5月14日の朝日新聞オピニオン欄、ドミニク・チェン早稲田大学准教授の「わかりあえなさと共に」から。
――コロナ禍で人に会う機会が減り、ネットに1人で向きあう時間が増えました。コミュニケーションの研究者として、この1年あまり、なにを感じてきましたか。
「大学の現場では試行錯誤が続くなか、講義を映像でいつでも見返せるようになるなど、合理的な変化も起きました。オンラインでも、学生たちと一緒に学んだり、現状に対して批評的に考えたりすることはできると感じています」
「ただ、会って話すときのコミュニケーションの豊かさは、簡単には置き換えられません。人は本筋とは関係ないノイズ、つまり雑音のような情報の海の中を漂いながら、コミュニケーションを成立させるための信号を発したり受け取ったりしています。しぐさ、表情、あいづち……。この研究室の書棚の本の背表紙や置物、窓の外の風景も、理解を深める大事な情報です」
「それが、オンラインでは顔と声を除く膨大な量の情報がそぎ落とされてしまう。相手が置かれている環境や言葉の裏の感情を読み取ることは難しい。自分の話し方も、つたなくなっていく」
――グーグルやアップル、フェイスブックなど「GAFA」と呼ばれる巨大IT産業が、こうした情報を差配しているとして、批判も強まっています。
「米国の西海岸に特有の、技術が進化すれば人類の悩みは解決するという、テクノロジー信仰と自由放任的な資本主義があいまって、フィルターバブルやSNS上の分断を加速させた、ということは言えるでしょう」
「収益を最大限にするため、利用者の自社アプリに対する中毒状態をいかにつくるか――。米国から中国まで数学や心理学の博士号を持つ世界の天才たちが、そんな仕事をしている。スマホのアプリは、利用者の特定の情報に対する飢餓感を誘発するように設計されている。反倫理ではないが、非倫理。悪意はないが、倫理の要素が抜け落ちていた。選挙の操作や若者たちへの精神的な影響などが指摘され、規制や再考を促す議論が始まっているところです」
――著書「未来をつくる言葉」を書くきっかけにもなった娘さんは9歳。デジタルとはどう付き合っていますか。
「注意を収奪されるものは使わせないようにしています。たとえば、ユーチューブは自動再生機能があるので、自分で選択したのではない情報に満足する状態に慣れてしまう。大人も中毒になりかねないものを無自覚に子どもに与えるのは、危険だと思います」
「ネット中毒とは、自らの意思とは関係なく時間を奪われてしまうことです。リテラシー(見極める力)を高めるためには、日本でも広くプログラミングを教育に取り込むべきです。そうすれば、子どもはプログラムの設定を少し変えるだけで情報の出方が違うことを体感できる。自分が企業の設計しだいで操作されてしまう世界で暮らしていることもわかります」