実用社会学への期待

連載「公共を創る」で、社会を見る際に公私二元論ではなく、官共業三元論で見ることを提唱しています。官は政治行政で二元論での公で、業は市場経済で二元論での私です。共は、狭い意味の社会であり非営利の世界です。この三つが、私たちの暮らしを支えています。

官については、政治や行政がどうあるべきか、政治学や行政学があります。業についても、経済学や公共経済学で、市場がどうあるべきか、政府はどのように介入すべきかについて大きな蓄積があります。
ところが、共(狭義の社会)については、私たちの暮らしをよくするためにどうあるべきか、政府はどのように関与すべきかを総合的に議論をしたものはないのです。少子高齢化、格差、孤独、子どもの貧困などについて、社会学は社会の問題を発見し、提起してくれます。そのような個別問題は扱うのですが、それらをまとめて議論した教科書や概説書はないのです。

社会学が、哲学のような深遠な議論をするものから、格差や孤独など身近にある具体問題を扱うものまで、様々なものを含んでいます。その全体像を系統的・分類的に示すことは難しいでしょう。私が期待するのは、社会学のうち「実用の学」と思われるものを集めて、分類し、それらを全体的に議論することです。
政治学、経済学(の一部)が「実用の学」であると同様に、社会学にもそれを期待したいのです。「公共社会学」という学問分野の考え方もあるようです。それが発展することを期待します。

依存こそ人間の強み

日経新聞夕刊連載「人間発見」、熊谷晋一郎・東京大学准教授の「気軽に依存しあう社会に」から。

第1回(8月8日
私とはいったい何者なのか。生きづらさを和らげる解は自分自身の探求にあるのではないか。生まれてすぐ脳性まひを患い、障害を持ちながら小児科医に。東大で「当事者研究」という学術分野を切り開いた。

1977年生まれで、「障害とは何か」という思想の大転換を経験した世代です。
かつて障害とは障害者自身の問題であり、訓練や治療で社会適応を目指すべきだと考えられていました。60年代以降の障害者運動や81年の国際障害者年を機に、障害とは多数派である健常者向けに最適化された社会環境と、少数派の障害者とのミスマッチで生じる不利益だとの考えが広まりました。障害とは体の「中」に存在するのではなく、「外」の環境によって発生するということです。

第4回(8月12日
自身の抱える問題を観察し、説明する当事者研究は、もともと北海道浦河町にある社会福祉法人「浦河べてるの家」で01年に始まったものです。幻覚や妄想を持つ精神疾患の当事者が、支援者や仲間にサポートされながら生み出した「自分助け」の方法です。
研究に決定的な発見をもたらしたのは、薬物依存症からの回復支援施設「ダルク女性ハウス」との出会いでした。アルコールや薬物といった物質に依存するのは、裏を返すと、心に傷を負って人間不信になり、他人に頼れない状態のなかで生き延びるためだと気付かされました。近代の社会は自立や自己決定を善としますが、ヒトという種は元来1人では生きられず、依存しあってギリギリ生命を保ってきたのです。
依存は人間のお家芸であり、強みです。愚痴ったり、できないことを手伝ってもらったりするのが当たり前の姿です。自立とは依存先を増やすことだ――。目からうろこでした。

さらに検討を求める人

最善の策と次善の策」の続きです。
賛成派と反対派がいて決着がつかない場合、あるいは問題点を指摘して(代案を出さないので)先に進まない場合があります。
このような場合に、「さらに検討しよう」と収める人がいます。困ったことです。ちっとも収めたことにならないのです。先送りしただけです。「あの人は慎重だ」ではなく、「あの人は決断できない人だ」なのです。

企業の場合は、新製品や新しいサービス開発で、このようなことを言っていると、競争相手に先を行かれ、負けます。
行政の場合は、「地域独占企業」であり、「先送りの罪」「不作為の罪」が見えにくいこともあって、しばしばこれが「決着」とされる場合があります。目の前に困っている人がいる場合は、先送りは罪です。

佐々木毅先生。日本政治、改革か後退か

朝日新聞文化欄連載「語る 人生の贈りもの」、佐々木毅・元東大教授の発言から。

第10回(8月9日
《海部内閣は自民党内の反発で政治改革に挫折し、91年に総辞職。バブル経済も崩壊に向かう》
平成初期の日本社会はエネルギーに満ち満ちており、力余って金権政治やバブル経済の問題を生みました。ただ、課題に立ち向かう政治改革のパワーも持ち合わせていました。

第13回(8月12日
第2次安倍政権下で首相官邸の力が強まりましたが、今度は後継の人材難に直面しています。官邸主導で政党の地位も議員の地位も下がり、自民党本部で何をしているかがよく見えない。政党は本来、人材育成や政策立案などに果たすべき役割は大きいのです。

まずは国会運営の改革が不可欠です。通年国会として野党議員の質問ばかりではなく、与党議員がもっと表舞台で働く。代わりに首相や大臣の出席を減らし、独自の調査機能を強化する。議院内閣制下の政府与党一体化を弱め、パーラメント(議会)が政策の質を上げるためにキャビネット(内閣)を厳しくチェックすべきです。

冷戦後に政治改革を進めた日本には、先進国クラブから脱落しかねない危機感があった。民間政治臨調や21世紀臨調を立ち上げて超党派の知恵を持ち寄り、粘り強く政策提言を続けました。
今また改革か後退かの瀬戸際にいます。諸学の知恵を生かして議論を重ね、よりよい政治を目指す。学問も言論も、積極的な政策提言により行き着く先は一つです。

8月も半ば

8月も15日、半分過ぎました。
8月1日に、「8月は学校が休み、勤め人にとってもお盆休みなどがあり、ふだんできないことが、できる時です」と書きました。
さて、皆さんはどうですか。ゆっくりと休めたでしょうか、計画したことができたでしょうか。コロナウイルス感染拡大と、例年にない猛暑で、なかなか思うようにはいきませんね。
半月、2週間って、早いですよね。

私は、手帳を見ると毎日それなりにやっているのですが、思ったほど進んでいません。いろんなことに、手を出しすぎのようです。そもそも、ゆっくりすることと、原稿執筆を頑張ることと、ふだん読めない本を読むことは、同時には成立しませんわ。そして、冷たいビールは、おいしいし。困ったことです。
でも、まだ半月残っているので、いろんなことができますよ。