連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第107回「政府とコミュニティーの関係」が、発行されました。
前回まで、政府による経済への介入を説明しました。今回からは、社会(狭義)への介入を説明します。19世紀に支配的だった近代市民社会の理論では、市場との関係と同様に、社会への政府による介入も最低限にするべきと考えられました。しかし実際には、政府はさまざまな介入をして、役割を広げてきました。
まず、公共秩序の形成と維持があります。民法が、日常生活に必須の財産関係と家族関係を規定しています。関係者間に合意があれば問題はありませんが、もめ事が起きた際の基準を決めておくのです。また、国民の安全を守り、生活の向上を目指すことは、国家の主要な役割です。
これらは、多くの人たちが政府の役割として納得するでしょうが、次に示す項目は政治学や行政学の教科書では詳しくは取り上げられません。
それは、倫理、慣習、国民の共通意識(社会意識)などへの関与です。ここでは、それらを包括して「この国のかたちの設定」と表現しましょう。
倫理は善悪の判断です。それは個人の内心の問題だから、国家は関与すべきでないという意見もあります。慣習は社会で自然とできるもの、社会意識も国民の間で共有されているものなので、政府が関与するものではないという考えもあります。
しかし、政府は、これらにも関与せざるを得ません。また、「公共を創る」という本稿の趣旨からは、これらも私たちが安心して暮らしていく上で重要な要素です。そのような主張から、これまでも「この国のかたち」について、いろんな場面で取り上げてきました。というか、「これまでの行政学や公共政策学が対象としている範囲が狭い」というのが、この連載のもう一つの趣旨なのです。