10月31日の日経新聞経済教室、林知更・東京大学教授の「改憲論議の視点 冷静なエンジニアの目を」から。
・・・第三に、条文と運用の両面から憲法のメカニズムを考える場合、諸国の憲法は20世紀に大きな構造変動を経験している。これを家にたとえれば「平屋」から「2階建て」への変化と整理することができる。憲法の古典的な課題は、「物事を政治的に決める仕組み」をいかに整えるかであり、統治機構の編成こそは憲法の中核をなす。
20世紀の憲法はこの上に新たな階層を付け加えた。
それは「行われた決定を事後的に検証する仕組み」であり、違憲審査制がそれである。政治的決定はしばしば、時間的な制約の下で、一定の政治的目的を実現するために行われる。違憲審査制はこれを、憲法の定める長期的な国の基本原理に合致するか否かという観点から改めて審査する。
この仕組みの導入は、多くの国々で全体としての統治の質を高める上で重要な意味を持ったと考えられる。現代憲法がこのような構造を持つとすれば、日本の憲法の問題点を検証する際も、1階と2階それぞれの課題を区別して論じなければならないはずである。
特に、日本の違憲審査制がこの点で大きな問題を抱えていることは学界の共通認識に属しており、この論点を無視した憲法論議は考えられない。憲法を平屋構造で捉え、この事後的コントロールの問題を十分に顧慮しない改憲論は、現代憲法の基本的な水準に到達していない・・・
納得します。
憲法が作られるときは、新しい政治体制ができて、理想とする政治の仕組みや社会のあり方を宣言します。その後、時代の変化によって条文を修正したり(日本では解釈を変えることで対応してきましたが)、政治体制が変わって憲法そのものを取り替えます。
しかし、林先生が指摘しているように、宣言したあと、次に「書き換える」という過程の前に、「運用を検証する」が必要ですよね。すると、「宣言する。検証する。書き換える」という過程になるのでしょう。