副知事二人、追加で4人

新副知事二人」の記事に、意見が寄せられました。
「ほかに、同時期に一緒に仕事をした二人が、副知事になっています。滋賀県の江島宏治さんが昨年度から、愛知県の林全宏さんが4月から副知事に就任されています」と。失礼しました。

お二人は平成4年4月から、隣の財政課に出向してきていました。
交付税の算定は、交付税課と財政課の二つの課で行います。私は歳出担当課長補佐として、その二つの課の職員と一緒に、さらに各省関係はもう一つの調整室の職員と一緒に仕事をしていました。
この4人以外にも、県や市から来られた方で、副知事や副市長を務めた人もおられます。東日本大震災の際には、千葉・岩手県副知事、三浦・宮城県副知事に助けてもらいました。
副知事副市長でなくても、出世して活躍した方、活躍している人もたくさんおられます。が、一緒に働いた人が4人も同時期に副知事になられるのは、めでたいことです。

特別支援学校生の増加はよいことか

4月1日の朝日新聞オピニオン欄、菅原麻衣子・東洋大学教授の「特別支援学校生の増加 共生社会の視点で検証を」から。

・・・3月2日付の本紙で、全国の公立特別支援学校で3740教室が不足していることが報じられた。特別支援学校に在籍する子が10年前から16%増えたことを、文部科学省の担当者は「特別支援学校への理解が深まっているからでは」とコメントしたが、これには疑問を感じる。
なぜなら、世界の潮流は日本の逆をゆくからだ。障害のある子とない子が共に学ぶ「インクルーシブ教育」の進展が評価されている国では、特別支援学校・学級の設置は抑制の方向にある。通常の学校・学級で、いかに個別に支援し、学びやすい環境を提供できるかが追求されている。障害者の定義は国によって異なる面があり一概に比べられないが、日本はこのまま特別支援学校・学級の増加傾向に合わせて、施設の総量を増やすことに注力するのでよいのだろうか・・・

・・・問題なのは、日本ではなぜ特別支援学校・学級を選択する子が増え続けているのか、十分に検証されていないことだ。友達や先生に負担をかけるかもしれない、学校にエレベーターがないから……。それなら支援が手厚い特別支援学校・学級に行こう、と消去法や諦めから選択させていることはないか。増加した要因分析や評価が急務であると考える・・・

春です

新年度に入って、1週間あまりが経ちました。新入生や職場の異動があった人たちは、新しい暮らしに慣れましたか。まだ、少々早いですかね。

東京では4月に入り、雨の日や寒い日が続いていましたが、温かくなりました。
我が家の鉢植えの桜は、今年も花を咲かせています。孫と植えたチューリップが花を咲かせ始めました。玄関横の椿は先日最後の1輪を終え、今度は一斉に芽を出した若葉がきれいです。鉢植えの五色散り椿が、次々花を咲かせています。お向かいの花咲おじさんの庭は、水仙畑が終わり、花海棠が満開です。

市町村職員中央研修所の校内を散歩するには、よい季節になりました。校内には(ツツジなど低木を除いて)約700本の木があるそうです。ソメイヨシノは満開を過ぎ、八重桜のつぼみが大きくなってきました。楠やケヤキが、葉を出しています。

コロナ禍で行動が制約されますが、気をつけながら春を楽しみ、仕事に精を出しましょう。肝冷斎は、野球観戦に精を出しているようです。

やめる勇気、スポーツを楽しむ

3月30日の朝日新聞スポーツ面「勝利ばかり評価、日本社会の問題 山下会長が語る、小学生の柔道全国大会廃止」から。

・・・行き過ぎた勝利至上主義が散見される――。そんな理由で、小学生の柔道の全国大会が廃止されることになった。大会を主催する全日本柔道連盟(全柔連)の山下泰裕会長(64)に決断の理由を聞いた・・・

――大会にはどのような問題があったのですか。
「柔道の楽しみは、練習した技で相手を投げること。この大会では、勝つために組み手争いばかりしている試合もある、と聞いていた。そうすると、柔道の試合で勝つことだけが好きになってしまう」
「強いチームにもしっかり基礎を固め、子どもの自主性、安全に配慮しているところはある。だが、全体的には勝利志向が強すぎる。これは指導者の問題だけではない。試合に勝つことばかりを評価する日本社会の問題でもある。子どもたちにはのびのびと柔道をやってもらい、魅力を実感してもらいたい。柔道を好きになってもらいたい」
――全国大会の問題点はどこですか。
「トーナメントでは、勝者は優勝者1人。あとはみんな敗者となる。体が丈夫になった、友達ができた、新しい技を覚えた、と柔道をしたことがその子の人生にプラスになれば、全員が勝者になれる。小学生の全国大会があまりにも勝利にフォーカスされている状況はマイナスだ」
「苦しさを克服してトップを目指すのもスポーツの一部。もっと高みに挑戦したいと希望する人は、自らチャレンジすればいい。ただ、それは小学生のころに決める必要はない」

――廃止の決断は、他競技からも賛同の声が上がっています。
「同じような問題意識を共有しているのでしょう。世の中にスポーツ嫌いの人はいる。勝ち負けで、常に優劣をつける。それがスポーツ嫌いになる理由の一つではないだろうか」
「日本スポーツ界では、スポーツは若い人がやるもの、勝ち負けが大事、きつく苦しいもの、というイメージが強い。それを打破していかないといけない。スポーツは楽しいもの、自らやるもの、人生を豊かにするものになっていってほしい」

――そうした考えになるきっかけはありましたか。
「現役引退後にイギリスに留学した経験が大きかった。イギリスではスポーツが人々にとって身近だった。当時、私はまだ20代後半。時々通っていた柔道場には様々な人が来ていた」
「ある日、50歳くらいの方に練習の相手を頼まれた。軽く襟をつかんで、技をかけないでいると、『もっと真剣にやってくれ』と言う。けがをしないように足払いや腰技で軽く投げると、『きょうは最高の日だ。世界チャンピオンの技を体で感じることができた。受け身が気持ち良かった』と言われた」
「練習が終われば、パブ(酒場)でいろんな話をした。『なぜ、柔道をしているのか』と聞くと、『終わった後のパブが楽しいからだ』と。彼らのほとんどは、試合に勝つためにやっていない。だけど、みんなお金を払ってクラブに行く。それぞれの感覚で、スポーツを楽しんでいた」

――日本と欧州の違いを感じますか。
「日本ではコロナ下で『スポーツは不要不急』と言われた。我々のこれまでの努力不足、力のなさが原因だ。人はスポーツで人生の勝者になれる。そのために、まず楽しむことを知ってほしい。今回の廃止の決定が、その第一歩になってほしい」

連載「公共を創る」113回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第113回「生活への介入」が、発行されました。前回まで、政府の社会(コミュニティ)への介入について説明しました。今回から、個人の生活への介入について説明します。

社会は個人の集まりですから、政府による個人への介入は、社会への介入と重複することが多いです。ただし異なることは、社会はみんなに開かれた空間ですが、個人には秘密にしてほしいこともあります。プライバシー(私事権)です。
そこには2つのものがあります。一つは、私生活や家庭内のことを知られたくないことです。もう一つは、自分のことは、他人に指図されず自分で決めたいことです。
すると、政府による個人への介入は、次の2点で問題になります。一つは、家庭に入ってよいのか、入る場合はどのような場合かです。もう一つは、「放っておいてくれ」という人に、どこまで関与できるかです。

生活保護など社会保障は、本人が求めるので、関与しても大丈夫でしょう。しかし、家庭内暴力など虐待の場合は、家族は介入を求めておらず、さらに拒否する場合もあります。
自立支援も、難しいです。本人が望んでいない場合に、どこまで支援ができるでしょうか。すべきでしょうか。本人の行動と意思に関与することは、手法も難しいのです。
また、社会的自立への支援と言うことの原点には、子どもを一人前の社会人に育てるということがあります。これについてはほぼすべての人が同意するでしょう。では、現在社会で「一人前にする」とはどのようなことでしょうか。ここに、成熟社会での行政の役割転換が求められています。