人事院初任行政研修講師

今日は、人事院初任行政研修の講義に行ってきました。今回も、オンライン講義で、私は北区西ヶ原の研修所で話しました。この研修は、今年採用された国家公務員総合職が、一部の職を除いてほぼ全員受講します。

その中に、行政政策事例研修という科目があります。歴史的に意義が大きい過去の行政事例を題材として、当時の困難に対応した関係者の話を聞き、行政官として取るべき行動を討議するものです。成田空港建設や消費税導入などが、事例として扱われているようです。これはなかなか良い科目です。今回、東日本大震災が課題に加えられました。

人数が多いので、8つのコースに別れて、別々の事例を扱います。私のコース(東日本大震災)は、対象者が約90人。
今日はまず、基調講義をしました。そして、研修生が討議する課題を3つ与えました。彼らは、班別にこの課題の一つを議論し、9日の発表会に臨みます。
今回の研修も、全てオンラインです。私は、画面に数人の研修生の顔を映してもらい、彼らに向かって話しました。反応がわかりますから。皆さんまじめです。最後に質問の時間を設けましたが、3人から良い質問が出て、うれしかったです。

班別討議も、彼らがオンラインでやるそうです。もっとも、今年採用された諸君は、昨年に大学や大学院でオンライン授業は慣れています。でも、集合研修や宿泊研修は、昼夜を通して、知らない人たちと知り合いになる機会なのですがね。

補足です。講義で紹介したこのホームページの「明るい課長講座」は、この表紙の左欄「人生の達人」の中にあります。「+」を開いてください。

 

「オールド・ボーイズ・クラブ」2

オールド・ボーイズ・クラブ」の続きです。第5回9月3日は「多様性が「当たり前」に挑む」でした。第4回までは男性社会を取り上げていましたが、女性社会もありました。
・・・男性が多数派の世界で形成されるオールド・ボーイズ・クラブ(OBC)。男性が悪いというよりも、一つの性が多くを占め、多様性に欠けることが問題なのではないか。そこで、女性が多い看護師の世界を取材した。
自民党の石田昌宏参院議員(54)は1990年に看護師となった。「当時はまだ男性看護師が1%くらい。看護協会本部の建物でも、女性用トイレに壁を作って男性用にしていた時代です」
いま男性看護師は8%ほど。まだまだ少数派だ。現場の看護師はどう感じているのだろう・・・

・・・たばこ部屋や飲み会ならぬランチ会で、知らぬ間に決まっていることもよくあった。「病棟の方針や仕事の手順など重要なことが、さっき決めたから、ランチ会でそうなったから、と言われて」
男性多数の企業社会で起きていることと似ていないか。

男性が増えたら変わりますか? 佐藤さんに聞いた。「ただ増えるだけではなく、役職がつき、責任ある立場につくことが必要です」。米国の女性と政治の専門家が「ただ女性が増えるだけでなく、役職につかなければ」と強調していたことと同じ答えだった。
多数派は新しいことに踏み出すのをためらう――。関西在住の男性看護師(33)も似た経験をした。「患者の床ずれを防ぐために2時間ごとに体位を変えていたんですが、患者によっては4時間でも大丈夫だというガイドラインが示されたんです。そこで、一人一人データを取りつつ、3時間に変えようとしたんです」。しかし、ものすごい抵抗にあったという。
「2時間おきに変えるより記録をとる方が空いた時間を患者の状態を分析する時間に振り向けられる。患者にも良いと思ったんですが……」。マニュアルや手順書を作り、データを示し、勉強会を重ねてようやく受け入れられた。「私たち少数派は視点が違う。多様な人がいる方がフットワーク軽く挑戦でき、変革できます」・・・

イギリス産業革命以前の起業家

ジョオン・サースク 著『消費社会の誕生─近世イギリスの新規プロジェクト』(2021年、ちくま学芸文庫)が、勉強になりました。

イギリスの産業の歴史と聞くと、産業革命を思い浮かべます。突然、革命が起きたのか。そうではありません。それ以前に、地方の町や農村に家内制手工業が発展します。亜麻布、靴下、台所用品などなど。政府や知識人たちは、穀物生産が第一、国内消費向けの産業育成より海外貿易重視です、しかし、農地を追われた人、働くところのない人たちが、これらの手工業に従事し、貧民対策としても広がります。副収入を得ることができるのです。
それらの多くは、品質がよくなく、また規格もバラバラです。知識人はそれを嘆きますが、これらの製品は輸出ではなく、国内で消費されます。貧しい人にとっては、立派で高価な品物より、少々粗雑でも安い物が受け入れられます。ここに、生産と消費の好循環が生まれます。16世紀、17世紀の発展です。

庶民の行動(収入を得たいという願望、身の回りのものを買いたいという欲望)が、社会を動かします。そして、一部の人の「新奇な行動」が各地の人たちに広がります。庶民の行動と通念の変化が、社会を変えていきます。

著者は、地方経済史の専門家です。かつての権力を中心とした政治史ではなく、地域社会から歴史を分析します。正確な生産や売買の記録はないのですが、残された記録を元に、議論を組み立てます。面白いです。
1984年に東大出版会から出版されたものが、今回文庫本になりました。このような学術書が簡単に読めるようになるのは、ありがたいですね。

世相を反映する消費者物価指数の品目見直し

8月21日の朝日新聞に「消費者物価指数、品目見直し」が載っていました。
・・・ 消費者が買うモノやサービスの値動きを示す「消費者物価指数」の対象品目が見直された。最近の消費の変化を反映させ、なるべく物価の動きを正しくつかめるようにするためだ。見直しは5年ごとで、その品目の移り変わりには、時代の変化が色濃く映し出される。
20日に公表された7月分の指数から見直し後の「2020年基準」が適用された。これまでの「15年基準」に比べ、各家庭でよく買うようになった30品目が加えられ、あまり買わなくなった28品目が除かれた・・・

今回の改訂(別表1)で除かれたのは、携帯型オーディオプレーヤー(ウォークマン)」、ビデオカメラ、固定電話機、電子辞書などです。幼稚園保育料は無償化で外されました。他方で追加されたのは、タブレット端末、ドライブレコーダー、カット野菜、学童保育料などです。社会の変化が見て取れます。

記事には、1960年以降の主な品目入れ替えが、表になって載っています。何が新しく追加されたかとともに、使われずに除外された品目も興味深いです。
1960年にはマッチとわら半紙が外れ、1970年にはかんぴょうと学生帽、1980年には白黒テレビと削り節、1990年にはレコードと万年筆、2000年には2槽式電気洗濯機とカセットテープ、2005年にはミシンとビデオテープ、2010年には写真フィルムとやかん、2015年にはお子様ランチと電気アイロンです。年寄りには、懐かしいです。
もっと詳しく見ると、世の移ろいが、わかるのでしょうね。

ニクソン・ショック50年、国民生活改善2

ニクソン・ショック50年、国民生活改善」の続きです。8月26日の日経新聞経済教室、岡崎哲二・東京大学教授の「国民生活改善への転機に」から。

・・・第2に企業経営については、ニクソン・ショック後の円高が企業の本格的な国際化の引き金になった。トヨタ自動車の社史は、拡大しつつあった同社の対米輸出にとって「アメリカ政府による新経済政策、いわゆるニクソンショックと、それに続く円高時代の到来は大きな衝撃であった」と記している。これに対応するため、米現地法人の経営幹部に米国人を登用するなど「現地主義経営体制」を導入するとともに、欧州諸国への輸出を本格化した・・・

・・・第3に円高は日本経済の国際的地位を引き上げた。図には円ドルレートとともに、それにより換算した国内総生産(GDP)と1人当たりGDPの日米比を示した。円高の進行に伴い、70年に米国の約20%だった日本のGDPは80年には約40%となり、日本は文字通り経済大国としての地位を確立した。75年に仏ランブイエで開催された6カ国による第1回先進国首脳会議に日本が招かれたのは、これを象徴する出来事だ。

最後に国民生活も大きく変化した。為替レートで換算した日本の1人当たりGDPは80年に米国の77%に達した。個々の国民の視点からみると、円高は輸入品や海外で購入する財・サービスの価格を低下させた。
例えば60年代、海外旅行は大多数の国民にとって文字通り夢のような対象だったが、80年代には大学生が卒業記念に海外に行くことが珍しくなくなった。実際、70年に66万人だった年間の日本人出国者は85年には495万人に増えている。
ニクソン・ショック後の円高は経済成長の果実を国民に広く分配することを通じ、日本人にそれまでにはない豊かさをもたらした・・・

戦後の日本の経済成長を語るとき、高度経済成長に光が当たりますが、ここに述べられているように、1971年のニクソン・ショックとその後の円高、さらに石油危機を乗り越えた対応も、重要なことでした。
この記事には、1955年以降の円ドルレート、GDPと一人あたりGDPの日米対比の推移が図で載っています。GDPと一人あたりGDPの日米対比を見ると、日本経済の盛衰がよくわかります。1990年代半ばを頂点として、鋭い山形を描いています。上昇と下降です。
一人あたりGDPは、1955年にはアメリカの1割程度だったのが、(1980年代の円安による落ち込みを除き)右肩上がりに上昇し、1990年代半ばにはアメリカの1.5倍になります。その後は急速に下落し、現在では6割程度です。1970年代に逆戻りしています。ドル換算なので、私たちの実感と外れていますが、世界における日本の実力はこれなのです。