コロナ禍の結婚式

今日6月5日は、結婚式に行ってきました。コロナ禍での結婚式です。
神前での式では、参加者は新郎新婦を除いて、マスク着用。神主さんも巫女さんもです。巫女さんは、御神酒を注ぐときはビニール手袋をしていました。
披露宴は、双方の家族だけの会食です。大勢の人が参加して出し物がある会に比べ、すっきりしてこれもよい会でした。みんなが緊張せず、和やかな会でした。

電子化の進め方、いまだにフロッピーディスクが使われていた。

行政、企業、社会の電子化が叫ばれています。デジタル庁もできました。
ところで、4月に起きた山口県阿武町の臨時特別給付金10万円の振込先間違い(合計4630万円)事件では、まずは町役場から、フロッピーディスクで振込先と金額が銀行に伝えられたと報道されています。それとは別に、紙で間違った振込先と金額が伝えられたとのことです。これについても、大きな問題ですが。

ここで取り上げるのは、フロッピーディスクで送金依頼をしていることです。町役場にも銀行にも、フロッピーディスクを読み取るパソコンなり機械があることです。電気店に行っても、そんなパソコンを売っていないでしょう。若い人は、フロッピーディスクを見たことがないと思います。個人が使っているならともかく、役場や銀行が使っていることは、驚きです。
さらに官庁では、安全のためにパソコンにUSBメモリなどを接続することを制限しています(記憶媒体接続の危険)。そのようなサイバーセキュリティは、どうなっているのでしょうか。
フロッピーディスクで依頼した後に紙で間違った依頼をしたこととともに、これらの事実を究明して、再発防止策をとってほしいです。

デジタル化の旗を振るのも良いですが、このような自治体や銀行をなくさないと、社会の電子化は進まないでしょう。参考、朝日新聞アエラ2022年5月19日「4630万円誤送金で脚光浴びた「フロッピーディスク」 絶滅どころか公的機関でいまだ“現役”の事情

6月、肝冷斎カレンダー

6月になりました。肝冷斎のカレンダーも更新されました。今月は、不快な害虫たちだそうです。間違い探しの付録もついています。拡大して印刷して、子どもさんと挑戦してください。

絵を見ると、あまり不快ではありません。また、トカゲやカタツムリ(でんでん虫)などを害虫に入れたら、かわいそうです。
明日香村ではよく見かけたカタツムリ、東京では見かけませんね。アジサイの季節には、必ず葉っぱの上にいました。アリジゴクも、お寺の本堂下にたくさんいました。ムカデや蛇も、家の中で畳の上を歩いていました。

社会目標の再設定

連載「公共を創る」で、日本社会の不安とその解消方策について考えを書き続けています。ジャパン・アズ・ナンバーワンと呼ばれ、世界から高い評価をもらった経済成長期から一転して、失われた10年は30年になりました。その間の経済力の低下は甚だしく、給料は上がらず、非正規労働者が増加し、社会に元気はありません。

ところが、野球、サッカー、テニス、ゴルフを始めスポーツ選手の国際的活躍は素晴らしく、芸術分野や科学研究分野でも個人の活躍には目を見張るものがあります。
「日本は元気がない」と言われますが、そうではないのです。うまくいっている分野とそうでない分野があります。これらスポーツ、芸術、科学技術分野の成功も、個人が根性で頑張っている結果ではなく、組織として育成し、世界で挑戦しているからです。

ここから導かれる教訓は、次の通り。
1 停滞している日本ですが、活躍している人や組織もあること。
2 他方で経済産業や政治の分野で、うまくいっていない。批判はされているが、それが転換に活かされていない。日本全体を見て、社会目標の再設定に失敗している。
3 かつての経済成長のように、国民みんなに共通する目標はあり得ず、多様な生き方になるのでしょう。しかし、それは「各自が自由に行動せよ」という放任ではないでしょう。
4 すると、国民が多様な目標に挑戦できるように、活力があり安心できる社会をつくることが、国家と国民の目標になります。

連載「公共を創る」119回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第119回「「戦後民主主義」の罪」が、発行されました。

日本は戦後、日本国憲法の施行とそれに沿った民主的改革によって、主権在民にふさわしい民主主義を手に入れました。それは基本的人権の尊重、法の下の平等、生存権の規定などとともに「この国のかたち」をつくり、経済発展と併せて、その後の国民の幸せをもたらしました。しかし、徐々にその民主主義の運用の難しさが出てきて、輝いていた「戦後民主主義」は批判の対象に転化しました。

一つは、平和主義です。それは崇高な理念と国内では理解していたのですが、有事の際には他国に守ってもらう、そして世界で経済的利益を追求しながら世界の紛争には関与しない一国平和主義でした。それが破綻し、国際社会で物笑いになったのが、1991年の湾岸戦争です。
もう一つは、世論への迎合です。さらに「結果の平等」を求めるあまり、多様性を認めず、目立つ人の足を引っ張ります。

国民識別番号の拒否も、変な話です。新型コロナウイルス感染拡大の際、各国はこの仕組みで個人の所得と口座の把握ができ、直ちに現金給付できたのに対し、日本はそれができませんでした。また、個人が特別定額給付金(1人当たり一律で10万円)をオンライン申請するときにも、マイナンバーカードが行き渡っていないので、円滑にできませんでした。
北欧では社会民主主義政党が行政手続きの効率化や平等社会の実現のために国民番号制度を進めたのに対し、日本では「進歩的で市民の立場に立っている」と主張する政党や勢力が導入に反対し続けてきたのです。

そこには、「政府は国民の敵であるという建前」からの議論があるようです。それでは「政府は私たちのものである」という意識が強くなりません。