遠隔講義の課題

7月7日の日経新聞、「遠隔講義、満足度に腐心」から。
・・・新型コロナウイルス禍で遠隔授業が大学で導入されるなど、講義風景が一変してから1年以上が過ぎ、新たな課題もみえてきた。オンラインに慣れた学生の満足度を上げるにはどうしたらいいか。入国できない海外の学生にどう配慮すべきか。海外留学が難しいなかで国内で英語力をいかに向上させるか。変化が続く授業の取り組みを追った・・・

・・・東芝に勤める傍ら日本大学で非常勤講師としてキャリア教育を講義する岩瀬慎平さんは、2021年度の遠隔授業の学生満足度の結果に手応えを得た。20年度は40%だった10点満点が、88%と倍以上に増えた。
「他の先生からも満足度向上の理由を聞かれる」と語る岩瀬さんは、遠隔講義に対して学生が抱く不満点の多くを解消したことが功を奏したと分析する。
「説明資料と音声のみの動画を視聴する講義が大半で単調」「パソコン備え付けのカメラは画質が悪い」「臨場感がなく一方的に話を聞くだけで飽きる」「資料の切り替えに時間がとられテンポが悪い」。こんな学生の不満が岩瀬さんに寄せられていた。

「投影資料や話し方を工夫しているだけでは限界がある」(岩瀬さん)。一眼レフなど複数台の高画質カメラを同時に接続し簡単に切り替えることができれば、テレビ番組のような動きのある高品質の映像を学生に届けられる。最近のウェブ配信技術を駆使することで、対面講義と同等またはそれ以上の臨場感のある講義ができるのではないか。
プロ並みの高音質なライブ配信を手ごろな価格で可能にすると評判の豪ブラックマジックデザイン社のライブスイッチャーを導入したところ「質の高いオンライン授業が可能になり、学生の集中力がとぎれず評判がいい。満足度向上につながった」とみる。

沖縄県を除き緊急事態宣言が解除されたとはいえ、海外の留学生は日本にまだ入れない。白板を背に説明する対面授業を動画として配信する大学も増えているが「学生の満足度は必ずしも高くない」(早稲田大学)との声もある。映像に動きが少ない動画だと、授業に集中させる力も弱まる・・・

映像を工夫すると、学生の関心も高まるのは理解できますが。授業をすべて、そのような映像を使って行うことは難しいでしょう。そして、映像で学生の興味を引くことと、理解し覚えることとは別だと思います。
京都大学の鎌田浩毅先生は、映像の限界を考え、授業では紙の資料を配っておられたようです。「鎌田浩毅先生の最終講義」ビデオの7分40秒あたりで、その説明があります。

奥井智之著『宗教社会学』2

7月7日の朝日新聞夕刊で、奥井智之先生の新著『宗教社会学:神、それは社会である』(東京大学出版会)が取り上げられていました。「宗教的なもの、形変え今も社会に」。この本は、ホームページでも、紹介しました。

・・・社会学者の奥井智之・亜細亜大学教授が5月に出版した『宗教社会学:神、それは社会である』(東京大学出版会)は、社会学の知見から「人間にとって宗教とは何であるのか」に迫った本だ。伝統社会で大きな影響力を持っていた宗教は、近代化と共に衰退してしまったのか。奥井さんは、宗教的なものは形を変えて、いまもスポーツなど様々な分野で人々に受け入れられていると話す。
「近代を通じて、宗教的知識は科学的知識による攻撃にさらされ続けてきました。でも、宗教的なものは今も社会に根を張り続けています。人間はつねに科学的にものを考えるほど単純な存在ではないからです」と奥井さんは話す・・・

・・・「宗教」を表す「religion」は、「固く縛る」「固く結ぶ」が語源で、宗教的な結合は、ほかにも様々な形で生き残っていると奥井さんは言う。
その一つがスポーツだ。「箱根駅伝が年中行事と化しているのは、それを通して新年の幸福を占ったり願ったりする国民的な儀礼になっているからでしょう。近代オリンピックも、賛否はあっても、4年に1回『国民』や『世界』を一つに結びつける宗教的な儀礼ともとれます。スポーツは現代における宗教の代用品とも言えるかもしれません」
さらに奥井さんは、著名な俳優やタレントが亡くなった時、日本中がこぞってその死を悼むのは宗教的な空間が一瞬生まれているからだとみる。
「知人が『科学はエリートのもので、宗教は大衆のもの』といっていましたが、私も同感です。人間の文化の根底には宗教があり、簡単に無くなるものではないのです」・・・

管理職、しんがりの役割も

連載「公共を創る」を書いていて、行政の役割として、これまでの前衛の役割だけでなく、後衛の役割が重要になっていることを指摘しています。

かつて「前衛の思想、後衛の思想」を書いたことがあります。
・・行政に関して言えば、明治以来西欧に追いつくために、インフラや公共サービスを整備することに重点を置いてきました。遅れた社会を、行政が先頭に立って発展させるのです。これも前衛の思想でした。他方で、その変化についていけない人を支援することも、行政の役割です。それは、後衛の思想です・・・

先進国に追いつく際には、官僚は前衛の役割でした。これからも、社会の変化に対応して、あるいは社会を変えるべく、前衛の役割は重要です。他方で、理想を追い求めるだけでなく、取り残された人たちを救うという後衛の役割も重要になりました。「坂の上の雲」とともに「坂の下の影」も見る必要があります。

前衛は先駆けであり、後衛はしんがりです。この思考は、組織の管理論にも当てはまります。鷲田清一さんが『しんがりの思想 反リーダーシップ論』(2015年、角川新書)で指摘されていて、参考になりました。
与えられた目的に向かって、先頭に立って職員を率いていく。これは、先駆けの役割です。他方で、組織内には、それについて来られない職員も出てきます。この職員たちを脱落させないこと。その気配りも、必要です。それが、しんがりの役割です。

私の課長経験では、課長補佐や係長が、このしんがりの役割を担ってくれたことが多かったです。私が若く、経験不足だったこともあります。経験豊富な(私より年上の)部下が、調子の悪い若手職員の面倒を見てくれることがあったのです。その職員からの報告で、初めて困っている職員がいることを知ったこともありました。

連載「公共を創る」第86回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第86回「社会の課題の変化―自由な社会で重要な他人とのつながり」が、発行されました。前回に続き、引きこもりが増えた背景として、生きづらい社会について説明しています。

他人から干渉されない自由は楽しいものですが、他方で、自分で選ばなければならないという「つらさ」も伴っています。しかも、何でも自由に手に入るものではなく、自らの力量や努力によって制約があります。うまくいかないときに、自由は重荷になります。
さらに日本では、「世間の目」という縛りがあります。自由な行動を世間が許さないのです。「我が道を行く人」にとっては負担ではありませんが、「繊細さん」にはつらいことです。

人とのつながり、社会での居場所が、孤立を防ぎます。しかしそれは、待っていても与えられるものではなく、自分でつくらなければなりません。各種の中間集団は、その機会を提供します。血縁、地縁、社縁などが薄れたいま、社会での新しいつながりをつくる必要があります。
他方で、孤独や孤立に悩む人に相談窓口をつくること、その人たちを発見して支援することも重要です。

非政府組織の役割

7月4日の読売新聞言論欄、長有紀枝・難民を助ける会会長の「人道支援や問題提起 NGOが抱えるもどかしさ」から。

・・・非政府組織(NGO)の役割とは何でしょうか。
「政」が予算の優先順位をつけ、「官」がそれを遂行します。この過程で切り捨てられるものも決まる。この決定は誰かがしなければならないことであり、悪いとは言いません。ただ、取りこぼされる人や、日の当たらない問題が出る。そこに光を当てるのがNGOの役割だと思っています。
「全体の優先度は低くても、誰かにとっては死活問題だ」という認識や想像力を持つのは多様性を重んじることに通じます。
NGOに対しては、「あなたたちは誰からも選ばれていない。勝手にやっている」という批判があります。でも、選挙で投票してくれた多数の人を代表する「政」とは別に、少数の人の立場を代弁する。あるいは、後回しにされがちだったり、まだ争点になっていないが構造的・潜在的だったりする問題を提起し続けることこそがNGOの存在意義ではないでしょうか。
NGOの活動は、助けを必要としている人や地域への支援と、何かについて声を上げる啓発に大別できます・・・

・・・カナダ政府高官から、「長年の活動を通して、政府とNGOのパートナーシップは対等でないと機能しないことを学んだ」と聞いたことがあります。この対等の関係を築くことが日本では難しい。
「難民を助ける会」は1979年、初代会長の相馬雪香がインドシナ難民支援を目的に始めました。相馬は、「議会政治の父」として知られる政治家・尾崎行雄の三女で、「政」「官」に知己が多かった。ところが、一緒にやろうと働きかけたら「それは官の仕事だ。民は余計なことはせんでもいい」と相手にされなかった。
この「民は余計なことはするな」というメンタリティーはいまだ、日本の官の一部に根強く残っていると感じることがあります・・・