連載「公共を創る」第91回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第91回「社会の課題の変化―新たな課題対応のために生活省の設置を」が、発行されました。

この連載では、日本が経済成長に成功し成熟社会になったのに、社会の意識と仕組みが変わっていないことを主題の一つとしています。そのような視点で見ると、改革への取り組みは30 年は遅れています。

私は、「生活省」の設置を主張しています。それは、社会生活問題に本格的に取り組むためであり、行政の任務が大きく変わったことを明らかにするためにも必要だからです。先日の読売新聞でも話しました。「読売新聞に出ました「首相に直言 秘書官の役割」
各府省に散らばっている、国民の生活の悩みに関する部局を集めて、一つの省にするのです。「生活」と言っても広いですが、軸は、生活者、消費者、社会的弱者を守る施策です。そのような施策を任務としている課や局を統合して、一つの省をつくるのです。明治以来、省庁のほとんどが、生産者と提供者側に立っていました。それに対して、国民の生活側に立った省をつくるのです。
名称は「国民生活省」でもよいのですが、それでは定住外国人が外れることになります。あるいは「生活者省」「暮らし省」といった名称も考えられます。
対象と想定している部局は、次のようなものです。これらの組織あるいはその一部を、生活省に再編統合します。

(共生社会など)内閣府政策統括官(政策調整担当)のうち共生社会に関するもの、男女共同参画局、政策統括官(経済社会システム担当)のうち共助社会づくりに関するもの、関係する本部(子ども・子育て本部、子ども・若者育成支援推進本部、高齢社会対策会議、犯罪被害者等施策推進会議、子どもの貧困対策会議)
(消費者など)消費者庁。食品安全委員会
(家庭や子育て)厚生労働省子ども家庭局
(働き方)厚生労働省雇用環境・均等局、職業安定局、人材開発統括官、労働基準局
(社会的弱者)厚生労働省社会・援護局。法務省保護局、人権擁護局
(定住外国人)出入国在留管理庁在留管理支援部

暴力団の衰退

8月20日の朝日新聞オピニオン欄「消えゆくヤクザ」から。
「暴力団対策法が成立して今年で30年。ピーク時で20万人近くいたとされる暴力団員は、3万人以下に減った。「ヤクザ」はこのまま消え去るのか。それは警察や社会の勝利なのか」

藪正孝・福岡県暴力追放運動推進センター専務理事の発言
・・・暴力団はかつて、義理と人情にあつい世界、といった肯定的なイメージで語られることがありました。しかし実態は、違法薬物の密売や特殊詐欺などを繰り返す「犯罪組織」であることは明らかです。社会に寄生し、市民社会から利益を不当に吸い上げていると言えます。
覚醒剤は、2019年に全国の押収量が過去最多の2トン超にのぼりました。特殊詐欺の被害額は、昨年1年間だけで約285億円。こうした犯罪の多くに暴力団が関係しており、犯罪収益が「上納金」として組に流れています。
また暴力団は、意に沿わない市民に、容赦なく暴力を振るいます。工藤会は「暴力団排除」を表明していたクラブに手榴弾を投げ込み、従業員ら12人に重軽傷を負わせました。山口組も放火で風俗店従業員3人を殺傷しています。
時に「ましなヤクザ」はいても、「いいヤクザ」などいない。彼らは最後は常に「暴力」なのです・・・

広末登・犯罪社会学者の発言
・・・ただ、新たな問題が表れています。10~18年の9年間で、暴力団を抜けた人は計5453人。そのうち就職者数は165人と約3%しかいません。暴力団離脱後の受け皿が社会にないのです。
たとえば各地の暴排条例には、離脱後も5年間は暴力団員とみなす「元暴5年条項」があり、銀行口座などを簡単には持てず、就職も容易ではありません。仕事がなければ家族を養えない。彼らは犯罪の技術やネットワークを持っているので、特殊詐欺や覚醒剤の密売といった違法行為に走ってしまう・・・
・・・暴力団員は、経済的困窮や家庭内暴力、ネグレクトといった境遇で育ったケースが多い。犯罪や非合法な行為が身近な環境で育ち、一般社会の適切な価値観に触れずに成長する場合も散見されます。なのに、そこから抜け出そうとしても、社会復帰の道は極めて険しい。ある人間が属性要件のみで排除される社会は健全とは言えません。
暴力団は弱体化しましたが、代わって「元暴アウトロー」や「半グレ」という別種の危険な存在が跋扈している。そんな裏社会のありようは、今の表社会の限界を示しているのかもしれません・・・

禁止し、罰を加えるだけでは、問題は終わりません。排除だけでなく、この人たちをどのように受け入れるかが重要なのです。

アサガオがたくさん咲きました。

今年のアサガオは生育が遅く、最初に花が咲いたのが8月7日でした。
その後、ぽつぽつと咲いてはいたのですが、しばらく咲きませんでした。ようやく、小さなつぼみが、たくさんできました。

そして、先日からいくつも花を咲かせ始めました。赤や青の大きな花です。
去年と一昨年に取った種を撒いたので、貧弱になるかと思ったら、意外と大きかったです。
しばらく、楽しむことができそうです。めでたしめでたし。
でも、これからでは、子どもの夏休みの絵日記には間に合いませんね。

責任の取り方、けじめ

8月21日の朝日新聞オピニオン欄「過去の背負い方」、瀧川裕英・法哲学者の「責任果たす行為の難しさ」から。

・・・過去の悪事が免責されることはあるのでしょうか。法の世界には時効という制度もありますが、私たちが広く社会的責任について考える際に大事なのは、時の経過それ自体が何かを免責するわけではないということです。人が積み上げる行為こそが、その人を過去の悪事と切り離す。つまり責任を果たす行為によって過去は遠くなるのです。
ただ実際には、過去の責任を果たすことは非常に難しい行為でもあります。過去におかしたことは変えられない以上、できることは限られている。私たちにできるのはせいぜい、過去に自分がしたことの持つ「意味」を事後的に変えるだけかもしれません・・・

・・・では、社会に求められることは何でしょう。まず、責任が果たされていないときには、過去のその行為は悪いことであり、責任を果たすべきだと繰り返し宣明していくことだと思います。被害者を社会的に承認する作業です。
もう一つは、過去に区切りをつけて未来へ歩みを進めるためにはどうしたらいいかを考えることでしょう。責任をどう有限化するか、です。
過去の行為を許すことは、被害者にとっても意味がないわけではありません。加害者を許さない状態では、現在をうまく生きることができず、それは結局「自分」を許さないことにつながりうる。適切に区切りをつけられれば、未来への歩みを始められます。
私たちが責任について考え続けるしかない理由の一つは、責任の果たし方について決定をしなければならないからです。今回の「辞任ドミノ」でいえば、なぜ一方が辞任で他方は解任なのか。決定が適切に模索され、決定の理由がきちんと説明される。そのような議論の積み重ねが必要なのだと思います・・・

参考「責任の取り方
ところで、肝冷斎が、プロ野球、中田選手の暴行事件について、鋭い指摘をしています。暴行事件を起こし、日本ハム球団で出場停止になったのに、読売球団に移籍したらすぐに公式戦に出場していることについてです。

連載「公共を創る」執筆状況報告

恒例の、連載「公共を創る 新たな行政の役割」の執筆状況報告です。
第4章1(3)個人の責任と政府の責任を書きあげました。右筆たちに手を入れてもらい、それを反映して、編集長に提出しました。4回分くらいには、なりますかね。これで、9月は乗り切れるでしょう。

いや~、今回も難渋しました。集中力が続かないことと、議論している内容が難しいことによります。
孤独・孤立対策や社会的包摂にあっては、近代市民社会が前提としたこと、それによって作られた近代憲法が限界にあることを主張しています。みんながみんな、自立した市民ではありません。そして、孤立対策や社会的包摂は、従来の社会保障制度では救済できないのです。
話が大きいのと、法律学などを踏まえた議論をしなければならないので、ええ加減なことは書けません。とはいえ、私はその分野の専門家ではなく、また適当な書物もないので、四苦八苦しました。

こんな時は一人で悩まず、専門家に聞くのが早道です。ということで、今回は右筆を増やし、たくさんの人に見てもらい、意見をもらいました。ありがたいことに、いくつも鋭い意見をもらいました。それらを反映したので、これで安心して活字にすることができます。
400字詰め原稿用紙で、60枚近くの分量です。ワープロと右筆たちがいないと、とても書き上げることはできなかったでしょう。

この猛暑にも負けず、早起きして、頭がさえている時間帯に書きました。夜の異業種交流会ができないので、時間と体力は余っているはずなのですが。集中力は、そんなに長くは続きませんね。
今回も、締めきりを守りました。ホッとしましたが、ゆっくりはしておられません。その続きの原稿に、取りかからなければなりません。
第4章政府の役割再考 1社会の課題の変化を書き上げたので、次は、2社会と政府です。徐々に完結に近づいています。