テレビとスマホ、低俗?の程度

街角で、歩きスマホをしている人が多いです。通行の邪魔になり、危険です。駅や道路で、しばしばそのような場面に遭遇します。
電車の中でスマホに熱中している人も。周囲に気配りができず、あまり上品な立ち居振る舞いではありません。公衆の面前で、大人がゲームに熱中し、漫画やドラマに没頭することは、みっともないです。

テレビが普及し始めた頃、社会評論家の大宅壮一さんが「一億総白痴化」と表現しました。ウィキペディアによると、「テレビというメディアは非常に低俗なものであり、テレビばかり見ていると人間の想像力や思考力を低下させてしまう」との意味だそうです。1957年のことだそうです。

同じことが、スマートフォンにも言えます。大宅さんだったら、いまの状況をどのように表現されるでしょうか。
昔から「面白いことに流れる人たち」は、たくさんいたのです。その対象が、観劇であったり、テレビ、スマホ、場合によってはパチンコなのでしょう。
違いは、スマホは手軽に持って歩くことができることです。
この項続く

通達行政の限界と副作用

5月5日の朝日新聞1面は「繰り返される学校の事故」でした。この指摘は重要で、本文を読んでいただくとして。ここでは、少し違った視点で取り上げます。記事の中に、次のような記述があります。
・・・特徴的なのは、対策後も情報が十分に共有されず、似た事故が繰り返されていることだ。東京都杉並区の小学校で起きた08年の転落事故などを受け、文部科学省は立て続けに防止策を通知した。だが16年度までの3年間に計198件起き、死亡事故も毎年あった。小中学校の授業でのプールの飛び込み事故も、学習指導要領で禁じられた後なのに3年間で計42件あった・・・

文科省が防止策を通知することは、悪いことではありません。しかし、それでは問題は解決しないのです。
どのような内容を教育するか、どのような授業時間割にするか、生徒何人に先生を1人配置するか。そのようなことは、通知して従ってもらえれば、政府の意向は実現します。
1 他方で、現場での課題は、政府からの通達だけでは解決しないことも多いのです。
2 通達で現場を変えようとするなら、数か月後に、どのように変わったかを検証する必要があります。
3 文科省、教育現場、さらにはマスコミまでもが、「通達行政」という思考の型にとらわれているようでは、困ります。
4 それは、市町村長にも当てはまります。小中学校の責任者は、文科省でなく、市町村です。市町村長が、どれだけ自分の仕事と考えているかです。通達行政に慣れ、現場が文科省の方を伺う風習が強いと、責任の所在が不明になります。

昨年問題になった重いランドセルについて、この点を指摘したことがあります。「日本の教育改革、教育行政の改革」「苅谷剛彦先生「演繹型の政策思考」」

10連休

10連休も、明日で最後。始まる前は長いと思いましたが、あっという間に過ぎましたね。もっとも、早く終わって欲しい人も、おられたでしょう。

皆さんは、どのように過ごされましたか。いろんな所に出かけられたでしょうか、ゆっくりされたでしょうか。普段できないことが、できたのではないでしょうか。肝冷斎も、遠征中のようです。
前半は、お天気が悪い日も多かったようですが、後半は良い天気だったようです。半ば頃は、天皇陛下の代替わりの儀式が続きました。雨の予想が、ご即位の日には晴れました。

私は、前半は、例年のように奈良の両親に顔を見せ、その後、京都に行ってきました。
キョーコさんが、京都仙洞御所の参観申し込みに当選したのです。去年は、桂離宮と修学院離宮に行ったので、京都御所、京都迎賓館を合わせて、御所関係の施設はほぼ見たことになります。それぞれに、立派ですね。良く残したと思います。日本の財産です。
京都は相変わらず、外国人観光客が多いようです。外国人も、京都の古寺を見て、和食を食べ、着物姿で写真を撮ると、満足するでしょう。外国にないものを見せて、体験してもらう。観光は、これからの重要産業の一つです。

東京では、皇居東御苑三の丸尚蔵館、国立公文書館「江戸時代の天皇」も、良かったです。大賑わいでした。

後半は、孫の相手と、原稿書きです。「連載「公共を創る」執筆の苦しみ2」に書いたように、いつもながら、原稿と格闘しています。この連休に書きためておいて、少しは余裕を持とうと考えたのです。でも、思ったほどには進みませんでした。

最も残念なのは、楽天イーグルスです。則本、岸の両エースを欠きながら、4月途中まで首位でした。まあ、これが大方の予想を裏切る快進撃だったのです。その後、5連敗と4連敗。貯金をはき出して借金生活、4位に転落です。

鎌田浩毅先生、NHKラジオ

鎌田浩毅・京都大学教授の本が、NHKラジオ「私の日本語辞典」で放送されています。「理系学者の“読書”術」です。
第1回目は、昨日、放送されたようですが、今晩、再放送があります。聞き逃した方は、インターネットで聞くことができます。

この本については、このホームページで紹介しました。参考になる本です。私の方法は、「生産の読書、消費の読書、貯蓄の読書」。

連載「公共を創る」執筆の苦しみ2

連載「公共を創る」執筆の苦しみ」の続きです。
いつものことですが、苦しんでいます。この連休も、家族との「お勤め」や、美術展巡りのほかは、原稿と格闘中です。なかなか、思うようには進みませんねえ。ほかの本に手を出したり、このホームページにしょうもないことを書いてみたり。夜は早くに寝てしまうので、朝起きたら机に向かっています。

粗々の全体構成は、できています。「部品」は、このホームページを含め、いろんなところで書きためてあります。ところが、その部品を、忘れているのです。
全体構成を眺めつつ、「あれも忘れていたな」と、書くべきことを思い出しています。また、各部品が、うまく全体構成にはまるとは限りません。力を入れて詳しく書いたのに、全体を通して読むと、不必要に長かったりします。で、せっかく書いた文章を、ばっさり削除します。その過程で、構成が変わります。

執筆には、集中が必要です。そのような時間を、作らなければなりません。それが、なかなか難しいのです。平日は仕事があり、休日は他のことに気が向きます。そしてなにより、体力と気力も必要です。若い時のように行かないことを、痛切に感じます。
少しずつ、書けるところから書いて、何度も手を入れることを繰り返しています。いつものことです。
締めきりがないと、執筆は進みません。しかし、毎週締めきりが来ることは、精神衛生上良くないです。で、いつも、なにかに追われる人生です。貧乏性です。

今回の連載も、書いた原稿を「右筆」に見てもらい、大胆に加筆してもらっています。私の文章が読みやすくなっているとするなら、右筆のおかげです。