宮本太郎教授、日本の社会保障のほころび

10月20日の朝日新聞オピニオン欄、宮本太郎・中央大学教授の「新自由主義と社会保障」から。

「いまの日本は3層に分断されています。まず、正社員として働いて社会保険に入れる安定就労層と、生活保護などを受ける福祉受給層。これまでの社会保障はこの2層を想定していました。働けるか、働けないかの二分法です。ところが、この二つの層の狭間で、社会保障制度の支援が届いていない新しい生活困難層が拡大しています。この3層の間での相互不信も強まっています」
「新しい生活困難層には非正規雇用、フリーランス、一人親世帯などが多く、老親の介護や自らのメンタルヘルス、子どもの発達障害など複合的な困難を抱える人も少なくありません。安定的に働いて社会保険に入ることも難しく、対象が絞り込まれた福祉も利用できない。コロナ禍の打撃もこの層に集中しており、どう支えるかが喫緊の課題です」
――どんな型の社会保障に変えていくべきでしょうか。
「3層の分断を乗り越えるような社会保障です。働けない人に限られていた福祉の給付を、働けても低所得の人たちに広げていくこと。さらに、安定就労層に限られていた就労の機会を、さまざまな困難を抱えている人にも広げることが必要です」
「いまの福祉の給付は、生活保護のように、対象を厳しく絞って、最低限の生活費用をまるごと保障する『代替型』が中心です。でも、新しい生活困難層は、働けるけれども、いろいろな困難を抱えている。そこに手当てをして、無理なく働ける条件をつくり、所得が足りない時は住宅手当などで『補完型』の給付を提供すべきです。だれもが活躍できる社会は、このような回路を整備して、初めて幻想から現実に近づきます」

――野党側は社会保障の財源である消費税の税率を5%に下げるべきだ、と主張しています。
「人々から集めた税を、社会に必要な形に変換して返すのが政治の技というものでしょう。その過程で、市場で解決できない困難を打開する政策や制度が生まれるのです。ところが与野党を問わず、入り口から『お代はいただきません』と言ったり、出口で『お代はそのままお返しします』と特別定額給付に頼ったりしています」
「減税をして歳入が減れば、社会的弱者への支給が真っ先に減らされる可能性が高い。それでいいのでしょうか。集めた税を、納得感のあるサービスや給付で人々に『倍返し』できるような政治の技を示すべきだと思います」

「私は、官邸や霞が関にごりごりの新自由主義者はそう多くないと思っています。だからこそ、雲行き次第で転換を掲げ、積極財政や分配を言い始めるのです。でも、日本には強い新自由主義的な『磁場』ともいうべきものがあるので、注意が必要です」
――どういうことでしょうか。
「日本には、政策や制度を作ろうとすると、結果として新自由主義的な形になるような構造があるのです。私は、『磁力としての新自由主義』と呼んでいます。政治家や官僚一人ひとりは新自由主義を信奉していなくても、磁石に引き寄せられるように、新自由主義的な方向に向かってしまう」
――なぜ、そんなことになるのですか。
「国と地方の借金がふくらむなか、支出や人員の削減が進み、集めた税が地域でいかされず、納税者の社会保障や税制への不信が強まっていく。このため、問題解決のための増税は封印され、政治の選択肢は狭まり、選挙になると、『お代はいただきません』という減税に頼る。その結果として、支出や人員をさらに切り詰めることになるという悪循環です」
「平成以降、構造改革の名の下で、地方公務員の数が50万人以上減らされたのは決定的でした。政策を実行しようにも人手が足りないのです。与野党ともに『新自由主義からの転換』を言うのに、この磁力からどのように抜け出すのかが見えてきません」

――宮本さんは戦後の自民党政治には生活保障の面から評価すべき点があったとしていますね。
「現在との対比で言えば、戦後に築かれた日本型資本主義には、弱者を支える仕組みが備わっていました。株式の持ち合いで経営者と従業員の共同体としての企業が確立し、公共事業や業界の保護は、都市に集中する雇用を地方に再分配してきた。利権政治ではありましたが、地方の弱い立場の人たちに向かいあっていた」
「小泉純一郎首相の構造改革は利権政治を『ぶっ壊す』ことを掲げましたが、何の青写真もなく、地方の人々の生活を壊してしまいました。ところが利権政治のほうは別の形で生き残り、その対象が大きく変わった。モリカケ問題や通信事業者による官庁接待からうかがえるのは、新自由主義が強まった社会で、権力者に近い、強い人をより強くするような新たな利権政治の姿です」