2月17日の朝日新聞「平成経済・リーマンの衝撃」は、「金融危機対応、日米の教訓は」でした。
しばしば、「欧米は○○だけど、日本は××だ(で出来が悪い)」といった見方がされます。「欧米がお手本、日本は見習わなければ」史観ですね。場合によっては、そんなことはありません。アメリカもヨーロッパも、試行錯誤しながら進めているので、間違いもあります。
・・・2008年9月のリーマン・ショックと1997年秋からの日本の金融危機。これまでは「対応が迅速だった米国、遅かった日本」という図式で日本側に反省を促す論調が多かった。ただ改めて日米を比較すると共通した失敗が多く、米国政府が犯した重大な判断ミスも見えてくる。日本の金融当局で対応にあたった3人の証言から、危機の教訓を探った。(編集委員・原真人)・・・
・・・一方、米国では2008年10月3日、緊急経済安定化法(金融救済法)が成立。政府が7千億ドルの公的資金で不良債権を買い取ることを決めた。リーマン・ショックから18日後のことだ。
これだけ見ると迅速な対応のようだが、すんなり事が運んだわけではない。混乱の末、にっちもさっちもいかなくなって決定したのだ。
最初の法案は9月29日に下院で否決された。これにニューヨーク株式市場が強く反応。史上最大の下げ幅を記録した。株価急落はすぐ世界の市場に波及した。
まずいと思った米議会はすぐに修正法案を上院で可決し、そして下院で改めて成立させた。
市場に追い込まれ、結果的には短期間に公的資金制度を作ったものの、最初からうまくやったわけではなかった。
そもそも米財務省と中央銀行の連邦準備制度理事会(FRB)は、危機に陥った金融機関を大手金融各社に救済させようとしたり、奉加帳方式で資金を集めようとしたりしたが、いずれも頓挫。結局リーマンは破綻し、世界金融危機にまで事態を悪化させてしまった。「日本の失敗を見ているのに教訓を生かせなかった」(五味氏)・・・
・・・「日本ではバブル崩壊から金融危機まで6年かかった。米国では07年のサブプライム・ショック(パリバ・ショック)からリーマンまで1年。米国の方がより速いスピードで危機が顕在化し、その分、対応も一気にやらないといけなくなった」と五味氏は言う。
前日銀副総裁の中曽宏氏(大和総研理事長)は、金融危機とリーマン・ショックを第一線で担当した。その目から見えたのは、日米の金融を取り巻く環境の違いだ。日本は「銀行救済」への視線が厳しく、同時期に接待汚職問題もあり大蔵省(現・財務省)や日銀が強い批判を浴びた。「破綻した銀行の経営陣が逮捕され、自殺に追い込まれたこともあった。日銀や大蔵省でも自殺者が何人も出た」
「米国はまったく逆だった。金融機関トップの多くはそのまま居残り、ウォール街を嫌悪するムードがいっそう高まった。それがトランプ大統領を生む土壌にもなった」・・・