連載「公共を創る」執筆の苦しみ

3月下旬から、連載「公共を創る」の執筆に、取り組んでいます。

第1回は、4月25日に掲載されました。第2回と第3回はすでに提出し、編集長から了解をもらいました。
第4回、第5回分も、書き上げました。全体構成では、第1章1(2)(3)に当たります。
引き続き、第1章2に、着手しています。第1章の1と2は、東日本大震災で考えたことです。『復興が日本を変える』で、当時の考えをまとめました。それを素材に、今回の連載の意図に沿うように、再考しています。従来の被災者支援や復興の枠を越えた施策を実施しました。そこで考えた、「行政の役割」と「町とは何か」です。

今回の連載は、広く「公共」という視点から、日本社会の変化や行政の役割の変化を考えようという「壮大な試み」です。
新地方自治入門』も、地方行政から、日本社会の変化と、行政の改革を論じたものです。その後も、この問題を考えていました。このホームページのほか、次のような論考も執筆しました。「行政構造改革-日本の行政と官僚の未来」「社会のリスクの変化と行政の役割」(以上2つは『地方財務』)、「行政改革の現在位置~その進化と課題」(北海道大学公共政策大学院)。慶應大学法学部でも、講義しました「公共政策論」。

この大きな問題は、私一人の力では難しいとわかりつつ、問題提起をしようという試みです。官僚として、この変革期の行政に従事した経験と、そこで考えたことを、皆さんに伝えたいのです。うまく行けば、良いのですが。
全編書き下ろしが、理想的ですが、私には無理です。連載のような形で、締めきりに追われながらしか、書くことはできません。

平成時代から引き継ぐもの2

平成時代から引き継ぐもの」の続きです。
平成は、バブルの崩壊と、それに引き続く「失われた20年」でもありました。しかし、バブルは昭和末期に始まり、平成に入ってはじけたのです。平成は、その負の遺産を引き継いだのでした。
では、平成時代から、何を令和に引き継ぐか。いろんなものがありますが、財産と、教訓とに分けて考えましょう。

財産は、この国土であり、豊かさであり、安全安心な社会です。平成天皇が、在位30年記念式典で述べられた「民度」も、重要な財産です。(・・過去から今に至る長い年月に,日本人がつくり上げてきた,この国の持つ民度・・・)。
他方で、負の財産も引き継ぎます。巨額の公的借金を、次の時代と次の世代に引き継ぎます。少子高齢社会も、「国民を輸入」しない限り、いまの10歳があと10年で20歳になります。
私の仕事の関係では、原発事故を引き継ぐことになります。いまだに残る放射性物質、長く続く廃炉作業を、次の時代に引き継ぎます。

この財産を基に、次の時代を良くするのも、悪くするのも、私たちです。読売新聞の調査では、令和の時代が良くなると考えている人が、58%に上ります。しかし、何もしないで、良い結果は出ません。
そして、過去を振り返るのは、未来への教訓とするためです。すると、平成から何を学ぶかが、重要になります。

デフレは、ようやく脱却できました。しかし、もはや、かつてのような高い経済成長は、見込めません。品質の良い工業製品を大量かつ安価に作って、国民と海外に売る。その産業の形も、中国をはじめとする国々との競争に、勝てないようです。デフレを脱却するだけでは、明るい未来は見えてこないでしょう。
「失われた20年」は、経済の低迷とともに、それに慣れた国民の意識でもあったと思います。私は、経済の指標より、この国民の意識の方が怖いと思っています。傷をなめ合っていても、自虐的に振る舞っても、事態は好転しません。そこに必要なのは、目標と工程と努力です。

「明るい令和」にするために、何をすれば良いのか。一つわかっていることは、昭和の産業、働き方、意識の延長には、明るい社会はないことです。それを、平成の時代に、私たちは学びました。
令和では、新しく、どのような「この国のかたち」を作るのか。それが、私たちに問われています。この項続く