勇気をフルート、道はひらける

4月12日の読売新聞に、挿絵(閻魔大王の前で胸を張る猫)を描いてくださった、大野隆司画伯。今度は、「フルート猫」を描いてくださいました。
「勇気をフルート(ふるうと)、道はひらける」という駄洒落だそうです。面白いですね。
ありがとうございます。肝冷斎が、 「勇気凛々」をもじって「吹笛凛々」と題をつけてくれました。
世の中のフルート愛好家に、広めましょう。

 

 

 

 

 

 

 

なぜ、私がフルートなのか。こちらをご覧ください。
フルートの上手なYちゃん、「フルートの角度が下がりすぎ」とは言ってはいけませんよ。

うつ病からの復帰

5月21日の朝日新聞経済面「幸せのカタチ」「休んだら?うつ病支える側に」から。
・・・うつ病などに悩む人の復職や再就職を支援する施設「リヴァトレ仙台」が4月、仙台市にオープンした。生活習慣の改善やストレスの対処法などを組み合わせたプログラム「リヴァトレ」を提供する。
センター長は吉田淳史さん(36)。かつて自身がこのプログラムを受け、うつ病から回復した一人でもある・・・

・・・「競争社会では一度でも負けたら終わり」。吉田さんは20代のころ、そんなふうに思っていた。大学卒業後、飲料大手を経てリゾートホテル運営会社に転職。掃除や顧客対応などで早朝から深夜まで働いた。
管理職に昇進すると、苦しくなった。パソコンとにらみあい、なるべく多く予約を受けつつ、定員オーバーは絶対に許されない予約管理業務に神経をすり減らした。
東日本大震災が起きた時、担当する福島のホテルでボイラーの調子が悪くなった。キャンセルも相次いだ。不安に襲われた。
朝、起きられなくなった。大事な資料が入ったファイルをシュレッダーにかけてしまった。コピー用紙を冷蔵庫にしまっていた。仕事を続けると周囲に迷惑をかけると思い、震災から半年後に会社を辞めた。
次に転職した大手スーパーでも研修段階からついていけなくなり、2カ月で辞めた。病院に行くと、うつ病と診断された。 吉田さんは病名を知って逆に安心した。
〈だからこんなにつらかったのか〉・・・

・・・吉田さんが受けたプログラムで、農家で畑の雑草を抜く作業の日があった。隣の人よりも早く作業しようと没頭する吉田さんに、スタッフが声をかけた。
「もう休んだらどうですか?」
手を止め、周囲を見回した。ゲームをしている人もいて、そこには緩やかな時間がながれていた。肩の力が抜けた。
〈ゆったり生きた方が幸せなのかな〉
体調が回復してくると、こんどは自分が悩む人を支えたいという気持ちがわいてきた。30歳でリヴァの社員になった。
厚生労働省の患者調査によると、うつ病を含む気分障害の患者数(2017年10月)は127万6千人。96年の2・9倍に増えた。リヴァトレを受けて社会復帰した人はこの8年で約710人。支えの輪が広がっていくことを吉田さんは願っている・・・

連載「公共を創る」第4回

連載「公共を創る 新たな行政の役割」の第4回「想定外が起きた─政府の役割を考える(2)何をするかを考える」が、発行されました。
今回は、急きょ作られた、被災者生活支援特別対策本部を立ち上げた際の苦労を紹介しました。
現地の詳しい状況と全体像が、わからない。何をしたらよいかがわからない。そのような状況で、何をするか、そのためには、どのような組織を作るか。私が考え行ったことを、整理しました。

歴史を学ぶ意義

5月23日の日経新聞文化欄、歴史学者・呉座勇一さんの「絶対の正解求める危うさ」から。
・・・歴史に限らず「唯一絶対の正解があり、そこに必ずたどり着ける」と考える人は多いが、現在の複雑な社会で、簡単に結論の出る問題はない。性急に答えを欲しがり、飛びつくのはポピュリズムだ。
新しい時代を生きる上で重要なのは「これが真実」「こうすればうまくいく」という答えらしきものに乗せられることなく、情報を評価するスキルではないか。ネットを通じ、情報の入手自体は簡単になった。それをいかに分析し、価値あるものを選び出していくか。歴史学の根幹はこの「史料批判」にある。リテラシーを身につけるひとつの手段として、歴史学の研究成果に親しんでもらえたらと思う・・・

・・・歴史を学ぶ意義は大きく2つある。1つは現代の相対化だ。かつて、いま我々がいる社会とは全く違う仕組みの社会が存在した。異なる常識で動いていた社会を知ることが、我々の価値観を疑ったり「絶対に変えてはいけないものなのか」と問いかけたりするきっかけになる。女性・女系天皇を巡る議論も、歴史を知ることなしにはできない。
もう1つは、社会の仕組みが異なっても変わらない部分を知ること。親子や兄弟の絆、宗教的観念などは、時代を超えて今につながるものがある。この両面を通して、我々はこれからどう生きるべきか、ヒントを引き出せるのではないか・・・

五百旗頭先生、防災復興庁の提案

5月20日の日経新聞経済教室は、五百旗頭真・ひょうご震災記念21世紀研究機構理事長の「災害からの安全保障 常設の防災復興庁が不可欠」でした。

・・・復興庁は発災から10年を経る21年3月に設置期限を迎える。そこで廃止してよいのか。福島を中心になおケアすべき復興課題が残る。それに加え筆者は、今後予想される大災害に備える防災復興庁として再発足させることを提案したい。
平成から令和に移行したからといって、日本列島に大災害の時代が終わるわけではない。18年は大阪と北海道が地震に見舞われ、岡山、広島、愛媛で豪雨災害があった。活発な地震活動と地球温暖化に伴う水害は今後も続く。それに備え「災害からの安全保障」を強化することは、国の国民に対する根幹的任務だ。
おそらく列島の地震活動期は、全国各地に直下地震を起こし、南海トラフの巨大地震に行き着くまで終わらないだろう。首都圏、大阪、京都など大都市に地震が起きれば、想像を絶する悲惨となる。大災害が起きてから、どんな機関をつくるべきかなどと時間を費やすのを繰り返すべきではない。常設の防災復興庁を持ち、あらかじめ対処法を準備して、発災とともに直ちに動かねばならない。
災害の現場へ走る第一線部隊の自衛隊、警察、消防、海上保安庁、医療救援の災害派遣医療チーム(DMAT)、国土交通省の緊急災害対策派遣隊(テック・フォース)など、分権化された日本の機関は極めて優秀だ。だがそれらは総司令部を欠く個別部隊である。全部隊を投入しても足りない大災害で、全体対処をどう決めるのか、日ごろからの研究と準備が不可欠だ・・・