2月16日の朝日新聞オピニオン欄「国民的議論、できるもの?」、ニールセン北村朋子さんの発言「最上の妥協点、探る国なら」から。
・・・私が住むデンマークでは、一昨年、気候変動に適応しようと、CO2排出を2030年までに1990年比で70%削減する法律を作りました。
再生エネルギーを導入するだけでは達成できません。基幹産業の一つで排出量の多い養豚業を減らそう、そのためには肉を食べる量を減らそうと、農業関係者から消費者まですべての利害関係者が参加して、国民的議論が進んでいるという実感があります。
各地で地域のNPOやNGOが主催する議論が行われています。政府は食べ方を変えるキャンペーンを展開し、大臣が全国の市民集会に出向きました。農業団体は討論会を行い、メディアもインタビュー番組を放送しています・・・
・・・「デンマーク人は議論好き」ということもあるでしょう。人々は本音と建前ではなく、本音と本音で話をします。小さい頃から「言ってはいけない」がなく、自分の意見を言うように育てられます。話しやすいし、空気を読まないし、忖度する必要もありません。子どもや周りの人を見ていてもそう感じます。
この国では「最上の妥協点、着地点」という言葉をよく使います。どこがお互いにセカンドベストなのか、それを探り出せるか。議論はこれを得るためのツール、という考え方です。議論のための議論は少ない。しかも結論が出て終わりではなく、おりを見ては議論を続けます。だから議論が尽きません。決めたら終わり、ではないのです。
全会一致には懐疑的です。それが歴史上間違った方向に行ったことがたくさんあるとみんなが知っています。だから、少数意見だからと無視したり笑ったり取り上げなかったりは、ここではありえません。それも良さの一つです。
日常の中で人々が議論する時間は十分あります。仕事は午後4時には終わりますし、金曜日は半日です。多くの人たちが夜や週末に、地域の会合に参加しています。
大事なことを話し合わないと次世代に責任を持てない。子や孫の未来を奪ってしまう。ここではそんな考え方が根付いています。「話し合う時間や余裕がない」などと言ったら、「なぜ議論しないのか、時間をかけないのか、ほかに大事なことがあるのか」と不思議がられるでしょう・・・