松元崇さん、国民の創造力を発揮させる

12月29日の日経新聞経済教室は、松元崇・元内閣府事務次官の「国民の創造力発揮へ基盤整備 所得倍増計画の歴史に学ぶ」です。
・・・池田首相のブレーンで高度成長期の所得倍増計画を理論付けた下村は、著書「日本経済成長論」(1962年)で「私は経済成長についての計画主義者ではない」と明言していた。そして「私の興味は計画にあるのではなくて、可能性の探求にある。(中略)国民の創造力に即して、その開発と解放の条件を検討することである」と述べていた。
そのうえで「何がそういう経済の成長を推進するのか。これは要するに人間だということです。人間の創造力だということです。(中略)そういうものが自由に発揮されるということがあって、はじめて経済の成長を推進するような力が生まれてくる」と指摘していた・・・

・・・下村が経済成長を推進する力だとした「人間の創造力」とは、ケインズの言うアニマルスピリットだ。ケインズ経済学に基づく経済政策では、景気回復はもたらされるが、経済成長はもたらされない。では何が経済成長をもたらすのかと問われたときのケインズの答えがアニマルスピリットだった。とはいえ、それを発揮させるには、そのための条件整備が不可欠だ。
下村理論が画期的だったのは、日本経済に力強い成長力があることを論証したうえで、その成長力を発揮させるために求められる具体的な「条件を検討」したことだ。池田も首相就任後の参院予算委員会で、所得を2倍にするのではなく2倍になるような環境をつくるのだと答弁している。
下村は当時の状況に鑑みて、日本経済の高度成長にとって重要なのは設備投資の増加速度で、それに資する基盤整備が必要とした・・・

・・・では下村の問題意識を今日に当てはめた場合、経済成長のためにはどのような基盤整備が求められるのだろうか。
筆者は、老若男女を問わず全ての人が人生の中でいつでも再チャレンジできるようにサポートする教育制度と全世代型の社会保障制度だと考える。一生の間に何度も転職することが当たり前になった今日、その2つが国民の創造力を自由に発揮させる基盤になる。
下村の時代は、戦後の焼け野原から生活を再建していかねばならないハングリーな時代だった。全ての人にチャレンジが求められていた。人々にチャレンジできる場を提供する産業インフラの整備が、国民の創造力の発揮に直結していた。
だが今日、国が豊かになった半面、人々はチャレンジしなくなった。一度失敗すると立ち直るのが難しい社会になっている。失敗しても何度でもチャレンジできる社会にしていく。それが人々の創造力を解放し、国全体の成長や人々の幸せにつながっていくはずだ。

そのような基盤整備に財政投融資を活用できるかといえば否であろう。教育制度や全世代型の社会保障制度は、そこからの収益で投資資金の回収が見込めるようなものではないからだ。
とすれば、重要なのは税ということになる。そこで障害になるのが、とかく増税を嫌う昨今の世論だ。そしてその世論の背景にあるのが、かつての高度成長が円安や小さな政府の下に、政府の「計画」で実現したという思い込みだ。その思い込みをそのままにしておいたのでは、現在の日本の低成長を脱却させるためのまともな議論はできない・・・

いつもながら明快な、そして目から鱗が落ちる指摘です。史実に基づいた説明なので、説得力があります。ぜひ、全文をお読みください。

令和3年の回顧1、仕事

年末になったので、今年も1年の回顧を始めましょう。
第1回は、仕事についてです。去年までは、復興について書くことが「仕事の回顧」でした。復興に関する公職を退いたので、今年からは仕事一般について書きます。

10月から、市町村職員中央研修所学長に就任しました。まだ2か月あまりですが、私の仕事としては、軌道に乗ったと感じています。学内の概要や仕事の動きを把握できました。詳しいところまでは分からないのですが、誰に何を聞けばよいかが、わかりました。
重要なのが、どこに課題があって、それをどのように解決するかです。細かいところは職員に任せて、大きな視点からの問題発見です。簡単にいうと、部外者の目、中長期的な視点です。先輩たちや関係者のおかげで、業務は順調に進んでいるのですが、時代の変化に応じて変えていく必要もあります。
私の疑問や変えたい方向を示して、職員たちと議論しています。早速に、新しい研修科目をつくってくれました。職員たちの反応が良い(質が良い回答がすぐに返ってきます)ことが、うれしいです。職員たちも、私の仕事の流儀に慣れてくれたでしょうかね。

仕事ではありませんが、異業種交流会には困りました。新型コロナ対策で会食が禁止され、5月から9月までは全く開催できませんでした。10月に再開したら、たまっていた約束が一気に押し寄せて、大繁盛になりました。
多方面の方と知り合いになる。これも仕事の延長です。いろいろな相談事が持ち込まれます。私の経験と人脈がお役に立った場合は、うれしいです。

年賀状投函

今日28日午後に、残っていた年賀状を書き上げ、投函しました。今年は着手が遅くなりましたが、昨日と今日ですべて投函できました。豪雪の影響さえなければ、元旦に届きますかね。
いつものように、裏面は印刷して、宛名を万年筆で書きます。そして、一言添えるようにしています。宛名をワープロで管理し、印刷すれば簡単なのですが。私の下手な字を待ってくださっている人への、1年に1度の報告です。千枚を超えていた頃に比べると、大幅に縮小しましたが、それでも毎年年末の苦行です。
これで一安心。

松飾りを買ってきて、門に飾り付けました。
お向かいの柿の実、鈴なりになっていたのですが、数日前に一気になくなりました。渋柿が熟して、甘くなったのでしょう。小鳥たちがごちそうにありつけたようです。ヒヨドリがたくさん来て、色鮮やかなインコもたくさん来て食べました。それらのいないときに、メジロが食べていました。
おじさんが、ヒヨドリは入れず、メジロだけが入って食べることができるカゴのようなものを用意して、その中に柿の実を入れてメジロに上げています。
私にも、いくつか持ってきてくださいました。ありがとうございます。
玄関横の椿は、真っ赤な花を咲かせ始めました。つぼみもたくさんできています。

優秀なデータサイエンティストの共通点

12月20日の日経新聞1面コラム「春秋」に、興味深い話が紹介されていました。

・・・「21世紀、最も魅力的な職業」。10年近く前、米ビジネス誌がそう呼んだ仕事がデータサイエンティストだ。IT(情報技術)の普及で集まる膨大な数字を解析し、確かな判断へ経営者を導く。ここに優秀な人材を得られるかどうかで企業の命運は大きく変わるという。
成長中の動画配信会社、米ネットフリックスもデータ分析の部署がある。新規採用候補者の中で最適な人材をどう選ぶか。ヒントを得ようと、すでに在籍する社員で特に優秀な人たちの共通点を探す・・・

答えは、音楽をこよなく愛する点でした。
論理的思考が軸になる業務だからこそ、創造性や感受性が発想の差を生むのだそうです。

支え合う社会

12月23日の朝日新聞、論壇時評、林香里・東京大学大学院教授の「ケアの倫理 誰もが支えあう社会の基盤に」から。
・・・「ケア」という言葉には、家族内で閉ざされ、ともすると隠すべきもの、といったイメージさえある。しかし、政治思想研究者の岡野八代は、〈1〉の論考で、このイメージをひっくり返す。以下、岡野の論考を、私自身の解釈も交えて説明することをお許しいただきたい。人間は、この世に生を受けた時点で皆、世話をされる依存状態にある。その後も怪我や病気、孤独や悲しみを経験し、ケアを必要とする存在である。ケアを必要とする人々がいるのだから、社会はケアを与える人たちも必要とする。そしてさらに、社会には、ケアを与える人たちを支えるシステムも必要だ。つまり、ケアは誰もが必要とするがゆえに、必然的に社会に連鎖し、開放されていく営みであり、社会全体で実践を支えるオープンなしくみを作っていかなくてはならない。岡野は、ケアを社会に行き渡らせることは、民主主義の「中枢」的課題であると主張する・・・
〈1〉岡野八代「ケア/ジェンダー/民主主義」(世界1月号)