9月16日の朝日新聞オピニオン欄、デイビッド・ブルックス、ニューヨークタイムス・コラムニストの「見知らぬ人との会話 不安は思い込み、もっと幸せに」から。
ある日、ニコラス・エプリー教授はシカゴ大学のオフィスに電車で通勤していた。行動科学の専門家である彼は、社会的なつながりが私たちをより幸せにし、健康にし、多くの成功をもたらし、幸福な人生へと導くことを理解している。ところが、電車内を見渡して気づいた。誰かと話をしている人が一人もいないのだ。みんなヘッドホンをしているか、新聞を読んでいるかだった。
そこで疑問が浮かんだ。私たちは一体ここで何をしているんだ? 自分を幸せにしてくれる行動をなぜ取らないのだろう。
エプリー氏は、人々が電車や飛行機で知らない人と会話するのを嫌がる理由の一つが、それが楽しいものになると思っていないからだということを見いだした。気まずく、退屈で、疲れるものだと信じているのだ。あるオンライン調査では、待合室で見知らぬ人と話すと答えた人はわずか7%で、電車でも24%しかいなかった。
しかし、こうした予測は正しいのだろうか。エプリー氏の調査チームは、これについて数年間研究を続けてきた。彼らは人々に見知らぬ人との出会いについて予測をしてもらい、その後、実際はどうだったか尋ねた。
調査チームは、私たちのほとんどが見知らぬ人との出会いをどれほど楽しめるかについて、体系的に誤った思い込みをしていることを突き止めた。知らない人と会話をしようとすると快適さが損なわれると通勤者らは考えたが、実際の体験は正反対だった。見知らぬ人と会話することを指示された人たちは一貫して、人と話さないように言われた人よりも道中を楽しんだ。内向的か外向的かを問わず、一人で乗車するより会話を楽しむ傾向があった。
こうした誤認識の多くは、さらに深い誤解に基づいている。それは、人が自分をどう見ているかということだ。会話を始めることは、特に知らない人との場合、難しい。「うまく会話を始められるだろうか。自分の考えを効果的に伝えられるだろうか」と、自分の能力に疑問を抱きながら会話を始めるのだ。
だが、調査からわかるのは、会話中に人はあなたの力量を第一に考えているわけではないということだ。考えているのはあなたの温かさだ。親しみやすく、親切で、信頼できる人に見えるか。あなたが気にかけてくれているのかを知りたいだけなのだ。
エプリー氏の研究は、私がしばらく考えていた謎を解き明かしてくれる。私たち物書きの多くは社会的なつながりの崩壊について書いてきた。最近では「孤独の世紀」「つながりの危機」「失われたつながり」といった題名の本が出版されている。
孤独な人がたくさんいるのなら、なぜ一緒に過ごさないのだろう。それはおそらく人々が非現実的なほどの不安と否定的な予測を抱きながら見知らぬ人に向き合おうとしているからだ。このことを理解すれば、私たちは行動を変えることができるかもしれない。