白黒をつける、折り合いをつける

世の中には、意見が対立する場合や、利害が反する場合があります。あちらを立てれば、こちらが立たない場合です。

新型コロナ感染対策でも、人の動きを制限すれば拡大を防ぐことができますが、それは社会活動や経済活動を止めてしまいます。ウイルスが強毒性で感染すれば直ちに重症化するのなら、厳しい行動制限をするべきでしょう。国民もそれを支持すると思います。しかし、それほどの強毒性でない場合に、どこまで行動制限をするかが議論になります。
厳しく外出を制限する案とふだん通りに生活をする案と、どちらを取るのではなく、その中間で折り合いを付ける必要が出てきます。

答が白黒の二つに分かれている場合と、右端は白く左端が黒で境目がなく次第に色が濃くなっている場合があります。
時代劇にあるような善人(庶民)と悪人(越後屋と悪代官)がはっきりしている場合は分かりやすく、最後に悪人がやっつけられると、見ている人もすっきりします。数学の問題で足し算や引き算も正解と間違いがはっきりしていて、答は100点か0点かです。
ところが、私たちの日常生活は、白黒がはっきりしている場合は少なく、どこかで折り合いをつけなければならない場合が多いのです。正解は一つに決まりません。

そのような演劇を見慣れている人は、早く結論を求め、白黒を付けることを望みます。込み入った事情を説明すると、イライラします。また、学校での正解がある勉強になれている人は、正解があると思い込みます。
残念ながら、現実世界はそうなっていません。だから、分かりやすい演劇が好まれ、明快な学問が好まれるのでしょう。