人生の先輩、ロールモデル

1月20日の日経新聞My Storyは、魚谷雅彦・資生堂社長の「聞くこそものの上手なれ」でした。1954年生まれ、奈良県の先輩です。
「自然にあふれた奈良県五條市に生まれ・・」と書いてありますが、明日香村と同様に田舎です。あちらは、市ですが。

高校生の時に、英語力をつけるために英会話学校に通い、奈良公園で外国人に片っ端から声をかけて英語を磨いたそうです。(ここは、私と違います。反省)
大学卒業後、ライオン(歯磨)に入社。外国に行きたかったのですが、歯ブラシの国内営業に配属されます。先輩の助言で、まずは営業で結果を出すべく、聞くことに徹します。成果を上げ、職場でも認められます。
そして、アメリカ・コロンビア大学経営大学院に留学できます。そこでも悩むのですが、留学生の助言で「脱皮」します。
その後は、日本コカ・コーラなどで業績を上げ、2014年から資生堂の社長です。

先輩たちの生きざまは、勉強になります。目標を持ち、努力すること。自分に足らない点は、先輩たちに聞くことです。
詳しくは、原文をお読みください。

日本社会は変わった、年金制度が前提としていた家庭

1月19日の朝日新聞オピニオン欄「安心できる老後って?」、四方理人・関西学院大准教授の発言から。
・・・国民年金ができた1961年と現在では、人口構造が異なります。現在の年金は、現役世代が働いて支払った保険料を、そのまま高齢者の年金に回す「世代と世代の助け合い」です。支える側が減れば、保険料を上げるか、給付を下げるしかありません。
もう一つ、大きな構造変化は、家族です。当時はまだ、3世代同居が基本で、家族に養われることが高齢者の主な生計維持のあり方でした。それを前提として制度を考えたのだと思います。年金の水準も低いものでした・・・

・・・制度が前提としていた家族のあり方は、大きく変わりました。年金があるために高齢者だけでも暮らせるようになった面もあると思いますが、いまは3世代同居は少数派で、1割にすぎません。
高齢者の貧困はすでに深刻です。大きな要因は単身高齢者の増加です。1人分の基礎年金額が、生活保護制度で「最低生活費」と定められた金額を下回っており、生活保護に流入する高齢者が増え続けています。夫婦世帯を想定し、「2人分の年金でみれば、基礎的な消費支出を上回る」と説明してきた政府にとって、現在の状況は想定外だったでしょう。

より深刻なのは、「団塊ジュニア」と呼ばれる世代です。少子化対策が遅れ、下の世代に同じ規模の人口を残せませんでした。労働環境も変わり、非正規雇用が増えたため、厚生年金にも十分に加入できず、国民年金保険料の未納も多いです。団塊の世代に比べて団塊ジュニアは、低年金になる可能性が高いのです。
今のところ団塊ジュニア世代の経済状態は、極端に悲惨にはみえていません。安定した収入と持ち家を有する親と同居できているためです。親が仕事を引退しても親の年金をあてにできます。しかし、親が亡くなれば、自由に使えるお金は一気に減り貧困に陥る人がでてきます。配偶者や子どもを持たない経済的に困窮する高齢者が増えることは、社会全体にとってのリスクだと思います・・・

暖かな1月の休日

今日の東京は、昼の気温が13度。日差しがあり、風もなく、暖かな日曜でした。
昨日から頑張って、締めきりが近づいた原稿を1つ完成させました。すっきりしたところで、午後は新宿まで散歩しました。もちろん原稿は、まだ他にたまっているのですが、そんなことを言っていると、永遠に書斎から出ることができません。
正月から続いている毎晩の異業種交流会がたたり、体重も増えたので。

紀伊國屋で、たぶんすべては読めないであろう本を買い込み、時計を見たら4時半。
12月だったら暗くなる時間ですが、日が長くなりましたね。まだ明るいので、帰りも歩いて。往復10キロ。といっても、考え事をしながらゆっくりですから、運動にはなりません。

わが家の玄関横の椿も、いくつか花を咲かせています。
明日からも、頑張りましょうか。

進退伺いと辞表

マティス国防長官の辞任」の続きです。長官の書簡を見て、「進退伺い」と「辞表」の違いを考えました。
辞表は、組織を辞める時に、上司に提出します。自己都合だったり、問題を起こした際の責任をとってです。私も、政府から自治体に出向する際、あるいは戻る際に、何度も書きました。雇い主が替わるので、前の雇い主に辞表を出します。事務次官を退職する際も書きました。

それに対し、進退伺いは、多くの場合、問題を起こした際に、自らの処分を上司の判断に委ねるのです。
ところが、進退伺いを書くのに、もう一つの場合があります。それは、自分は間違ったことはしていない、しかし上司と意見が合わないので、自らの進退を上司に委ねるのです。マティス国防長官の書簡は、後者に当たると思います。もっとも、この書簡が出る前に、トランプ大統領が長官を首にすることを公表したので、厳密な「伺い」ではありません。

2018年12月26日の日経新聞オピニオン欄、秋田浩之・コメンテーターの「マティス氏退場 当たり前でなくなった同盟」に次のような文章があります。
・・・自分からは決して辞めないー米国防省省の元高官によると、マティス氏は今春以降、周辺にこんな決意を伝えていたという。「自分が辞めたら、大変なことになると分かっている。だから解任されない限り、政権内に踏みとどまる。修道僧のような覚悟を秘めていた」。元高官は明かす・・・

実は、私も一度、進退伺いを書いたことがあります。もう20年以上も前のことなので、書いても良いでしょう。私の場合は、国防長官ほど深刻な事態ではなかったのですが。その際に学んだことです。
困ったことは、見本がなかったことです。いまでは、インターネットなどにも、進退伺いの書式例が載っていますが。当時、人事課職員に尋ねたところ、「辞表はたくさん実例を保管していますが、進退伺いは残っていません」とのことでした。そこで、書いたことのある先輩を見つけて、指導してもらいました。

なぜ、進退伺いが残っていないか。それは、よほどのことがない限り、上司は進退伺いを受け取らない。あるいは、受け取って破り捨てるのです。だから、実例が残らないのです。
とんでもないことをしでかしたら、辞表を書くか、上司に直接お詫びして処分を待ちます。だから、そのような場合に、進退伺いを書くことはありません。

進退伺いを書くのは、マティス国防長官のように、「私は間違っていない」と主張するためです。すると、辞めることを覚悟で提出する場合と、辞める気はないけど提出する場合があります。マティス国防長官は前者です。
私が進退伺いを書いた際に、先輩に教えられたのは、「上司に受け取ってもらわないことが一つの方法だ」ということでした。それで、提出先でなく、その方の部下であり私の上司である中間の方に持って行きました。
「このようなものを持ってきては困る」とおっしゃいながら、受け取って引き出しにしまわれました。たぶんその後、提出先に相談に行ってくださり、私の書いた進退伺いは、破り捨ててくださったのでしょう。
私も、若かったですね。今なら、他の方法を考えるでしょう。

『時がつくる建築』

加藤耕一著『時がつくる建築 リノベーションの西洋建築史』(2017年、東京大学出版会)が、面白く勉強になりました。西洋の古代から現代までの、建物の再利用の歴史です。

古代ギリシャ、ローマでは、神殿など巨大な石造建築が造られました。その後、使われなくなった建築物の石材をはぎ取って、別の建物に使います。
キリスト教が国教となると、それまでの神殿が、改築して教会に転用されます。
ローマ帝国がつくった競技場には、中世になって、住民が住み着いて住宅になります。
ルネッサンスは、それまでの中世建築をゴシックとおとしめ、古典古代に帰ることを理想として、建築物の改修をします。
(と書いたら、19日夜のNHKブラタモリで、古代ローマの巨大浴場を教会に転用した事例などが紹介されていました。)
イギリス国教会成立の際に、修道院が捨てられます。フランス革命で、たくさんの教会や修道院が廃棄されたり、他の目的に再利用されます。モンサンミッシェル修道院が、監獄に転用されたのは有名です。
都市での人口増加で都市の再開発が行われます。既存建物の破壊を伴う、再開発です。
そして、近代になって保存の概念が出てきます。歴史的建造物を保存する動きです。世界遺産などの制度もできます。

以下、本を読みながら考えたことです。
人の暮らしの変化、科学技術の発達などによって、建物や都市は絶えず変化します。その際に、既存建物をどのように扱うか。
面的広がりを持つ都市計画や、住民の共通認識(どのような建物を理想と考えるか)があれば、秩序ある町の景観ができます。
また、建築技術と素材が限られていた時代には、自ずと同じ様式の建物が建ちました。
しかし、近代の技術と経済力の発達で、既存建物は容易に壊され、様々な様式の新しい建物が建ちます。そして、人口密度の高い都市では、敷地は狭いままかあるいはさらに細分化され、住宅が建つことになります。

工務店も建築士さんも、古い建物を壊して新しい建物をつくることが商売です。まだ、既存建物を再利用するというより、新しい建物を造ることに価値がおかれています。
石やレンガ造りでなく、日本の木造建築は再利用が難しいとの意見もあります。しかし、寺社建築や豪農の家は手入れをしながら、長年使われています。
耐用年数の短い建物を、造っては壊しています。経済的には、短期的にはDGPを押し上げるのですが、長期で見ると蓄積ができず、ムダが生じています。
かつて、矢野暢さんに『フローの文明・ストックの文明』という優れた分析がありました。
近年の住宅の性能の向上(電気、ガス、断熱、冷暖房)で、新築住宅は住みやすいです。私も、わが家で体験しています。それにしても、昔の家は寒かったです。
この技術発展が一段落して、そして日本の経済力が落ちたときに、既存建物を再利用しようという風潮が広がるのかもしれません。