日本行政学会に登壇

5月22日の日本行政学会総会、共通論題「東日本大震災・復興の政策と行政の10年」(日本学術会議共催)に、報告者のひとりとして登壇しました。私も学会員です。コロナ対策で、オンライン開催です。
飯尾潤・政策研究大学院大学教授、稲継裕昭・早稲田大学教授と一緒にです。私の演題は、「復興実務と現場の10年―強靱な町と生活の再建。政策の転換―」です。

持ち時間は25分なので、時計を見ながら話したのですが。話に熱中して、勘違いをしていていました。途中で気がついて、後半は駆け足になりました。投影資料に、話の要点などを記載しておいたので、理解してもらえたと思います。
自宅の書斎から参加したので、背景に書棚が写りました。見た方から、「後ろに本棚写ってましたで」と連絡がありました。

今回の大震災への対応と復興については、さまざまな分野から支援や意見をもらいました。行政学からは、方向を決めた復興構想会議から、途中での評価などで参画していただきました。
私たちも、評価に耐えるよう、仕事をするとともに、情報を公開しました。どの点がよかったか、不足だったかを検証してもらえる、素材を提供できたと思います。

フィリピン政府次官研修の講師

今日21日は、フィリピン政府次官研修の講師をしました。コロナウィルス対策で、来日ができず、オンライン開催です。
政策研究大学院大学が、フィリピン政府に協力して実施しています。毎年日本に呼んで、1週間ほどの研修をしているそうです。私は、政策研究大学院大学で話しました。

対象者は各省の次官級で、日本でいう政務次官(副大臣、政務官)と事務次官が含まれるようです。19人が参加しました。
私は、大震災への対応の経験を話しました。理解してもらうために、写真をたくさん使いました。みなさんインターネット越しに、興味を持って聞いてくれて、質問もたくさん出ました。
フィリピンと回線で結ぶと、会話に少し時間差が出ました。それでも、便利なものです。

法治国家、日本の形

東大出版会宣伝誌「UP」2021年5月号、内田貴さんの「書かれざる法について」が興味深いです。民法のうち契約に関する部分の改正についてです。明治初期に制定して以来、121年ぶりに改正されました。これも驚きですが。
日本がお手本にしたドイツやフランスでは、21世紀に入って次々と現代化しているのに、日本では反対が強かったのです。法曹界だけでなく、経済界からの抵抗が大きかったそうです。

焦点の一つが、事情変更の原則です。第一次世界大戦後、ドイツではハイパーインフレに襲われ、貨幣価値が1兆分の1まで下落しました。債権が額面では無価値になり、裁判所は「合意は守らなければならない」という原則を変更し、増額を認めました。これが事情変更の原則です。
日本でも、学説上も判例も確立しています。そこで、法務省が民法現代化の一つとして、この法理を明文化しようとしたのです。ところが、最後まで経団連の反対を超えることができず、条文化は断念されました。
既にできあがっている原則を明文化することに反対する???
法文より、裁判官を信頼してるようです。しかし法律は、裁判官が恣意的な判決をしないように縛るためのものでもあります。

内田先生も指摘しているように、日本の民法をはじめ法律は、条文だけで完結しておらず、背後に書かれていない規範があります。法治国家といっても、欧米(たぶん国ごとにも違うのでしょうが)と、日本では効果が違うようです。
新型コロナウイルス感染拡大防止についても、象徴的なことがあります。
各国が、法律で国民の行動を制限しているのに、日本は要請ですませています。法律で制限しているのは、事業者の営業についてです。
日本には、欧米流の「法治国家」と伝統的な「世間の目」という、二つの社会があります。「戦後民主主義の罪、3

ジャーナリズムの不作為

5月14日の朝日新聞オピニオン欄、山腰修・慶応大学教授の「ジャーナリズムの不作為 五輪開催の是非、社説は立場示せ」が興味深かったです。

・・・「ジャーナリズムの不作為」という言葉がある。メディアが報じるべき重大な事柄を報じないことを意味する。例えば高度経済成長の時代に発生した水俣病問題は当初ほとんど報じられなかった。このような不作為は後に検証され、批判されることになる。
ジャーナリズムは出来事を伝えるだけでなく、主張や批評も担う。したがって、主張すべきことを主張しない、あるいは議論すべきことを議論しない場合も、当然ながら「ジャーナリズムの不作為」に該当する。念頭にあるのは言うまでもなく、東京五輪の開催の是非をめぐる議論である・・・
・・・この段階に至るまで、主流メディアは「中止」も含めた開かれた議論を展開したとは言い難い。例えば、5月13日現在、朝日は社説で「開催すべし」とも「中止(返上)すべし」とも明言していない。組織委員会前会長の女性差別発言以降、批判のトーンを強めている。しかし、それは政府や主催者の「開催ありき」の姿勢や説明不足への批判であり、社説から朝日の立場が明確に見えてこない。内部で議論があるとは思うが、まずは自らの立場を示さなければ社会的な議論の活性化は促せないだろう・・・

・・・かつて6年近く朝日の論説主幹を担った若宮啓文は、社説を「世論の陣地取り」と位置づけた。社の考えや価値観の理解・支持を広げていく手段、というわけである。こうした点からすると、五輪をめぐる朝日の社説は「陣地取り」に完全に失敗している・・・
・・・ただし、「世論の陣地取り」の仕方も時代に合わせて変化が求められる。かつてのように主張を一方向的に伝えても、多くの人々に届かない。不確実性の高まる社会では、自らの主張が「正解」である根拠を見いだすことが難しい。間違いを指摘されるかもしれないし、批判されるかもしれない。
だが、そうした指摘や批判に耳を傾け、応答しながら柔軟に修正を積み重ねるような社説でも良いのではないか。「言いっ放し」ではなく耳を傾ける姿勢が、ソーシャルメディアの時代では共感や理解を得る手段となる。いわばそれは社会との対話によって議論を発展させる新しい社説の形である・・・

子どもへの政治教育、スウェーデン

5月14日の朝日新聞「ひと欄」に、リンデル佐藤良子さんの「スウェーデンの民主主義教育を日本に紹介する」が載っていました。
・・・スウェーデンの若者・市民社会庁が出した主権者教育の指南書「政治について話そう!」を仲間と協力して訳し、クラウドファンディングで世に出した。「この国では就学前の保育園から民主主義を教える。日々、水を飲むように民主主義に接するんです」・・・

インターネットで探したら、本屋には売っていません。クラウドファンディングで出版され、無料で読むこともできます。
「スウェーデン若者市民・社会庁(MUCF)からは、翻訳の許可はいただいていますが、出版にあたっては商業目的にならないように、とお達しをいただいているので、費用はすべて実費と手数料に充てます」とのことです。

日本では、欧米に追いつく際に、「できあがったもの」として民主主義を輸入したようです。世間には、公共の事柄に関して、さまざまな意見を持つ人がいること。その際に、どのようにして、意見の違う人たちの間で結論を出すか。その過程を教えないと、民主主義は実体化しません。この本には、「学校は価値中立ではない」との言葉が出てきます。
学校で、知識を教え込むことに重点を置き、討議することや自分で考えることは少ないです。知識を教え込むには効率的ですが、自分で考えることは不得手になります。
政治教育についても同様で、政治制度は教えても、政治過程の実践的教育をしないことも、課題の一つでしょう。