遅れてきた国家2

遅れてきた国家」の続きにもなります。
地域や国家の「進化」の速度の違いは、先進国に挑戦する後発国のほかに、後発国国民の先進国への流出も引き起こします。
現代の大量の難民も、その一つです。よりよい暮らしを求めて、後発国から国民が先進国へと逃げていきます。
また、後発国には、国家建設に成功した国と、まだできていない国や失敗した国があります。アフガニスタンは、後者でしょう。

国際社会は、各国の主権を認め、平等な国家の集まりという建前ですが、各国を見ると世界秩序への考え方の違い、経済格差、法の支配や政治の安定度が異なります。
法の支配や民主主義、基本的人権は、人が幸せに生活するための基本的仕組みです。長年の苦労の末に、人類がたどり着いたのです。しかし、その経験のない後発国にどのように根づかせるか。
押しつけても定着せず、押しつけを嫌う支配者は「内政干渉だ」と反発します。先進国も、革命や戦争などによって手に入れたものです。難しいです。

在宅勤務、気持ちの切り替え方法

8月17日の日経新聞夕刊「照明や風呂でゆったり感 在宅勤務のチルアウト」から。
・・・新型コロナウイルス禍で終わりの見えないステイホーム。仕事とプライベートの切り替えに悩む人は、ゆったりとした「チルアウト(くつろぎ)」の時間を取り入れてはどうか。朝にお決まりの作業をして仕事の意欲を高める「モーニングルーティン」が注目されたが、夜のチルアウトとセットにするとメリハリがつきそうだ・・・

在宅勤務では、オフの時間に精神面での疲れも癒やすことが課題になっている。夜の時間に気持ちを整理し、ストレスを軽減するコツを、明治大学教授で「どうしたらストレスフリーに生きられますか?」の著者、堀田秀吾さんに聞いた。
――在宅勤務での疲れを軽減するために、オフはどのように過ごすべきですか。
「コロナ禍では、プライベート空間の自宅で朝から晩まで過ごし、そこに仕事が取りこまれている。加えて、現代は情報技術の発達で多くの情報が入ってくる『過剰情報環境』にある。脳は疲れ切ってしまった状況になっている。一日のオフの時間では、デジタル環境を断食のように絶つデジタルデトックスの時間をつくった方が良い」
「特にSNS(交流サイト)を見ると、他者との比較をするなどして不安感などが増幅されてしまいがちだ。海外の大学が1000人以上を対象に行った実験では、デジタルデトックスをした成人の幸福度が上がったとする研究成果も出ている」

「チルアウト」では意味がわからず、「くつろぎ」の方が通じますよね。これも「言葉の商品」ですかね。

「ビジネスマンの父より息子への30通の手紙」

キングスレイ・ウォード著『ビジネスマンの父より息子への30通の手紙』(1987年、新潮社。文庫版1994年)を読みました。ベストセラーですから、読まれた方も多いでしょう。

私も、出版されたときに手に取ったのですが、その頃は読もうとする気が起きませんでした。もっとほかに読まなければならない本、読みたい本がたくさんありましたし。ひょんなことから、今回、ページをめくってみました。そして、一気に読了しました。
よいこと、役に立つことが書いてあります。もちろん、社長が後継者として息子を育てるために書いたので、すべての項目が読者である社員や職員に当てはまるわけではありません。しかし、「そのとおり」「悩んでいる若者には、よい助言だな」と思うことが多いです。「私ならどのように助言するか」と考えながら読みました。

このような本は、「もっと早く、若い時に読んでおけば良かった」と思うことがしばしばあります。ところが、若くて血気盛んなときには、先輩の忠告はしばしば頭に入りません。ある程度の経験を積んだ人が、振り返って「そうだよな」と思う本なのかもしれません。
職業人としての「教科書」はないので、若い人は参考書となるものを探します。この本も、読んでいくつかのか所が役に立てば良いのでしょう。そして、どのか所が役に立つかは、読む人の状況によって異なるのでしょう。
管理職の参考書としては、佐々木常夫著「そうか、君は課長になったのか。」(2010年、WAVE出版 。2013年、新書版)も読まれています。

ところで、仕事の作法の助言は後輩には言いやすいですが、息子や娘には、なかなか直言しにくいものです。手紙という形で伝えた著者は、偉いですね。さて、息子さんは、どのように父の忠告を聞いたのか。気になります。「社会人先輩の反省

遅れてきた国家

世界の歴史では、繁栄した国や文明が、周辺の後発国や民族に取って代わられることがしばしば起こります。
繁栄した国も、当初は軍事力が強く、国家統一や周辺を征服するのですが。成功すると、軍事より生活を楽しむようになります。それを見た周辺国が、戦いを挑み、勝利します。中国の歴史、ローマ帝国の滅亡などです。
もちろん、戦争はこれだけでは説明できません。周辺国でないけれども、指導者が国民の支持を得るために、対外戦争を続ける国もあります。ナポレオンやヒットラーは、これに該当するのでしょう。そこには、政治指導者の夢、国民の支持、指導者の国民の支持のつなぎ止めなどの要素があります。

20世紀に大きな戦争を経験した西欧諸国は、「もうこんなことを続けるのはやめよう」と考えました。都市を消滅させることができる、人類を抹消することもできる核爆弾が発明されたこと、無差別攻撃の悲惨さ、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺の悪夢も、それを後押ししました。
ところが、周辺国は必ずしもそれに同意しません。「先進国は、さんざん好きなことをやっておいて、周辺国に、先進国の論理を押しつけるのか」とです。

さて、中国の膨張主義は、「歴史は繰り返す」を見せるのでしょうか。
戦争、領土拡張以外の分野で、国の強さを国民に見せ、国民も満足できれば、戦争を回避できるのですが。他方で、国民の「一流国になった意識」をうまく制御できず、軍隊を統制できないと、戦争が起きます。
現代の先進国の論理は、戦争を回避することが政治指導者の責務ですが、過去の歴史や遅れてきた国家の論理は、戦争をして国民に強い国であることを見せるのが政治指導者の役割と思われています。

社会の意図した変化と意図しない変化2

社会の意図した変化と意図しない変化」の続きです。
意図して変えた社会の変化には、政府などが主導してつくってきたものと、住民たちがつくったものとがあります。指示の主体が明確なんものと、そうでないものです。

教育内容は、政府が決めています。それによって、国民の知識やものごとの判断基準ができあがります。ごみの分別収集は、自治体が決めています。国民や住民はそれに従っています。この場合は、方向性がはっきりしています。宗教団体による教化も入れておきましょう。
これに対し、住民たちが意図して作ったものは、挨拶をするなど、地域の風習であり、気風です。民度にもなります。だれがどのように主導したかが明確でない場合が多いです。
一部の人や一部の地域で「このようにしましょう」と始まり、広がっていくのでしょう。地区の祭りや共同清掃。エレベーターの片側を急ぐ人のために空けておくこと(最近は、鉄道会社が「手すりにつかまって、歩かないでください」と呼びかけています)。

人間関係だけでなく、例えば街並みの景色も同様です。各建築主が、住宅や事業用の建物を建築します。それら建物は、(建築基準法の下で)それぞれの建築主と依頼を受けた設計・施工者の意図によって建てられます。そこには、設計があります。
では、それらが集まった街並みはどうか。それは、設計によってはできていません。(都市計画法の規制の下で)形や色彩、風合いが異なる建物が並んでいます。かつての、建築技術や素材が発展していない時代なら、その土地での共通した建築物が並びました。しかし、技術と素材の進化は、さまざまな建物を可能にしたのです。

さて「公共を創る」に戻ると、農村や発展途上時代に作られた私たちの考え方や風習は、成熟社会には適合しません。自由だけど孤独な暮らしに対し、どのようにして安心を確保するのか。成熟社会に適合した考え方や通念はどのようなものか。そして、風習や気風を、どのようによい方向に変えていくか。

なお、個人個人の意図は悪くないのに、それを積み上げると全体の結果が悪くなる場合は、経済学では「合成の誤謬」と言い、政治学では「部分最適が全体最適にならない」と表現します。参考「作為の失敗、不作為の失敗
少々まとまりの悪い文章になりましたが、ひとまず載せておきます。