日本の若者「日本は良い国」

日本財団が、18歳の意識調査を続けています。
第14回は「海外と日本について」です。17歳から19歳の男女1000人から、回答がありました。
なお、海外渡航経験は半数の人にあります。もっとも、多くは旅行でしょうから、どのように知識を得ているかはわかりません。それは、多くの大人にとっても同じですが。

日本をよい国だと思う人は77%、思わないは7%です。かなり肯定的です。理由は、平和、治安がよい、安心で住みやすいなどです。
よいと思わない理由は、差別、不平等、働き方、生きにくいです。

日本が世界に誇れるものは、アニメ漫画、和食、景色や自然、治安の良さ、平和です。
他の先進諸国に比べて日本に欠けている点は、男女平等、外交力、経済力、教育水準、政治的影響力です。
戦後日本が達成した、高い経済と教育が低い評価になっています。これは、半分正しいと思います。二つとも世界最高水準を達成しましたが、その後、低下している実態を、若者は感じているのでしょう。

情念が時代を動かす

鹿島茂著『ナポレオン フーシェ タレーラン 情念戦争1789-1815』(2009年、講談社文庫)が面白かったです。
物欲や性欲、名誉欲、これらの情念によって人は動き、歴史が作られます。ところが、この上にさらに人を動かす情念があるというのです。陰謀、移り気、熱狂です。しかも、この3つを体現した人物が歴史を大きく動かした。それが、この本の内容です。
陰謀情念はジョセフ・フーシェ。移り気情念はタレーラン。熱狂情念はもちろんナポレオン・ボナパルトです。
ナポレオンはよく知られていますが、あとの2人はそれほど知られていないでしょう。先に、シュテファン・ツワイク著『ジョゼフ・フーシェ―ある政治的人間の肖像』を岩波文庫で読みました。これも面白かったです。

英雄を中心とした歴史は、かつてほど評価を受けなくなりました。もちろん、一人や二人の英雄によって、歴史が大きく変わったり、社会が大きく変わることはないでしょう。その時代が置かれた背景、社会や産業の構造に規定され、英雄も一人ではすべてを決定できません。
しかし、フランス革命やヒットラーを見ると、「この人がいなかったら、違ったことになっていただろう」と思います。

ナポレオンが軍事の天才としても、それを熱狂的に支えた国民、志願して従軍した若者がいたから、いくつもの戦争が成り立ちました。
しかし、ナポレオンが、ある時点で満足していたら、あるいは周囲の反対意見を聞いていたら、ロシアやワーテルローで負けることはなく、ナポレオン帝国は続いていたでしょう。ライプツィヒで負けたときにも、ナポレオン1世が退位して、息子に継がせるという停戦案もあったのです。しかし、熱狂に動かされるナポレオンは、その情念に従って自滅します。

より興味をそそるのは、そのナポレオンにからむ、フーシェとタレーランです。かれらも、自己の情念に動かされ、様々な策謀をします。ここは、本を読んでいただくとして。
歴史は、このようにも読むことができるのだという傑作です。もちろん、学問的研究でなく、小説ですよ。

福島の環境再生、環境省の努力

環境省が、放射性物質で汚染された県土の再生に取り組んでいます。土をはぎ取って、中間貯蔵施設に集めます。
土のはぎ取りは、帰還困難区域以外では完了しました。いま、仮置き場に置いてある除去土壌を、中間貯蔵施設に運んでいます。
浜通りを通ると、6号線や常磐自動車道で、緑のゼッケンをつけたダンプカーにすれ違います。これが、土壌の入ったフレコンバッグを運んでいるダンプカーです。

広報チラシである「ふくしま環境再生」の6月号は、「輸送を支えるひとびと」特集です。運転手さんの1日が載っています。安全に輸送するため、さまざまな確認を取り入れています。ご覧ください。

キャッシュレスの便利さと心配

6月1日の読売新聞解説欄で、スウェーデンのキャッシュレス事情を伝えていました。「キャッシュレス 民間が主導
現金お断りの店や博物館、券売機などが紹介されています。
同じく3日には、各国のキャッシュレス決済比率がグラフになっていました。ドイツが16%、日本が20%、アメリカは46%、スウェーデン52%、中国60%、イギリス69%、韓国は97%です。

確かに、カード払いは便利です。私も、飲食店や本屋ではクレジットカードで、コンビニでの買い物は電子マネー(スイカ)済ませます。電車に乗るのは、スイカで便利になりましたよね。いちいち切符を買わなくてすむし、ほとんどの私鉄でもバスでも使えます。小銭を持ち歩かなくてよい、おつりをもらわなくてもよいので、便利です。現金で払うのは、お医者さんくらいですかね。
海外旅行でも、便利です。ユーロはまだしも、ハンガリーのフォリントや、チェコのコルナに両替して、出国する前に小銭を使い切るのは面倒です。そして、種類が増えると面倒な上に、あちらの貨幣は部厚くて重いです。もっとも、あちらでは無料の公衆トイレは少なく、おばさんが座っているので小銭が必要です。

ということで、私は現金払よりカード払いに賛成なのですが。一つ気になることがあります。子供です。彼らがカードを持って、紙幣や貨幣での買い物をしなくなると、計算が上手にならないのではないかと心配しているのです。
もう一つは、お小遣いや貯金です。もちろん、これらもカードでできないことはありませんが。紙幣や貨幣を見ずに、スマホの上での数字だけで、お金のありがたみが実感できるでしょうか。
電子機器の発達で便利になるのはよいのですが、子供の発達や学習に悪い影響はないでしょうか。いかに機器が発達しても、簡単なお金の計算は、頭でしなければなりません。
もちろん、多額、多数の数字の計算は、電卓やコンピュータに任せると便利です。しかし、日常生活に必要な暗算は、電卓に置き換えるわけにはいかないのです。

クールビス15年

5月31日の朝日新聞オピニオン欄「官製クールビス15年」から。
倉田真由美さん(漫画家)
・・・クールビズは政府が上着なしでいい、ノーネクタイでいいと、かつての常識を破ることを保証しているわけで、強制ではありません。服装は自己表現でもあり、その人がどんな価値観を持っているのかが詰まっていると思います・・・

MBさん(ファッションアドバイザー)
・・・僕は、洋服は他人のために着るものだと思っています。TPO、時と所、場合にふさわしい格好をすること、相手や周りの人たちに対する敬意や気遣いの表明だと考えています。会う相手がしわのないシャツにジャケット姿で来られたら、気を使ってくれているんだなと感じるじゃないですか。
それが、ジャケットやネクタイなしでもいいんですが、ぶかぶかの柄入り半袖シャツやだぼだぼのチノパンだったら、どうでしょう。クールビズ自体が悪いとは思っていませんが、「涼しければいい」ではないだろうと・・・

中野香織さん(服飾史家)
・・・スーツという武器を手放した男性は、おしゃれな人と、ただだらしなくなった人に、残酷に二分されてしまったと思います。一方で、威厳がなくてはいけないという「男らしさ」から解放され、自分なりの美意識を磨く方向に歩き出した男性もいました・・・

過去の記事「クールビズ10年