アサガオ発芽

先の日曜日23日に、今年も孫と一緒に、アサガオの種をまきました。昨日28日朝に2つ芽が出て、夕方には10にも増えました。今日夕方には、20を超えています。
ここ数年、わが家で咲いたアサガオの種なので、どのような花が咲くでしょうか。

玄関脇の椿は、つややかな葉を、日の光に照らしています。かつてはくすんだ色で、お師匠様から「元気がないねえ」と言われていたのですが。肥料などの手入れがよかったのでしょう。かなり茂ったので、そろそろ剪定をしなければなりません。
夏椿も元気よく、緑の葉をたくさん開いています。マッチ棒の先のようなつぼみも、いくつか膨らんで、パチンコ玉くらいまでになりました。今年は、期待できそうです。
鉢植えの椿や桜も、葉を茂らせています。

ソーシャル・ディスタンス?

奥井智之先生の「不特定多数で「社会の敵」を叩く“祭り”が、ネット上で発生するそもそもの理由」には、次のような指摘もあります。「ネット記事のコメント欄とSNSのはかなさ

・・・今回のコロナ禍の下で、人々は、たえず身体的距離をとるように求められてきた。
「社会的距離(social distance)」は、本来、人々の親密度を測る指標である(家族のメンバーは遠くにいても、その「社会的距離」は近いのが普通である)。したがって、ここでは、「社会的距離」と「身体的距離」を区分する。
理論的には、「身体的距離」を取ったからといって、「社会的距離」が広がるわけではない。しかし、「身体的距離」の拡大は、「社会的距離」の拡大のリスクを、つねにともなっている。それが、コロナ禍の下で、わたしたちが直面してきた、根源的な危機である・・・

連載「公共を創る」で、孤立を書いているところです。そこでは、孤立しないように他人や社会とのつながりの重要性を指摘しています。
先生の指摘にもあるように、ソーシャル・ディスタンスは、本来は社会的距離であって、人の親密度です。ウイルス感染を防止するために他人との間に距離を置くことは、物理的距離や身体的距離です。家族や友達とは遠く離れていても、社会的距離は近いです。

「ソーシャル・ディスタンスをとる」では、「他人との社会的つながりを断ちましょう」という意味になってしまいます。よもや「家に引きこもって、他人との連絡も絶ちましょう」と呼びかけているのではないでしょう。
「距離を取りましょう」「間隔を空けましょう」では、なぜいけないのでしょうか。

日本記者クラブ登壇「政と官」

きょうは、日本記者クラブに呼ばれて、「官僚と政治」についてお話ししました。1時間話して、30分の質疑応答です。
コロナ対策で、オンライン開催です。司会者の坪井記者が横にいるほかは、椅子だけが並んでいる会見室で、カメラに向かって話しました。百数十人の登録があったそうです。記者クラブのサイトに、写真が載っています。動画も公開されました。

話が脱線しないように、骨子をつくり、それを配って、それに沿って話しました。「資料1
日頃考えていること、これまで考えたことを整理して、思いの丈を話すことができました。盛りだくさんなので、1時間でも時間が足らないくらいでした。たくさんの質問が出ました。
場所が場所なので、言葉を選びながら話しました。さすがに、疲れました。今週は、これを含めて3回講演がありました。「その2」「その3」へ。

骨子の後ろに、これまで書いた「行政と官僚のあり方に関して」の拙稿を並べておきました。結構、書いてきましたね。詳しくは「著作一覧
『省庁改革の現場から-なぜ再編は進んだか』(2001年、ぎょうせい)
『新地方自治入門-行政の現在と未来』(2003年10月、時事通信社)
連載「行政構造改革-日本の行政と官僚の未来」月刊『地方財務』(ぎょうせい)2007年9月号から2008年10月号まで、未完
「行政改革の現在位置~その進化と課題」年報『公共政策学』第5号(2011年3月、北海道大学公共政策大学院)
『東日本大震災 復興が日本を変える-行政・企業・NPOの未来のかたち』(2016年、ぎょうせい)
連載「公共を創る-新たな行政の役割」『地方行政』(時事通信社)に、2019年4月から連載中

「幸せのメカニズム」

前野隆司著『幸せのメカニズムー実践・幸福学入門』(2013年、講談社現代新書)が、勉強になりました。かつて興味を持って買ってあったのですが、放置してありました。連載執筆にあたり、積ん読の山から発掘しました。

近年、幸福学が盛んになっています。その理由の一つが、経済成長の達成です。経済成長によって、生活満足度は上がる傾向にあるのですが、ある段階からは上がらなくなります。当然ですよね、もし上昇を続けて、生活満足度が満点まで上がったら、その先はどうなるか。そう考えても、物の豊かさは、幸せの一要素でしかありません。

各人によって異なる幸福感をどのように、客観的に比較分析するか。幸福論は、古典時代からさまざまな識者が論じ、また私たちもそれなりの考えを持っています。幸福学では、哲学的な幸福論ではなく、多くの人の調査を基に統計学的に分析します。
他人との比較(地位財)による満足と、他人との比較と関係ないこと(非地位財)よる満足があります。前者は、所得、社会的地位、物などです。後者は、健康、自由、愛情、社会への帰属意識などです。そして、地位財による幸福は長続きせず、非地位財による幸福は長続きします。しかも地位財による幸福は、維持するために「走り続け」なければなりません。終わりがありません。

前野先生の研究では、幸せの心的要因は、次の4つにまとめられています。「自己実現と成長」「つながりと感謝」「前向きと楽観」「独立と自分らしさ」です。
人によって考えはさまざまでしょうが(先生もそれは断っておられます)、私には納得できる要素です。
詳しくは本を読んでください。「明るい人生講座」です。役に立ちますよ。

とはいえ、東北楽天ゴールデンイーグルスが負けると、元気が出ません。