高野陽太郎著「日本人論の危険なあやまち 文化ステレオタイプの誘惑と罠」 (2019年、ディスカヴァー携書)をお勧めします。痛快です。このような表現は、社会科学の書物には、ふさわしくないのでしょうが。
「日本人は集団主義的だ」という日本人論の常識を、国際比較、特に個人的だと言われるアメリカ人と比べて、日本人が集団主義ではないと立証します。
では、なぜ「日本人は集団主義的だ」という言説が「常識」になってしまったのか。そのような言説が生まれ受け入れられる社会的状況、さらにはそれを否定したした研究が受け入れられないことを説明します。「日本人は集団主義的だ」を否定する言説は「商売にならない」ので、論文にも書物にもならないのです。
私は、山岸俊男著『信頼の構造』(1998年、東大出版会)を読んで、目から鱗が落ちました。日本社会は信頼の高い社会といわれていましたが、それは身内には親切ですが、ソトの人には冷たい社会でした。社会一般に信頼関係が強いものではなかったのです。ソトの人との接触が増えると、この弱点が見えてきます。
もう一つ、集団主義には、能動的集団主義(積極的集団主義)と受動的集団主義(消極的集団主義)があるというのが、私の説です。日本人の集団主義は決められたことを受け入れる受動的集団主義であり、組織や社会をつくることに積極的に関与する能動的集団主義ではないのです(連載「公共を創る」第66回、70回)。日本人の多くは、実は自分を大事にする個人主義のようです。世間の目が厳しく、独自行動をとると批判されるので、大勢に従っているのです。社会参加する人が少ないことも、これを裏付けています(連載第34回、55回)。
髙野先生には、同じ問題を扱った「「集団主義」という錯覚」(2017年、新曜社)」もあります。また、「鏡映反転-紀元前からの難問を解く」(2015年、岩波書店)も、先生の著作だったのですね。先生のホームページ「チコちゃんは知らない」。