『モモ』という童話を読まれたことがありますか。ドイツの作家ミヒャエル・エンデの作です。1973年にでていますから、私は大人になってから読みました。あらすじは、本を読むなり、インターネットで見てください。
大人たちが、時間を節約することに熱心になり、逆にゆとりをなくすという話です。現代社会の時間に追われる私たちを風刺しています。すばらしい内容なのですが、子どもには難しいと思います。
豊かになるための手段が、そのうちに目的になり、本来の目的が失われることがあります。お金がそうでしょう。豊かな生活を送るために、お金を儲ける。ところが、お金儲けが目的になって、豊かな生活が送られなくなるのです。時計もそうです。計画的な時間配分をするために作った時計。ところが、その時計によって私たちの行動が管理され、振り回されるのです。
最近では、スマートフォンが典型です。便利のための道具なのに、朝から晩までスマホに支配されています。
「常時接続」という言葉があります。専門的には、コンピュータが常にインターネットと接続状態にあることをいいますが、私たちの日常生活では、携帯電話やスマートフォンにメールや電話がいつでもかかってくることに使えます。
コンピュータの常時接続なら、自分の都合に合わせて使えばよいのですが、スマートフォンの場合はそうはいきません。時と所をかまわずかかってきます。無視すればよいのですが、気になって見てしまいます。持ち運びが簡単なので、屋外でも、電車中や歩きながらでも、応答します。「何か来ていないか」「すぐに返事しないと」と不安になるようです。そして、自分の時間を取られてしまいます。
スマホの画面を見て、指で操作をしていると、「何かをやっている感」があります。これもくせ者です。やっている感ですが、時間も脳もスマホに支配されています。時間泥棒は脳泥棒でもあります。
スマホにのめり込んでいると、人に会う、旅行に行く、本を読む、商店街に行く、運動をする・・・。そのような行動と選択をしなくても良いのです。自分の行動を支配されています。
便利さを求める。それは心身ともに豊かな生活を送るための道具だったはずです。しかし、見る人をとりこにする刺激的で面白い内容、いつでもどこでも使えるという便利さが、使う人から時間と考えることを奪っています。作った物に使われる逆説。
「すき間時間にできます」とは、そんなわずかな時間までもが、スマホに取られてしまうのです。究極の「時間泥棒」です。