連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第39回「日本は大転換期―行政が前提とした社会の変化」が、発行されました。今回から、第3章「転換期にある社会」に入ります。
第1章では、大震災の復興で体験した、これまでの復旧行政では住民や地域の要望に応えることができなかったことを解説しました。第2章では、住民の要望に応えるためには、世間ではどのような要素が必要なのかを分析しました。そこでは、これまでの行政の守備範囲では十分でないことを指摘しました。
第3章では、これからの行政の在り方を考えるために、行政が前提としていた日本社会の変化を考えます。かつて、世界から高く評価された日本の経済成長と官僚機構は、バブル崩壊後すっかり評価を落としました。その原因を考えます。
その第1回は、1日本は大転換期(1)成長から成熟へ、です。ここでは、第2次世界大戦後の日本を、昭和後期と平成時代の2期に分けて、それぞれの時期の変化を見ます。昭和後期は経済成長の時代であり、平成時代は停滞の時代です。それによって、私たちの身の回りが大きく変わり、意識も変わりました。個人の暮らし、家族の形、世間が変わったのです。
これらの変化は、新聞や年表に載るような出来事の歴史ではありません。数十年かかって変わるものであり、日々の暮らしではまた毎日のニュースでは、気づかないことです。もちろん、どの時代にも社会は変化するのですが、この75年間、戦後半世紀の変化は、まことに驚異的でした。
私はそれを、「長い弥生時代の終わり」と表現しています。日本列島に住んだご先祖様の暮らしを大きく分けると、狩猟時代(縄文時代)、稲作時代(弥生時代)、そして産業化時代と3つに分けることができます。すると、稲作を中心とした時代は、戦後まで続いていたのです。それまで約半数の人が、稲作に従事していました。その意味で、「長い弥生時代」は、戦後まで続いていたのです。
飛鳥時代、平安時代、江戸時代と歴史の教科書で習いますが、政治権力でなく日本人のなりわいから見ると、そのように区分できます。この変化に、私たちの暮らし方や意識はついて行っているのか。それを、考えます。
昨年4月末に連載を開始してから、1年が経ちました。早いものですね。「まあ、1年くらい続くかな」と目算を立てて始めたのですが、半分を過ぎたくらいでしょうか。
行政文書や論文のような硬い文章でなく、読み物として平易にまた私の体験を入れて書いているので、長くなっていることもあります。その点を評価してくださっている読者もいます。
今回の冒頭に、これまでの目次をつけておきました。このホームページをごらんの方は、こちらに載っているので不要ですが。ホームページのホームページの目次も長くなったので、2ページに分けました。