階統制組織と平等的組織

組織構成員の分類その3。階級の区別」の続きにもなります。
人が集まって、ある目的を達成するために集団を作ります。その際に、構成員が平等な組織と、上下関係をつくる組織があります。
前者は、議会や組合、同好会などに見ることができます。後者は、会社や役所などです。

後者の仕組みを「ヒエラルキー」と言いますが、会社組織にあっても前者のような仕組みをがあり、それを「ホラクラシー」(holacracy)というそうです。
ホラクラシーでは、対外的に会社を代表する社長・役員はいますが、会社内では肩書や役職が存在しません。仕事上のリーダーはいても、役職に基づく上司や部下がありません。経営方針なども、トップダウンで決定するのではなく、社員同士が相談して決めます。
ホラクラシーでは、自分たちで決めた規則に基いて行動します。その規則を守っている限りは自由度が高いです。サッカーを例えに説明する場合があります。「危険なプレーはいけない」「手を使ってはいけない」といった規則を守れば、どういうプレーをするかはチームも個人も自由に決められます。この項続く

 

SNS、共感と分断

7月31日の日経新聞経済教室「SNSと現代社会」、前嶋和弘・上智大学教授の「共感と分断を同時に加速」から。
・・・SNS(交流サイト)が米国政治を大きく変貌させている。ツイッター、フェイスブックなどの各種プラットフォームが普及し出してから10年強にすぎないと考えると、変化の大きさには改めて驚く。これは、ちょうど米国政治の中で保守とリベラルが大きく分かれていく「政治的分極化(両極化)」が進展した時代とも重なっている。
トランプ大統領はSNSを巧みに操り、党派性を徹底的にあおりながら自分の主張を展開し、支持固めに直結させている。同氏のツイッターのアカウントは2020年7月下旬現在、8371万人超のフォロワー(登録者)を持つ・・・
・・・ただ、内容は極めて特異だ。「敵と味方」をしゅん別し、敵を徹底的に否定し、味方をほめちぎるのが基本姿勢だ。この姿勢は16年の大統領選挙のころから全く変わっていない。そう考えると、トランプ政権はSNSが生み、育てている初めての政権と言ってもいいのかもしれない・・・

・・・ここで、SNSというメディアの特徴について立ち戻ってみたい。論点は3つある。
まず第1に、SNSは基本的に共感を呼ぶメディアである。米国で一気に拡散した人種差別反対運動については、残忍な白人警官のやり方に対して、写真や映像とともに憤りの言葉がSNS上に拡散し、参加の渦が広がっていった。運動のピークとみられる6月半ばに2600万人もの人々が参加する、過去最大といわれる社会運動に広がっていく(数字はカイザー家族財団の推計、6月8日から14日調査)。

第2の性質は、自分と違う立場の意見とは没交渉になる点だ。SNSや検索サイトでは、アルゴリズムで利用者の関心が高いとみられる情報が優先表示される。見えないフィルターがかかり、まるで泡の中にいるように自分と反対の立場や不都合な情報が見えなくなってしまう。共感できるものと共感できないものが分かれ、見えない壁ができる「フィルターバブル」現象が目立っていく。そのため、SNSは社会の分断をさらに加速化させている、という見方も少なくない・・・

3番目は、技術的な脆弱性である。7月15日には、11月の次期大統領選で民主党の指名獲得を確実にしたバイデン前副大統領や、オバマ前大統領などの複数のツイッターアカウントが何者かに一時的に乗っ取られた。被害はなかったというが、トランプ大統領のアカウントも当然、狙われていたと推測される・・・

人をつなぐ施設が分断する

先日、新宿駅に行ってきました。東西自由通路ができたのを確認するためです。
これまで構内の通路だったのが、改札が取り払われ、自由に通ることができるようになりました。これは便利です。
かつては、西口から東口に行くには、地下鉄丸ノ内線の上の地下通路を通る必要があったのです。そのためには、1階下へ降りる必要があります。ところが、近くにエスカレーターやエレベーターがないのです。
この不便さは、依然として解消されていません。地下鉄とJRのそれぞれの駅の中にはありますが。「新宿駅にはエレベーターとエスカレーターがない

多くの駅で、東西自由通路がなく、あっても不便なことがあります。福島駅もそうです。身体の不自由な人、大きな荷物を持った人、ベビーカーを押している人には、冷たい施設です。鉄道は、遠くとはつながるのですが、足下では分断を生みます。
それは、新幹線や高速道路も同じです。遠くには早く行けるのですが、近くに行く普通列車は少なく、高速道路は降り口まで降りることはできません。
なかなか難しいです。

江戸時代の緊急給付

7月29日の読売新聞、鈴木浩三さんの「疫病流行 江戸の緊急給付 迅速…銭や米、5~12日で 積立金や町人自治組織の力」から。
・・・江戸時代の日本はたびたび感染症に襲われた。天然痘や麻疹のほか、19世紀頃からは、インフルエンザとみられる「風邪」の流行が目立つようになった。
感染症の大流行や災害などの際には、江戸に住む、行商人や日当で生活する職人など、当時「其日稼」と呼ばれた人々に対して、銭や米が緊急的に配られた。この給付は「御救(おすくい)」と呼ばれた。
疫病流行に限っても、別表のように、頻繁に給付されている。人口100万といわれる江戸で、武士をのぞくと人口は60万人ほど。そのうちの半数が対象となっている。これほど対象が多いにもかかわらず、1802年のインフルエンザ流行では、3月17日に給付を決めてからわずか12日で配り終えた。21年には、2月28日の決定で、実質5日で給付を完了している。
このスピードの背景には、安定した財源と、必要とする人々の情報を正確に把握できる仕組みがあった・・・

・・・財源となる「七分積金」は、18世紀後半の天明の大飢饉ききんで、其日稼らによる大規模な打壊うちこわしが江戸で発生したことを受けて、1791年に創設された。江戸の町人(地主)が毎年約2万5900両を拠出し、幕府も基金として2万両を出資した。今でいうファンドに相当し、疫病、飢饉や災害時の緊急的な給付「御救」に備えて備蓄し、ふだんは地主向けの低利融資などで運用されていた。

こうした給付や運用を担う組織「江戸町会所」は、幕府の監督下ではあったが、武士ではなく、有力商人である「勘定所御用達」10人や、町人たちの代表「肝煎名主」6人が実質的に運営した。
当時の江戸の「町」は、人別改(住民の管理)、防火・消防、市区町村税に似た都市の維持管理費「町入用」の徴収のほか、簡単な民事訴訟や祭礼まで行い、現代の市区町村よりも大きな権限を持つ自治組織だった。平常時から、町組織を代表する名主や、その配下に位置づけられた大家などを通じて町内の住民たちの家族構成や職業、収入状況などをきめ細かく把握していた。だからこそ、いざというときに銭や米をすばやく給付することができたのだ。
町の上部には、武士である南北町奉行2人と、その配下の330人の与力・同心たちがいたが、彼らだけでは、とても数十万人の都市住民の暮らしを把握できない・・・