階統制組織と平等的組織、その2

階統制組織と平等的組織」の続きです。組織には、構成員が平等な組織と、上下関係をつくる組織があります。前者がホラクラシーで、後者がヒエラルキーです。

会社や役所では、ホラクラシーではなく、ヒエラルキーが採用されます。あわせて、各人の任務が明定される官僚制が用いられます。それは、次のような理由です。
全体の方針を決める、あるいは課題が生じた際に、全員が集まって議論をして結論を出す必要があります。これは、時間がかかります。議会がそうです。また、組織が大きくなると、全員集会はさらに時間がかかります。
方向性が決まれば、ホラクラシーでは構成員の自主性によって、よい成果が出ることが期待されます。ヒエラルキーでは、上司の命令によって、嫌々仕事をする場合もありますから。しかし、各人の任務が明確に規定されていない場合は、どこまでやれば達成したことになり、どの程度では不十分なのかの評価もあいまいになるでしょう。不熱心な構成員がいると、うまく機能しません。各選手の自主的行動が重要なサッカーとの違いです。

ホラクラシーは、各人の参加意識を高めることで業務執行に有効なのですが、それが機能するためには少人数であること、参加者みんなの参加意識が高いことが必要です。また、方向性を参加者が決めることができるような組織でないと、機能しません。
日本型職場の、全員一致・社員平等慣行は、ホラクラシーに近いのです。前例通りなど方向性が共有されている場合は効率的なのですが、決定に時間がかかる、方針転換ができない、職員の任務と評価があいまいなどの欠点を持っています。

なお、ここでは触れませんが、議会や同好会のような平等組織は、議長や会長を構成員が選ぶので、構成員によって解任される恐れがあります。「みんなに選ばれた」という強固な基盤とともに、「いつ解任されるかわからない」という不安定性があります。

連載「公共を創る」第51回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第51回「日本は大転換期―成熟社会で見えてきた問題」が、発行されました。
前回まで(第39回から第50回まで)、日本が大転換期にあることを、「成長から成熟へ」として、昭和後期と平成に分けて見てきました。今回からは、これらの変化が、私たちの生活と意識に与えた影響を議論します。それが、行政に変化を迫っているのです。

私たちは、人類誕生以来の3つの敵に、初めて打ち勝ちました。それは、飢餓と貧困、病と死、戦争と暴力です。そのほか、隷属、社会からの束縛、不平等などの「壁」も乗り越えました。豊かさと自由だけでなく、苦痛や困難を克服したのです。
このようなかつてない豊かな生活に満足しながら、国民は不安を感じています。そして、成熟社会では、これまでのような消費と生産の好循環は期待できません。

危険に対する科学者と政治家の役割分担

8月2日の読売新聞「コロナ禍と原発事故」、小林傳司・大阪大名誉教授の「科学 解答には相応の時間」から。
・・・科学は、人間社会が手にした最強の知的道具です。それ故に、新型コロナをはじめとする新興感染症や2011年の東京電力福島第一原子力発電所事故のような有事の際には、科学者の知見を、被害拡大を防ぐ政策判断に反映させようと試みられてきました。そこには、常に難しい問題が潜んでいます。
科学者が客観的な事実やリスク評価を示す役割を担い、それをもとに政治が基準を定めたり、判断を下したりするというのが、通常の科学と政治との関係です。こうした分業でうまくいく事例はたくさんあります。ところが、うまく機能しないタイプの問題が噴出してきました。古くは原発の安全性をめぐる議論であり、今回の新型コロナ禍への対応なども、その典型です・・・

・・・新型コロナの場合はどうでしょうか。感染防止という観点だけでいえば「濃厚接触を断つしかない」と、専門家の考えは極めて明瞭です。しかし、いつまで自宅で巣ごもりを続けるべきなのか、感染リスクをある程度許容しながら経済活動を維持すべきなのか。政治と交わる境界領域で何を重視するのか、科学だけでは答え難い「トランス・サイエンス」の問題と言えます。

こうした問題では、政策決定者と専門家の間で十分に議論することが、必要不可欠です。特に、医学や公衆衛生学は、「人の命を救う」「感染症から社会集団を守る」という目標を掲げた学問であり、ある種の線引きや基準づくりが求められる分野です。その点で、政策判断との親和性が高かったはずです。

ただ、政府への提言を検討してきた当事者たちは難しいかじ取りを迫られたと感じていた。新型コロナ対策を助言してきた専門家会議が6月、自身の活動について「前のめり」「政策を決めている印象を与えた」などと総括する報告書を公表したことでも明らかです。
知見が少なく制約が多い中で、提言や情報発信にあたった苦労が文面からも伝わってきます。大事なのは、最終局面での判断は、政治の責任で引き取り、科学との境界をはっきりさせることです。そうしないと、科学者が政治的決定の責任を問われかねず、助言するシステムそのものが崩壊してしまうからです・・・

中間貯蔵施設のいきさつ

朝日新聞デジタルに、大月規義編集委員の「土壇場で消えた「最終処分場」 環境省が模索した事情」が載っています(8月4日掲載)。

・・・東日本大震災と東京電力福島第一原発事故の発生から来年で丸10年を迎えるのを前に、最近、これまで取材してきた政治家や官僚らを改めて訪ねている。その中で、びっくりな裏話を聞くこともある。たとえば、福島県の双葉、大熊両町で整備が進んでいる汚染土壌の「中間貯蔵施設」。公になる寸前まで、最終処分場とする動きがあったという・・・
・・・官僚経験者のA氏が「2011年8月26日」にかけた電話の内容から解き明かす。菅直人首相が福島県庁を訪れ、佐藤雄平知事と会談する前日だった。
「あすは何を福島側に提示する?」。電話の相手は、会談を仕切っていた経済産業省の幹部だった。「ローキー(控えめ)でやるよ」。それしか教えてもらえなかった。妙な気配を感じたまま電話を切った。
当日。菅首相が佐藤知事に申し出た。「汚染物質を適切に管理、保管する中間貯蔵施設を県内に整備することをお願いをせざるを得ない」。A氏は仰天した。
処分する施設の頭に「中間」と付くとは、「まさに寝耳に水だった」という。環境行政に詳しいA氏が理由を説明する・・・

・・・国は14年に法律を改正し、汚染土を施設に搬入し始めてから30年後の2045年までに、県外に運び出すと定めた。「中間」と名付けて問題を先送りしたが、搬出のタイムリミットまであと25年だ。しかも搬出先を探すのは、先送りを仕掛けた張本人の経産省ではなく、環境省の役目になっている。
中間貯蔵施設に入る汚染土は、東京ドーム10個分を超える量だ。環境省は県外搬出を前に、土砂を分別・減容し、安全な土砂については公共事業用の土砂などに再生利用しようとする。だが、きれいになった土であっても、受け入れ先を探すのは難航している・・・

詳しくは、全文をお読みください。
そんな事情だったのですね。良く取材した記事です。9年が経って、記憶が薄れると同時に、当時の実情を話す人が出てきたと言うことでしょう。私は発災後しばらくは、地震津波対応が職務で、原発事故は所管ではありませんでした。なので、詳しい事情は知らないのです。
私が経験したことは、緊急災害対策本部被災者支援チームと復興庁のホームページに残し、また本にまとめました。原発事故対応の方は、ホームページもなく(原子力災害本部の会議録だけで、その事務局のホームページがないのです。問い合わせ先もありません)、関係者による記録も見当たりません。これだけの事故、そしてこれまでにない対応をしたのですから、当事者は記録を残す義務があると思います。

制服の機能

8月4日の読売新聞「戦後75年」は、桂由美さん(ブライダルファッションデザイナー)の「颯爽と見えた軍服姿」でした。

・・・終戦後、しばらくして学校が再開しましたが、通学途中の光景は、耐えがたいものでした。
あちこちにできた闇市には、みすぼらしい服装の男性がたくさんうろついている。薄汚れた軍服を着ている人もいました。戦時中、颯爽としていると思っていた軍人の姿は、いったい何だったのだろうか。あまりの変わり果てた姿から、目を背けるしかありませんでした・・・

制服の機能が、良く現れています。着ている本人でなく、着せている組織を表現しているのです。
もっとも桂さんは、戦時中に颯爽と見えた軍服が、敗戦後にはみすぼらしく見たと書いておられます。その内容なら、表題は「颯爽と見えた軍服姿が・・・」でしょうか。