マスク氏、週40時間の出社を求める

米電気自動車大手テスラのイーロン・マスク最高経営責任者(CEO)が従業員に対し、少なくとも週40時間はオフィスで働くよう求めたことが報道されました。
・・・米ワシントン・ポスト紙が確認したテスラ従業員向けの5月31日付のメールで、マスク氏は週40時間の出社を求めたうえで、「もし姿を見せなければ、あなたが辞職したとみなす」と述べた。週40時間は、1日8時間勤務だと週5日出社することになる。同紙によると、マスク氏は宇宙ベンチャー「スペースX」の従業員にも同様のメールを送ったという。
テスラ従業員向けのメールでは「あなたがより地位が高いほど、あなたの存在は可視化されるべきだ。だからこそ私もずっと工場に住んでいた」としたうえで、「そうしていなければ、テスラはずっと前に破綻していた」と述べた。
マスク氏は「こうした要求をしない企業もあるが、彼らが最後に偉大な新製品を出したのはいつか?」とも明記。
「テスラは地球上で最も興奮する、意義のある製品を生み出してきたし、これからもそうしていく。これは電話をかけるだけでは起きない」と訴えた・・・(2022年6月2日、朝日新聞ウエッブニュース

パーソル総合研究所の小林祐児・上席主任研究員へのインタビュー「週40時間出社 マスク氏発言 理解の鍵は米国のオフィス回帰」(6月2日、朝日新聞ウエッブニュース)から。
――マスク氏の発言をどう受け止めますか
前提として、米国は新型コロナウイルスの感染が拡大する前から、テレワークの先進国でした。
国土が広いために自動車出勤が中心で、皆が同時刻にオフィスに集まるため、都市部では渋滞問題が深刻でした。
会社側が交通費を支給するという慣習も薄いので、ガソリン代節約という目的も相まって、1990年代から徐々にテレワークの導入が進んできています。
一方で、「場所を大事にする」という考えも根強くあるのが米国です。
象徴的なのが、アップルやグーグルなど世界的な企業を生み出したシリコンバレー。この場所には、今でも世界中から起業家や優秀なIT技術者が集まります。
マスク氏の発言を理解する鍵は、ここにあると思います。

――どういうことでしょう
テレワークが良い悪いという単純な議論ではなく、「革新的なイノベーションには人と人との物理的な近さが必要だ」という考え方です。優秀な人材が集まり、顔を合わせて議論することで、イノベーションや新しいアイデアが生まれる。こうした考え方を背景に、実はコロナ禍の前から「オフィス回帰」の流れは起きていました。
特にオフィス回帰が顕著だったのは、IBMや米ヤフーなどのIT業界です。
IT業界は仕事自体がテレワークとの相性が良い分、テレワークの実施が進みすぎた。各企業が、新しいアイデア出しやイノベーションの停滞感を抱えることになり、「テレワークではなくてオフィスで働く」という揺り戻しがこの10年あまりで出てきています。
マスク氏の発言の根底にあるのは、このように「イノベーションや新しいアイデアを生むためには出社することが必要だ」という価値観だと思います。

「ちゃんと勉強しないとこういう鉄工所で働かなあかんようになりますよ」

朝日新聞ウエッブニュース「「3K」鉄工所を変えた引率教諭の一言 「ちゃんと勉強しないと…」」(2022年6月21日)から。

大阪府南部、岸和田市の「廣野鐵工所」。1945年創業の農機具部品メーカーで、社員は約150人。クボタのトラクターの部品などを製造している。
3年前、民間団体が選ぶ「日本で一番大切にしたい会社」の審査委員会特別賞を受賞。その翌年には中小企業庁の「はばたく中小企業300社」に選ばれた。
企業理念の最初に掲げるのは「社員の成長と幸せづくり」。決して大げさには聞こえない。

社長の廣野幸誠(ゆきせい)さん(65)に尋ねた。「なぜ、社員のためにそこまでできるのでしょう」
2006年に社長に就いた廣野さん。「実はですね……」。決して忘れることのない約40年前の出来事を語った。
当時の廣野鐵工所は大阪府泉大津市にあった。ある日、近くの小学生が工場見学に訪れた。入社間もない廣野さんが出迎えた。地元の子どもたちに会社のことを知ってもらうチャンス。作業工程をわかりやすく説明し、お土産にノートやペンを手渡した。
工場見学の最後に、引率していた若い女性教諭が言った。「さあ、お礼を言いましょう」
「ありがとうございました!」
子どもたちの元気な声に廣野さんはホッとした。だが、教諭の次の一言に耳を疑った。
「みなさん、いいですか。ちゃんと勉強しないとこういう鉄工所で働かなあかんようになりますよ」
驚きと怒りに全身が震えた。でも、言い返すのは子どもたちの手前、我慢した。教育委員会には「二度と工場見学は受けない」と伝えた。
ただ一方で、「たしかにそうかもな」と教諭の言葉を受け入れる感情が、徐々に芽生えた。

会社の工場は当時、「きつい」「汚い」「危険」と、3Kそのものだった。
溶接の油のにおいが充満し、あちこちから立ち上る油煙で工場の向こう半分は見えなかった。小さな扇風機しかなく、夏は作業服を脱いでランニングシャツ1枚で働く作業員が多かった。
このままではあかん、会社を変えなくては――。当時社長だった廣野さんの父元吉さんと改革を始めた。
最新の機械を導入し、若手社員でも短期間で戦力になれるようにした。若手社員はどうすれば定着してくれるのか、社員の満足度はどうやったら上がるのかを考え続けてきた。たどり着いたのは、会社に社員の居場所を作る、社員のがんばりを会社が認めることだった。

40年前の女性教諭の一言が、会社を変えるきっかけになった。「今ではあの先生に感謝しています」。心からそう思っている。

起業は、組織力より個人の力

6月9日の日経新聞オピニオン欄、村山恵一さんの「起業立国、土台は個の力」から。

・・・日本のベンチャーキャピタル(VC)は独特の歴史を歩んできた。決定打は1987年の日本合同ファイナンス(現ジャフコグループ)の株式店頭登録だと同社出身で日本のキャピタリストの草分けである村口和孝氏は訴える。
起業立国で世界のモデルとなった米国では、投資の主体はキャピタリスト個人だ。ところが日本では、証券会社や銀行が70年代以降に設けた「VC会社」が主役になった。大手のジャフコが公開企業となり、組織的な管理をするVCが業界標準として定着した。
スタートアップは本来、先行きが見通しにくいものなのに、ジャフコでは事業が成功するエビデンス(証拠)探し、審査作業に膨大な労力を割いたという。起業家という個人の柔らかい創造性を企業統治の硬い論理で扱おうとした。
「こちらも個人でないと思い切った判断ができない」。村口氏は会社を辞めて98年に自らファンドをつくる。翌年、投資したのが創業間もないDeNAだった。

4年前、ジャフコは会社組織型からキャピタリスト個人が主軸の体制に転換すると表明したが、日本は世界的に異質なサラリーマンキャピタリストがなお圧倒的だ。事業会社がつくるコーポレートベンチャーキャピタル(CVC)もノンプロを増やしている。村口氏の見立てでは、深い経験のあるキャピタリストは日本にせいぜい100人。「この10倍はほしい」
不足を補うように政府の実行計画は、海外のVCに対する公的資本の投入を盛り込んだ。経団連も世界有数のVC誘致を提言する。幾人か内外のキャピタリストに聞いたが、そう簡単ではない。
最前線で活躍するキャピタリストは自身の才覚を頼りに活動し、投資の成功で巨額の報酬を手にする専門職だ。明快なキャピタルゲイン税制などの仕組みが整わず、思い切った仕事ができるのか不透明な日本は魅力的ではない・・・

企業に対する意識を調査した結果が図で載っています。「事業を始めるのに必要な知識やスキル、経験がある」と回答した割合は、インドが80%超、アメリカが60%超、イギリス、スウェーデン、フランスが約50%、ドイツが約40。日本は約10%です。大企業で勤めることを目標としてきた国民意識、そしてそれで成功してきた経済界が、裏目に出ています。

暑い東京

25日土曜日、26日日曜日の東京は、とても暑かったです。最低気温が25度、最高気温が35度を超えました。風が強かったのですが湿度も高く、生暖かい風で涼しくなりませんでした。
皆さんのところは、どうでしたか。40度を超えたところもあったとか。まだ6月なのですが。

今年初めて、冷房を入れました。切羽詰まった連載原稿執筆やオンライン会議で、書斎にこもる必要があったのです。冷たいシャワーも、気持ちよかったです。

外出時は人混みでない限り、マスクを外しています。とてもじゃないけど、常時マスクをしていられません。
肝冷斎は、炎天下の野球観戦に行ったようです。熱射病で倒れていないかなあ。

町工場での外国人労働者

6月13日の朝日新聞夕刊「カモン東大阪、海外の人材」から。

・・・ものづくり大国ニッポン。その大きな拠点が、大阪の東大阪市です。浜名湖ほどの面積に、およそ6千の町工場。工場の集積度は日本ナンバー1です。
東大阪市役所で国籍別の人口推移を見せてもらいました。1980年まではゼロだったベトナムの方が2020年には3千人超えです。ほかの国の方もたくさんいるようです。

ぜったい、町工場で働いている人がいるはず。
私、自転車で巡ります。
まずは「三共製作所」。
創業は1929年。航空機、自動車などの部品をつくる。
この会社、ハンパない。
ベトナム、ネパール、ミャンマー、フランス、ガーナ……。従業員100人のうち6割が、外国のみなさんである。

共生のコツを松本に聞いてみると……。日本語で話し、同じ鍋を囲む。外国人同士でもパーティーを開き、銭湯に行くなど楽しんでいるとのこと。「そもそも、外国人の方が多いので、日本人が外国人の中に入らないと生きていけません、ハハハ」・・・