特ダネの記録、高知県庁闇融資事件

朝日新聞ウエッブ論座、依光隆明・朝日新聞諏訪支局長の「高知県庁「闇融資」事件 載せていいのか、悩みに悩んだ高知新聞 武器は紙面、エネルギーは読者の応援」(4月29日掲載)を紹介します。

・・・ Kさんのことを考え、何度も夜眠れなくなったことを覚えている。
2001年5月10日、高知県警は決裁ラインにいた高知県庁の副知事から班長まで5人を背任容疑で逮捕した。Kさんは商工労働部長として容疑に関わっていた。連行されるとき、捜査員と一緒に自宅から出たKさんと目が合った。Kさんは覚悟を決めたかのように小さくうなずいた、ように見えた。

彼らが手を染めたのは民間企業への融資である。議会に知らせず、庁内ですらマル秘にして、本来は県信用保証協会に預けておく預託金から予算を流用していた。その額、実に12億円。しかもほぼ全額が焦げ付き、予算にぽっかり穴を空けている。なぜそんなことをしたのか。大きな理由は相手方への恐れだった。
当時、高知県では部落解放同盟の力が強大だった。融資の相手方は、その幹部が関わる縫製企業。求められるまま県は公的資金を注入し、あげく予算の違法流用まで行っていた。闇の中で公金を流すこの行為を、高知新聞は「闇融資」と名付けた。闇から闇への闇融資である。

逮捕された県庁マン5人の誰ひとりとして自分の懐にカネを入れていない。これも県職員の仕事だと信じ、ときには上から言われるままに動いていた。典型がKさんだったように思う。気さくでまじめ、文人肌の善人だった。まじめで組織に忠実だからこそ部長にまで上り詰めたのかもしれない。彼なりに仕事を全うした代償が逮捕・起訴だった。副知事、課長とともに実刑判決を下され、刑務所に収監された。築き上げた社会的地位も、経済的安定もどん底に落ちた。
追い込んだ先駆けは高知新聞である。善良な県庁マンをそこまで追い込んでいいのか。自分が彼の立場だったらどうしたのか。上司や周りに逆らえたのか。甘いと言われれば甘いのだが、逮捕前後にはそんなことをよく考えた。予算に穴が空いていればいつか露見する、高知新聞が報道してもしなくても一緒だ。いや、露見を防いだ可能性もある。なにせ彼らは後付けの理屈をつくるプロなのだ。などなど、いろんなことを自問自答した・・・

詳しくは原文をお読みください。このほかにも、「特ダネの記録」があります。

これでも日本語、NHK

いつもの「カタカナ語やアルファベット語批判」です。今回は、NHKです。
日本放送協会ウエッブサイト(すみません、これもカタカナ語です)の「ビジネスパーソンこそPTAに」(4月23日掲載)を、読者から教えてもらいました。読んでもらうとわかりますが、カタカナ語の氾濫です。

冒頭に、次のように、記事の要点が掲げられています。要点だと思いますが、記事では「アジェンダ」と記載されています。

本日のアジェンダ
運営はダイバーシティ
ビジョン・ミッションの共有を
ICT化でサステイナブルに
キャリアアップの道も
システムのアップデートが鍵

これらを、日本語では表現できないのでしょうか。日本語より、英語(らしきカタカナ)が格好良いと思っているのでしょうか。
また、言葉としても不正確でしょう。アジェンダ(agenda)は、会議で論ずる議題の一覧です。ここに表記されているのは議題ではなく、要点です。
記事の最後には、「コンクルージョン」も出てきます。「結論」ではダメなのでしょうか。文字数も多くなり、「簡潔に」の原則にも反しています。
新聞記者は「記事を書く際には、中学生でもわかるように」と指導されていると、聞いたことがあります。
放送協会内では、このような文章が問題にならないのでしょうか。

「こんなに違うドイツと日本の学校」

和辻龍著『こんなに違う!?ドイツと日本の学校 ~「自由」と「自律」と「自己責任」を育むドイツの学校教育の秘密』(2020年、産業能率大学出版部)が、勉強になりました。
内容は、表題の通りです。著者は、ドイツの工科大学に留学し、同時にギムナジウム(日本の小学5年生から高校3年生までが通う学校)に生徒として通う経験をしました。そこで体験した日本と異なる教育の姿と、その背景にある考え方「この国のかたち」を描いています。

知識を教え、一定の型にはめる日本の教育。それに対し、考えることを身につけさせるドイツの教育。
明治以来の日本の教育手法は、日本国民の教育水準を引き上げ、集団への順応と優秀な会社員を作ることに成功しました。しかし、型にはまりたくない人にとっては窮屈な学校であり、社会をつくりました。そして、自分で考えることが少ない人を作りました。
ちなみに、著者は和辻哲郎さんのひ孫だそうです。
参考「ドイツの学校にはなぜ「部活」がないのか

消費回復へ賃金引き上げを

4月26日の日経新聞経済教室、山口広秀・日興リサーチセンター理事長と吉川洋・立正大学長による「コロナ後のあるべき政策 消費回復へ賃金デフレ脱却」から。

・・・戦後最悪の経済の落ち込みを前に、財政支出は拡大せざるを得ない。所得低下は低所得家計で大きい。就業形態別にみると、パート労働者(特に飲食店)で現金給与総額の落ち込みが大きい。不況は常に逆進的だが、コロナ禍では特に著しい。従って格差の緩和が財政政策の大きな役割となる・・・
・・・しかしコロナショック後に採られた諸政策は、個人消費の明確な増加にはつながっていない。コロナが収束しない限り、消費の盛り上がりは期待できない。しかも日本の個人消費には構造的な弱さがある。
それは近年の消費性向の一貫した低下に端的に表れている。消費性向は14年の75%から20年には61%まで低下した。消費性向の高い65歳以上の高齢者ですら、11年の94%から20年には72%まで低下している。内閣府「国民生活に関する世論調査」をみても、人々が現在より将来への備えを重視する割合は、この20年間調査のたびに上昇している。
金融広報中央委員会の世論調査では、世帯主が60歳未満の世帯に老後の生活について尋ねると06年以降、「心配である」という人が約9割に達する。この10年余りは4~5割が「非常に心配である」と答える。家計の貯蓄目的としては「老後の生活資金」の割合が年々上昇し、13年以降は貯蓄の最大の目的となっている。
図は、消費者の経済や所得への見方をアンケート調査して指数化した経済協力開発機構(OECD)の消費者信頼感指数を国際比較したものだ。日本は14年ごろまでは米欧とほぼ並ぶ水準にあったが、その後低迷が続き、コロナショック後の回復も弱い。財政・金融政策は大同小異にもかかわらず、日本の景気回復が米国に比べ著しく弱いのは、日本の消費者心理が好転しないことが大きな原因だ。

漠然とした将来不安の背景は2つある。一つは政府の財政再建の展望が開けないなか、社会保障の持続性への懸念が強いこと、もう一つは消費者の所得上昇期待が低下していることだ・・・
・・・もう一つの賃金・所得上昇が期待できないことについては、名目賃金の上昇率(年収ベース)は、20年6月以降マイナス幅が拡大しており、足元ではマイナス1.5%となっている。世界的に低インフレが指摘されるなかでも、名目賃金の上昇率(19年)は米国が3.7%、ドイツが2.7%だ。日本の賃金デフレは異常な状態だ。賃金・所得の低迷は経済成長の問題にほかならない。経済成長は財政再建にとっても、十分条件ではないが必要条件だ。
先進国の潜在成長率(直近5年の平均)をみると、米国が2.0%、ユーロ圏が1.3%に対し、日本は0.6%と低さが際立つ。労働人口の減少もあるが、より大きいのは労働生産性の伸び悩みだ。1人当たり実質GDPの年平均伸び率(購買力平価ベース)は、1990年から2019年までの間、米国が1.5%、ユーロ圏が1.2%の一方、日本は0.9%にとどまる。生産性は、サービス業はもとより、製造業を含め幅広い業種で米欧より低い・・・

参考「最低賃金の引き上げ

もく拾い

最近、もく拾いをしています。
「もく拾い」といっても、若い人には通じませんかね。道路に捨てられたタバコの吸い殻を拾うことです。かつては、それを集めて、タバコとして吸う人がいました。

私のもく拾いは、家の前の道路の掃除です。毎日のように、タバコの吸い殻を捨てていく人がいます。一つ捨ててあると、次の人も捨てるでしょうから、なるべく掃除するようにしています。「割れ窓理論
予防のためなので、向こう三軒両隣までです。最近は、家にいることが多いので、せっせとやっています。ご近所には、私以上に掃除に熱心な方がおられます。「仕方ないですねえ」とか、声を掛け合っています。