家族や、母親が作った負債に責任などとれないわけです。
自己責任論の問題は、本来とることができない責任を個人にとらせようとすることです。彼一人が思い詰めることのないよう、学費の支払いや悩みを聞くような社会的支援があるべきでしたが、国は責任を放棄していた。自己責任論には政治責任を免除する効果があり、それこそが問題の核心です。