本能

小原嘉明著『本能―遺伝子に刻まれた驚異の知恵』 (2021年、中公新書)を読みました。本能とは何か、昔から気になっていました。
ウィキペディアでは「現在、この用語は専門的にはほとんど用いられなくなっている」とも書かれています。でも、昆虫や動物が親から教えられなくても、歩いたり飛んだり、餌を取り、生殖します。学習しなくても、複雑な行動をすることは、本能なのでしょう。

この本には、いくつもの驚くような行動が書かれています。しかし、まだまだわからないことが多いようです。長い進化の歴史の中で、それぞれの種が身につけたのでしょうが。遺伝子や脳の働きといった「仕組み」の解明は進んでいません。「まだわからないことが多いのだな」ということがわかりました。

本能という言葉が避けられるようになったのは、人間の行動や性格を、十分な根拠もなく「本能だから」と説明したからではないでしょうか。科学的に解明されていないことを、不正確な俗説で決めつけるのは、話は早いのですが、有害な場合もあります。

社員は社長から未来の話を聞きたい

9月9日の日経新聞「私のリーダー論」は、石坂産業・石坂典子社長の「カリスマ性より理念で勝負」でした。風評被害で存続の危機にあった産業廃棄物処理会社を父から引き継ぎ、社会で理解される会社に生まれ変わらせました。産業廃棄物処理は、ゴミ処理場などと同じく、社会にとって不可欠の仕事です。しかし住民は、「自分の近くでは操業しないでほしい」と拒否反応を示します。

この記事は、リーダー論です。
「「世界で一番、人から愛される会社に変わろう」。後を継いだ石坂典子社長は高い理念を掲げて社員の意識を変え、やる気を引き出す。反発する社員の大量退社も乗り越え、環境共生のモデル企業と呼ばれるまでになった」

――良いリーダーの条件とは何でしょう。
「ちゃんと先を見すえている人じゃないとダメでしょうね。あとは、ぶれずに芯があり、誠実であることでしょうか。私の父がそうでした」
「毎期の売上高も大事です。でも社員はリーダーの口から、未来の話こそ聞きたいのではないかと思うのです。想像できないような遠い先に、世界はどうなっているか。自分たちはどんな役割を果たせるか。単に会社の将来の話だけでは、若い人たちは自発的に動いてくれません」
「この人は何をしたいのだろうと、リーダーは日々、社員から人間性をみられています。責任感はもちろん必要ですが、それだけではリーダーはできない気がします。事業への前向きな使命感をもっているかどうかが大事ではないでしょうか。それと情熱です。どれが欠けてもリーダーは難しいと感じます」

モノとコト

モノとコトという表現、あるいは「コト消費」という言葉を、聞かれたことがあるでしょう。でもコトって、何の意味かわかりますか。いろいろ考えてみました。専門家はまた違った解説をするのでしょうが、門外漢の私の理解を説明しましょう。

まず「コト消費」から。
ウィキペディアによると、コト消費は「一般的な物品を購入する「モノ消費」に対し、「事」(やる事・する事、出来事=出来る事)つまり「体験」にお金を使う消費行為のことで、特に非日常的(アクティブ)な体験が伴う経済活動を指す」とのことです。
体験型の消費とは、一方的にサービスを受ける、例えば散髪などと異なり、消費者が参加する体験型のサービス商品ということでしょう。
でも、そのような視点から商品を分類すると、モノとサービスがあり、そのほかに権利とか情報なども商品として扱われます。このサービスの中から、体験型の商品を特に「コト消費」と名づけたのでしょう。商品として売る際には、わかりやすいのでしょうが。

かつて、社会学の先生に、その違いを教えてもらったことがあります。「モノ」と「コト」の区別は、もともとはアリストテレスなどにある言葉だそうです。人間の外に実在するのが「モノ」、人間の心の中にあるものが「コト」で、過去や未来、観念などです。
それはひとまず置いて、現代社会を観察する際のモノとコトの区別は、私の理解では次の通り。
質量があるのが「モノ」、質量がないのは「コト」。コトとは、モノとモノの相互作用のこと。

社会科学は、「人(個人)とその関係」を研究します。モノに当たるのが「人」で、コトに当たるのが「人と人との関係」です。
自然科学、特に物理学では、対象を物質と運動に分解して考えます。物質がモノで、運動(これも物質間に働く力で関係と見ることができます)がコト。
厳密な科学的説明ではありませんが、私たちが世間を理解する場合には、このような切り口が有用でしょう。

高校の生徒排除の構造を変える

9月7日の日経新聞教育面、磯村元信・東京都立八王子拓真高校長の「中退・不登校防ぐ高校づくり 生徒「排除」の構造変える」から。詳しくは原文をお読みください。

・・・東京都立八王子拓真高校は昼夜間3部制の定時制高校で、不登校経験などのある生徒向けの入学枠「チャレンジ枠」のある都内唯一の高校だ。前身は都立第二商業高校。「織物のまち八王子」を支える職業高校だった。
現在は進学者が5割、就職者が3割の進路多様校だが、八王子市内の高卒就職者の6割は今も本校出身者が占める。
近年は不登校や転退学(中退)の急増が大きな課題となっていた。生徒数1千人弱の本校で、2018年度に不登校生は198人、中退者は104人に達していた。
背景には多様な課題を抱える生徒たちの増加がある。具体的には発達障害、貧困、虐待、ルーツが外国にあることで日本語が不自由など。学力のハンディも当然大きい。彼らはそれぞれの困難に応じた「合理的配慮」を必要としている。
しかし、高校の指導は一律性が強い。特に単位・進級・卒業の認定や生活指導には校内規定が一律に適用される。高校は義務教育ではなく、生徒は一定の学力を備えていて当然という適格者主義、規定の柔軟な運用は不公平だという公平主義。そんな昔ながらの組織文化が根っこにある・・・

・・・中学生のほぼ全員が高校に進学し、生徒が多様化した今日、こうした文化は授業が分からない生徒、規則が合わない生徒らを排除する仕組みになってしまう。私はこれを「合理的排除」と呼ぶ。
このままでは不登校や中退に歯止めがかからない。排除する高校から配慮する高校に変わる必要がある。私はそう考え、校長に着任した19年度から改革に取り組んだ。
柱の一つは特別支援教育の考え方を導入したことだ。生徒への合理的配慮を校内規則に明示し、一律の運用を改め、個別対応を基本にした。
特に単位を取得させることを重視し、年5回の補習期間(個別指導期間)を設定。欠席の多い生徒には年度末を待たずに補習を行うようにした。
心身の病気やいじめ、希死念慮などで登校が難しい場合は欠席回数が規定を超えても、オンラインで課題を提出するなどすれば柔軟に単位を認める。保健室登校の生徒らのための学習スペースも校内に設置した。
20年度から校内で「居場所カフェ」も始めた。若者支援の専門家である都派遣のユースソーシャルワーカーが運営する。生徒が教員でも保護者でもない「第三の大人」と話せる居場所は相談の糸口ともなり、自傷など生命に関わる事故防止の観点からも極めて重要だ・・・

日本人の値上げ嫌い心理が経済を冷やす

9月8日の朝日新聞オピニオン欄、渡辺努・東京大学大学院教授の「値上げ嫌いこそ元凶」から。

「経済の体温計」といわれる物価が動いていない。その原因を多くの経済学者が探ってきたが、いまだに正解が定まらない。日本の物価研究の第一人者、渡辺努さんは、わずかな値上げすら受け入れない私たちの心理こそが「主犯」とみる。この20年間、「止まったまま」だという日本経済を動かすには何が必要なのかを聞いた。

――日本の物価はなぜいつまでも上がらないのでしょうか。
「たとえば、身近な理美容サービスやクリーニング料金は、2000年ごろから価格が全く動いていません。これは消費者の根底に『1円でも余計に払いたくない』という心理があるからです」
「企業は原材料の価格が高くなったり、円安で輸入コストが上がったりすれば、商品の価格に上乗せしたいと考えます。でも消費者にアンケートすると、いつもの店でいつもの商品を買おうとして少しでも価格が上がっていれば、『ほかの店に行く』と答える傾向が顕著です。欧米の主要国で同じ質問をすると、消費者の過半は同じ店で買い続けると答えます。日本では企業は顧客離れを恐れ、価格を据え置かざるを得ない」
――値上げを受け入れない心理はどう生まれたのですか。
「1995年ごろまでの日本は、年3%ぐらいの商品の値上げは普通でした。90年代末の金融危機のころから消費が急速に冷え込んだため、企業の間で価格据え置きの動きが広がりました。同じことは働く人の賃金にも言え、ほとんど上がらなくなりました」
「問題はその後です。銀行の不良債権問題が次第に片付いて経済が立ち直る過程でも、価格の据え置きが続いたのです」

――物価が上がりにくいのは、先進国に共通の悩みでした。
「確かに米国も欧州も全体でみた物価は上がりにくくはなりました。しかし、一つひとつの商品の値段はそれなりに上下に動いており、メリハリがある。一方、日本では一つひとつの値段がほとんど動かない。経済が止まっているようなものです」
――日本の消費者は飛び抜けてケチだ、ということですか。
「あまりにも長期間価格が動かないのを見せすぎたせいで、物価とはそんなものだと思い込んだ消費者が多いのでしょう。ある食品メーカーの社長は、海外の取引先はコスト上昇分の価格転嫁を受け入れてくれるのに、日本の流通大手は正当な理由を説明しても納得してくれないと嘆いていました」
「私も理不尽だと思いますよ。1円だって上がるのもイヤだというほど、あなたは貧乏なんですか、と消費者に尋ねてみたくなります。少なくとも平均的な年収があれば容認できるはずなのに、それでもイヤだというのですから」

――ただ、賃金も物価と同じように動かないのなら、ある種の均衡状態ではありませんか。
「確かに均衡状態なのですが、それではまずいんです。たとえば、ピザ屋が設備投資をして良い窯を入れ、工夫しておいしいピザをつくろうとしたとします。しかし、ライバルと横並びの値段でないと消費者は買わないから、設備投資の元が取れません」
「企業は、値上げが一切できないことを前提に活動しなければならない。コスト削減に追われて、賃金を上げている場合ではない。商品の開発も、設備投資も、技術革新も、前向きな動きがすべて止まっている。それがこの20年間の日本経済の姿なのです」

――生産性が低いことが問題の根本にあるのでは。
「日本の生産性は低く、上げる努力は必要だと思いますよ。でも、私が強調したいのは、仮に生産性が上がらなくても、賃金も物価も上げられるということです。どこかの会社で賃金が上がり、それを払うために商品を値上げする。購買力を維持するために、ほかの企業の賃金も上がる。そして、それらの企業の商品の価格も上がる。みんなの賃金と物価が並列的に年2%上がっていく状態を指して、世界の中央銀行は『インフレターゲット』と呼んでいるわけです」

――問題が「心理」にあるのなら、変えるのは難しそうです。
「日本では圧倒的多数の人々が今の物価のままでいいと思っています。コロナ危機が去ったらなんとかしようという機運は、政治家にも日銀にもない。どこかの企業が頑張って賃金を上げても、それが物価に跳ね返らないと、連鎖はそこで止まり、他の人の賃金に及んでいかない」
「誰かから安く買うということは、そこの労働者の賃金も低く抑えられるということです。安いことはまずい、という認識がまず広がらなければいけません。要は『気の持ちよう』なので、生産性を上げたり、労働市場の慣行を変えたりといった難題に比べれば、むしろ易しいはずです」