アメリカの悩み、賃金が増えない

11月26日の日経新聞経済教室は、会田弘継・関西大学客員教授の「大統領選後の米国と世界」でした。内容は本文を読んでいただくとして、そこに2つのグラフが載っています。

一つは、学歴別で見た男性正規従業員の実質賃金の変遷です。1964年から2012年までの実質賃金の変化(1963年を100とした指数)が、折れ線グラフで示されています。学歴別区分は、高校中退、高校卒、大学中退、大学卒、修士以上の5区分です。
グラフを見ると、ものの見事にその差が出ています。1970年代までは少しの差がありつつも、全体に上がっています。1980年代以降は、大学中退以下の学歴層が低下します。高校中退では、1990年代に指数が100を切ります。他方で、修士以上は1990年代以降も順調に伸びます。大卒も上昇します。
その結果2012年では、修士以上は200、大卒が140に対し、大学中退は120程度、高卒は110程度、高校中退は100程度です。
この半世紀で、大卒以下はほとんど賃金が伸びていないこと、そして学歴によって大きな格差が生じていることがわかります。製造業が他国に奪われ、知識集約型産業は元気が良いことの反映でしょう。

もう一つは、親の所得を超えた子の比率です。1940年から1980年代半ばまでに生まれた子どもの、親の所得を超えた子の比率です。1940年ごろに生まれた子どもは、9割が親の所得を超えます。その後どんどん低下し、1960年代生まれでは6割になります。1980年ごろの生まれでは、5割です。
これも、一目瞭然です。

1980年代にアメリカが元気を失った際に、経済で日本に追い抜かれたことより、建国以来続いていた、子どもが親より豊かになることが止まったことが理由だと言われたことがあります。連載「公共を創る」でも、紹介しました。
「公共を創る」では、社会の雰囲気や社会意識が「この国のかたち」をつくることを説明しています。アメリカの元気のなさ、社会の分裂を生んでいるのは、このような経済的背景でしょう。それも、GDPといった一国の経済指標でなく、国民・庶民の暮らしであり、肌感覚です。
そして、アメリカの現状は対岸の火事ではなく、明日の日本でもあるのです。

話しかけられて嫌なときほどうれしそうな顔をしろ

12月3日の日経新聞夕刊、私のリーダー論は、野島広司・ノジマ社長の「部下の声にうれしい顔を」でした。

――理想のリーダー像はありますか。
「やはり部下から尊敬されていない人はリーダーとしては不適格だと思います。尊敬されるというと言い過ぎかもしれませんが、上司の悪い点を部下が言いやすい環境をつくらなくてはなりません。部下の意見などを抑え込む人はリーダーとしてよろしくないと思います」
「親子関係もそうです。親に何でも相談できる性格の子と、できない子がいますよね。でも子供が相談できないのは半分以上、親が悪いのだと私は思います。ですから『話しかけられて嫌なときほどうれしそうな顔をしろ』とリーダー候補と思う人には言っています。そうすると部下の姿が見えるようになります」

――でも、忙しいときに話しかけられるといらつきませんか。
「イラッとします。会社でも私が出かけようとするときに限って話しかけてきて了承を求める社員もいます。イラッとして『こんな忙しいときにまた持ってきて』と言葉に出しちゃいます。本人に面と向かって言うのが私のスタイルなんです」
「人を叱るときはオープンな場で叱ります。一対一で叱れ、と言う人もいますが、他の人が聞いている方がいいと思います。言い過ぎたと思ったときには謝ります。この年になって、その加減がようやく少し分かってきました」

関西大学で講義2

関西大学で講義」の続きです。学生たちが書いてくれた感想文を読みました。
授業終了後30分以内に、電子メールで林先生に提出する仕組みです。54人の学生が、書いてくれました。

簡単なものもありますが、多くの学生が結構長文を書いています。林先生もおっしゃっていますが、多くの学生が、5分程度でこれだけの長い文章を書けることは、驚きです。
しかも、私が伝えたかった内容を、的確に理解してくれています。大震災は、彼らが小学生の時です。被害の生々しさと復興の難しさのほかに、町が失われたことによって、また町を復興することを通じて、町の暮らしが何からできているか、行政だけでなくそのほかの主体が重要であることがわかったことです。

よい反応をしてくれた学生諸君に、感謝します。

卒業記念の寄せ書き

11月30日の退任の際、職員たちが見送ってくれたのですが、記念にと、手提げ袋も一つもらいました。家に帰って、開けてびっくり玉手箱です。30センチ四方ほどの色紙が、たくさん入っていました。それぞれの色紙に、5センチほどの卵形の紙がたくさん並んでいて、その卵形の一つひとつが、各人の寄せ書きなのです。

1 その数305名です。よくまあ、これだけ多くの人から集めてくれましたね。
2 現在復興庁に勤めている職員もいますが、ほとんどが、かつて一緒に働いた人たちです。各省から来ていた職員、民間から来てくれていた職員、自治体職員のほか、国会議員、知事、市町村長もおられます。地方や海外からも。失礼ながら忘れていて「そういえば、この人もいたなあ」と思い出す人も、たくさんおられます。9年間の仕事でしたから。
3 作成してくれた職員に聞くと、インターネット上に「ヨセッティ」なる寄せ書きサービスがあり、それを使ったとのことです。これをメールで関係者に送りました。あわせて、「前任者などにも転送をお願いします」として「拡散」したのだそうです。
なるほど、それで遠く地方や海外の人まで参加できたのですね。寄せ書きが自筆だけでなく、活字のものが多かったのは、スマートフォンなどから返信してくださったからでしょう。
4 その後、初期の頃に復興庁に在席し、今は霞が関を離れている人に会ったので、「あんたも書いてくれたんだね」と話しました。「いや~、霞が関界隈では、この連絡メールが飛び交っていたのではありませんか」と笑っていました。

これだけの数になると、読むだけでも大変です。そして、書かれた言葉とその方と一緒に働いた頃を思い出して、なかなか読み終わりません。
ありがとうございます。