12月4日の朝日新聞オピニオン欄、国分高史・編集委員の「仏改憲が教えること めざす社会像、論じるのが先」から。
・・・ フランスは戦後、昨年まで27回の憲法改正を経験している。多くは議会の行政監視機能の明確化など統治機構に関するものだが、憲法院(憲法裁判所)による違憲判断を克服し、研究者に「特筆すべきだ」と評価されている例がある。
1999年と2008年に、男女の平等な社会参画を促す条項を加えた改正だ。前者は議会選挙の候補者を男女同数にすることを政党に義務づける「パリテ法」制定に道を開き、後者はそれを議会だけでなく、企業の取締役など広く社会一般に広げることを目的とした。
仏国民議会(下院)の女性議員比率は、改憲前の水準から4倍近い40%になった。ひとまずここまで来るには、女性たちの粘り強い運動や議会内外での論争など、国民合意に向けた長年の積み重ねがあった・・・
・・・フランスでは家父長制の伝統が根強く、1789年の人権宣言でも女性は対象外とされた。女性参政権が認められたのは、欧米ではかなり遅い1944年のことだ。
それでも70年代から女性の政界進出の機運が高まった。82年には社会党の女性議員が北欧発祥の「クオータ制」を地方議会選挙に導入する選挙法改正案を提出。候補者名簿に25%以上の女性を載せることを政党に義務づける内容で、議会を通過した。
だが、憲法院はこの改正案を違憲と判断した。全ての市民は法の前に平等であり、性で候補者を区別するのはフランス共和主義の理念に反するという理由だった。
この壁を乗り越えるには、どうしたらいいのか。そこで出てきたのがパリテの理念だ。一定割合を女性にあてるクオータ制には、男性への逆差別との批判がつきまとう。これに対し、パリテはざっくり言えば「世の中は男女半々なのだから、議会も男女半々に」というものだ・・・
・・・政治の動きを、最後に後押ししたのは世論だった。憲法のどの条項を改正するかをめぐり、政府・国民議会と保守的な元老院(上院)が対立すると、一般紙だけでなく大衆紙や女性ファッション誌も競うように賛否両論を特集。関心が薄かった市民を巻き込み、パリテに消極的と見られた上院に批判的な論調が強まっていった。
上下両院は妥協に向かい、政府案提出から1年後の99年6月、「選挙で選ばれる公職への男女の平等なアクセスを促す」など二つの条項を加える案が、両院合同会議で可決された。採決では、国民投票がなくても成立する「有効投票の5分の3」を超え、ほぼ満場の賛成票を集めた・・・
・・・この経験から日本が得られる教訓は何か。「多くの人が正義だと考える政治課題の実現を憲法が妨げている時、合意をつくって改正という最終手段をとる。これこそが憲法改正のあるべき姿だと思います」と糠塚さんは話す。
私は、日本でも女性議員を増やすためにすぐに改憲すべきだと主張したいわけではない。フランスでも改憲までの丁寧な合意形成やその後のフォローアップがなければ、前進はしなかっただろう・・・