連載「公共を創る」第26回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第26回「公私二元論から官共業三元論へ 政府と共助と企業が支える公共」が、発行されました。

前回、公私二元論に代えて、官共業三元論で社会を見ることを提唱しました。三元論で社会を見ると、二元論では見えなかったことが見えてきます。公私二元論は、国家が民間を指導します。かつてのドイツ国家学、明治以来の日本です。他方でアメリカ社会学では、自治体や政府も、会社と同じように、住民が自分たちのために作ったものです。

公・公共という言葉を、政府、世間、良い社会という使い方に分類すると、私の連載では「良い社会」を対象にします。それは、どのようにしたら創ることができるか。
そこには、他者とのつながりがあり、慣習として引き継いでいく必要があります。この慣習をどのようにしてつくり、引き継いでいくか。それを議論します。

電子立国からの転落

11月29日の各紙が、パナソニックが半導体事業から撤退することを伝えていました。台湾のメーカーに売却するそうです。
半導体はかつて、電子機器類の基本的部品として「産業の米」と呼ばれていました。1980年代には、日本が世界の生産量の半分を占め、「電子立国」と高く評価されました。しかしその後、アジア各国の追い上げに、急速に地位を落としました。

朝日新聞の記事に着いているグラフが分かりやすいです。ところが、このグラフでは、アメリカはシェアを減らしていないのです。
世界一と呼ばれた日本の電子産業は、何を誤ったのでしょうか。

ある人に聞いたら、次のような理由でした。
1980年代まで、日本がシェアを増やし、その分アメリカが減らします。まだアジア各国は、出てきていません。その当時の主たる製品は、メモリ半導体でした。この分野では、1990年以降、アジアが日本のシェアを奪います。
他方で、新しくシステムLSIが出てきます。これはメモリが単に情報を備蓄するだけの容器に対して、情報を加工、処理する機能を持った「頭脳」です。アメリカは、このより高度な分野で生き残ります。日本は旧来型製品で後発国にシェアを奪われ、新製品に進出できなかったのです。
これはまた、時代が、モノづくりから新しいことを考えることへ変わっているのに、その流れに乗ることができなかった一つの例とも言えます。

詰め込み教育からの脱却

11月27日の朝日新聞が「変わる定期テスト ノート持ち込みOK」を伝えていました。詳しくは記事を読んでいただくとして。

定期テストに、自学ノートなら何冊でも持ち込める公立中学が紹介されています。もちろん、記述式です。この自学ノートは、毎日1ページ以上自宅学習し、教員に提出する自作のノートです。原則手書きのみで、教員が毎日、中身を点検します。

良い改革だと思います。これまでの試験の多くは、記憶力を問うものでした。一夜漬けで、試験が終わると忘れて、それでおしまいになってしまいます。そして、それら覚えることは、社会人ではほぼ活用されません。それよりは、考えること、それを文章にすることの能力が重要です。

私も、大学で教える際は、試験は記述式にしました。そして最近は、ノートも書物も持ち込み可にしています。学生たちに暗記を強いることは、非生産的です。それより、ポイントを理解し、どこを調べれば分かるかという能力をつけて欲しいのです。

伊藤元重先生、人生3段ロケット論

11月24日の日経新聞日曜版インタビューは、伊藤元重先生でした。
東大経済学部大学院生の時に、アメリカのロチェスター大学に留学をします。その途中で、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで、森嶋通夫先生に会います。

・・・米国で最先端の勉強をするぞと意気込む一学生に、森嶋さんが貴重な言葉を投げかけてくれた。「それで一生やっていけると思ったら甘いよ」
森嶋さんが説いたのは「人生3段ロケット論」だ。研究者としてのエネルギーを若いころと同じように生涯持ち続けることは難しい。人生の中で何回か古いロケットを切り離し、新しいロケットに点火して生産性を維持せよという・・・

その後、伊藤先生がどのように古いロケットを切り離して、新しいロケットに点火されたか。それは、記事をお読みください。

欧米のエリート採用

11月26日の日経新聞夕刊、海老原嗣生さんの「就活のリアル」は「超高年収新卒採用の課題 エリート選抜の根拠甘く 」でした。欧米のエリート採用の厳しさが、紹介されています。

・・・ブランド校の学生数が極めて少なく、少数精鋭となっている。米国の主要大学、ハーバードやスタンフォード、エール、プリンストンなどは文理合わせて1000人超の定員数だ。同様のフランスの名門グランゼコールは500人程度だろう。対して日本は慶応大学が7000人、早稲田大学にいたっては1万人にもなる・・・

・・・とりわけ米国のエリート採用は厳しい。リーダーシップ・プログラムという選抜システムがあり、入社後2年間に時限的プロジェクトを多々任され、それを修了した後に本採用となる。その間の脱落率は5割にもなる。ここまでやるから、エリート待遇も成り立つ。

日本の甘い甘い採用慣行の中に、形だけ欧米要素を取り入れてもうまくはいかない。こうした奇をてらう学生集めは、毎年打ち上げ花火として耳目を集め、しばらくすると消えていく。
雇用関連を見つめてもう30年になるが、いつもながら感じるのは大企業の人事は流行ものに弱いということだ。学歴不問採用、一芸採用、異能人材など一風変わった採用で耳目を集めたケースは多々ある。ただ、そんな小手先の施策は、決して良い結果は残していない・・・

この内容を見ると、日本は確かに甘いですわね。これまでは、それでやれたのです。しかし、競争相手のいなかった唯一の追いかけ国だった昭和の日本と、欧米だけでなくアジア各国と国際的に生き残りを賭けた競争をしなければならない令和の日本とでは、条件が大きく変わりました。
優秀な幹部を育てない会社は淘汰されます。では、地域独占企業である自治体はどうか?