円の実力

1月27日の日経新聞経済教室、岩本武和・西南学院大学教授の「いびつな成熟債権国を露呈 円の実力をどうみるか」から。

・・・自国通貨安が日本の対外純資産に為替差益を生み、それが所得収支に大きな黒字をもたらして、それにより経常収支の黒字を維持するという状況にある。こうした姿は成熟債権国としては、いかにもいびつである。世界最大の債権国(日本)が、世界最大の債務国通貨(ドル)建てで自国の対外債権を保有しているのである。自国通貨が強くなり円高になると為替差損が生じるという債権国は、歴史上ほとんど存在しない。
債務国が自国通貨建てで外債を発行できない(債務を持てないこと)を、バリー・アイケングリーン米カリフォルニア大バークレー校教授は「原罪」(original sin)と規定した。

第1次世界大戦前のロンドンの金融街シティーでは、米国をはじめとする当時の新興国の鉄道債などの起債が相次いだ。日本からも高橋是清らが日露戦争の戦費調達(戦債の起債)のためシティーに出向き、モルガンやロスチャイルドに頭を下げ奔走していた。
これらの起債は、債務国の自国通貨であるドル建てでも円建てでもなく、ポンド建てだった。そのポンド建て外債を英国人が保有していたので、英国の対外債権はポンド建てだった。債務国通貨(上記の事例の場合はドルや円)が安くなれば、その為替差損は債務国(米国や日本)が負う。このように本来、自国通貨安は回避されるべきものだ。

日本がこうしたいびつな成熟債権国になったのは、これまでの政権が円高回避の政策ばかり実施してきたことが一因だが、それだけではない。根本的な原因は、日本や中国を含むアジア太平洋地域が主としてドル建てで海外との取引をしてきたことにある。
確かに日本は円高になるたびに、為替リスクを回避するため、輸出から海外直接投資(FDI)に切り替えてきた。また現地生産の動きが広がる前には、円借款を中心とする援助が実施されてきた。これらはいずれも「円の国際化」に通じるべき動きだった。だが現実には、97年のアジア通貨危機後に日本が中心となり推進してきた「アジア債券市場育成イニシアチブ(ABMI)」もこれまで目立った成果を上げていない・・・

・・・これに対し、同様に世界を代表する債権国であるドイツでは、かつて自国通貨のマルク高を国民は歓迎していた。ガソリン価格など日常品が安くなるからだ。しかし日本では、輸出を阻害するものとして生産者からは忌み嫌われ、消費者が円高の利益を国内で実感することは少なく、外国旅行に行って初めてそのありがたみがわかるぐらいだ。
円安が輸入インフレを招き国民生活を直撃するのが「いびつな成熟債権国」の姿である。米国に円高回避を働きかけるのではなく、明確な長期戦略の下で産業構造を転換していくべきだった。こうした対外経済政策の転換を進めるには既に手遅れかもしれず、今後もこのいびつな状況が続く可能性が高いとみられる・・・

通学と通勤の思い出4

通学と通勤の思い出3」の続きです。今回は勤めてからです。これも、さして面白い話はありません。記録のために書いておきます。

まずは、地方勤務時代について。
自治省に入って最初の赴任地は徳島県庁で、県庁から100メートルほどのアパートでした。二度目の地方勤務は鹿児島県庁で、天保山の宿舎からバスで通いました。3キロほどだったでしょうか。三度目の地方勤務は富山県庁で、この時は車がつきました。
福島復興再生総局勤めの時は、週の半分は福島勤務でした。毎週新幹線で通い、福島では事務所近くのホテル暮らしでした。この時は2時間かかりました。これが一番時間がかかったことになりますが、毎日ではなく新幹線で旅行気分でした。東北新幹線は揺れが少なく、混雑していないので、動く書斎でした。原稿書きや読書をしてました(東海道新幹線は揺れるので、最近はパソコンを使うと、車酔いになります)。

東京勤務の際の勤め先は、霞が関、永田町、虎ノ門、広尾でした。さほど遠くない宿舎や住宅から、地下鉄などで通いました。
職場で泊まり込んで、通勤時間なしの日々もありました。局長室の床で寝ていると、職員に起こされるので、遅刻することはありませんでした。
今の家も、キョーコさんが霞が関に通勤するのに便利な土地を探してくれました。地下鉄で25分です。もっとも、その後の勤め先は霞が関駅周辺でなく、一つ手前の国会議事堂前駅が多かったです。

消防大学校(三鷹市)と自治大学校(立川市)には、高円寺駅から中央線を使いました。高円寺は東京の西側にあるので、三鷹駅までは近く、立川駅までは中央線快速で30分ほどでした。市町村アカデミーが千葉市にあり、わが家から東京を横断していくので、時間がかかるのです。

勤務した場所については「建て替えられる建物」、住んだ家については「建て替えられる建物、3」。この項終わり。

在宅勤務、職種ごとの差と仕事の進め方の差

1月31日の日経新聞、「働き方innovation 生産性上がっていますか」(2)「アサヒ、工場監視も在宅で 遠隔をオフィス以外に拡大」に、次のような数値が紹介されています。

・・・パーソル総合研究所(東京・港)が21年夏、国内の約2万人を対象に行った調査では、テレワークの平均実施率は27%だった。職種別で見ると経営企画(53%)や商品開発・研究(51%)などのホワイトカラー職は半数を超えるが、製造職(4%)や販売職(3%)は1割に満たない。テレワークを行っていない人に理由を聞いたところ、「テレワークで行える業務ではない」(47%)が最も多かった。

業種別の格差も大きい。同じ調査では、情報通信業(60%)が突出して高い。対面サービス中心の卸売り・小売業(20%)や宿泊・飲食サービス業(14%)は低かった。従業員1万人以上の大企業(45%)と同10~100人未満の中小零細企業(15%)でも大きな開きが出た。IT投資の水準が影響していそうだ・・・

また、仕事の進め方の差も指摘されています。
・・・一方、テレワークが進む業界でも、生産性向上を阻む課題が見えてきた。内閣府が21年秋、約1万人に「テレワークのデメリット」を尋ねたところ、「社内での気軽な相談・報告が困難」(36%)が最多で、「画面情報のみによるコミュニケーション不足やストレス」(30%)が続いた。
米アドビが21年春、日米英など7カ国約3400人に実施した調査では、「テレワークの方がオフィス勤務より仕事がはかどる」とした人は日本で42%。世界平均(69%)を下回り、調査国の中で最低だった。
アドビの別の調査では、「在宅勤務で同僚とのコミュニケーションが取りにくくなった」と答えた人は米国は14%、日本は55%だった。
タスクが明確な米国と、職務が限定されず「報告・連絡・相談」が重視される日本との働き方の違いが影響していそうだ。テレワークの幅と質の向上が求められている・・・

育児をする社長は社員の信頼を得る

1月25日の日経新聞夕刊「カジダンへの道」、青野慶久・サイボウズ社長の「家事・育児で社員の心つかむ」から。

・・・僕が家事や育児をしていることは、社員からの信頼を得るという意味でも貢献してるかもしれない。選択的夫婦別姓について訴えたときもそうだったが、特に結婚した女性からの反響が大きい。「この人は味方ではない」と思っていた人が味方に立ってくれたという感覚なのだろう。「社長なのに家事や育児をするパパ・ママの気持ちを分かってくれる」と認識してもらうことは、仕事上の武器になっていると思う。
社内のSNS(交流サイト)に「子どもが熱を出したのでお迎えに行きます」と書き込むと、親近感をもった社員から「青野さん頑張れ!」などと反応がある。狙ったわけではないが、働くパパやママが「共に戦う社長だ」と思ってくれるのはありがたい。

新型コロナウイルス禍で在宅勤務が増えたとき、社内で一部のパパ・ママから悲鳴が上がった。保育園も小学校も休業になり、小さい子どもがいる家庭では在宅勤務しようにもパフォーマンスが出せない。ビデオ会議をすると小さい子どもが走り回って邪魔するし、泣いたり、けんかしたりして辛いという悩みだ。
それを聞いて、「我が家も一緒だ。3人子どもがいて大変なことになっている。僕も全然パフォーマンス出せていないから、気にするな」と書き込んだら、「青野さん、分かってくれてる」と喜ばれた・・・

・・・サイボウズでは、「100人いたら100通りの働き方がある」という理念を掲げている。最長6年間の育児・介護休暇制度をはじめ、通学や副業のためといった個人の事情にも対応し、勤務時間や場所を決めることができる。
もともとは、離職率が高かったのを改善しようとして始めた取り組みで、仕事大好き人間の自分が利用するつもりはなかった。けれども、僕自身も子どもを持ち、仕事一辺倒では立ちゆかない環境になってしまった。子どもが生まれるたびに育児休暇をとり、今は在宅勤務をしながら家事や育児にも取り組む。この制度があって助かったと、後になって気づいた。

仕事人間だったころは「人生の幸せは野望をもって実現していくことだ」と思っていたが、家事・育児をするようになって意外に近くに幸せはあると気づいた。家事に取り組むことに抵抗のある男性はいまだに少なくないが、家事をやっておいたほうが、人間としての引き出しが増える。世の男性にも勧めたい・・・

通学と通勤の思い出3

通学と通勤の思い出2」の続き、その他の通学についてです。これは、さほど変わった話ではありません。

幼稚園と小学校は隣の集落にあり、歩いて通いました。地図で見ると、300メートルほどです。小学校の昼食は、走って帰って、家で食べました。
中学校は、隣町の八木中学校に通いました。当時の校舎は近鉄八木駅の隣にあって、バスで30分ほどでした。
高校は、先に書いたとおり。毎日が遠足です。

大学に入って、東大駒場寮に入りました。学校の敷地内にあるので、通学時間は零分です。高校時代と、両極端です。
ところが、目覚まし時計が鳴っても「もう少し寝ていても大丈夫」と思って起きません。2時間目の授業も同じ。で、しばしば授業を欠席しました。反省。本を読むことがうれしくって、夜更かしをしたことも原因です。知らない本や読みたい本が、たくさんありました。
高校時代にあれだけやせていたのに、大学に入ると1年で10キロも太りました。通学時間が減った、勉強時間が減った、寮生活で食生活が偏ったことなどによるのでしょう。まことに不健康な、だらしない2年でした。さらに反省。

法学部に進学し本郷に移ったときは、正門前に下宿しました。学校から100メートルも離れていませんでした。ただし、勉強しないと授業についていけない、公務員試験を受けるつもりだったので、授業にも出て勉強するようになりました。特に3年生は、岡義達先生のゼミに入り、1930年代の英語の本と格闘し、しばしば徹夜もしました。「思い出の本、原書講読
食事も気をつけました。4年生の春に伝染病にかかり、さらに健康に注意するようになりました。学校の周りを走ったり、プールで泳いだりも。で、それ以上は太りませんでした。
通った学校については「建て替えられる建物、2」。