朝日新聞「ウエブ論座」、三田地真実さんの「東大前刺傷事件から考える~心は放っておくと暴走する「苦しみの正体」 内面に“今ある”感情に気づこう」(2月1日掲載)が、参考になります。「放っておくと体は硬くなる、心は暴走する」は、1人のタイ僧侶の言葉だそうです。
・・・「心は放っておくと暴走する」という冒頭の言葉は、認知行動療法の文脈では「自動思考」と呼ばれる心の動きとほぼ同じ内容を指している。つまり、人は何かを見たり聞いたりすると、パッとそれについてのある考えが「自分の意図とは関係なく勝手に浮かび」、さらにそれが次々と別の思考を呼び起こしていくというプロセスのことである。
自動思考は、特段何かメンタルの問題がある場合にのみ起きるものではなく、今、この文章を読まれている皆様の心にあれこれ浮かんでくる「まさにその思考」のことである・・・
・・・このような思考がどんどん勝手に膨らんでいき、嫉妬や羨望でどうしようもなくなるということは、誰にでもあるだろう。様々な場面で人は「本当は自分の人生とは関係のない出来事」に心を、気持ちを揺さぶられる。そして、自分勝手に苦しいストーリーを作り上げて、さらに苦しんでしまう。「苦しみ」がこのようなプロセスによってもたらされているということすら、ほとんどの人は気づいてはいないだろう。後述するが、このことを看破したのがあの仏陀(ブッダ)だったのである。
実は私自身もこういうネガティブな自動思考で頭の中がぐるぐるしている時期が随分長くあった。もちろん当時それを「自動思考」と呼ぶということすら知らず、程度の差こそあれ、自分よりうまく人生を歩んでいるような人を見るとむくむくと「なんで、あの人があんないい思いをして、一生懸命やっている私が……」といういやーな気持ちに苛まれることがあった。
しかし、それとどう付き合うかという、このような自分の思考の取り扱い方については、「習ったことがない」と気づいた。そのきっかけになったのが、タイ仏教に根差した「気づきの瞑想」(あるいは「気づきのマインドフルネス」)との出会いであった・・・
この説明には、納得します。嫌なことは忘れたい、思い出したくないのに、頭の中から離れないどころか、ぐるぐる回るのです。静かに頭の中を回り続けるだけでなく、感情的に暴走するときもあります。この項続く。