年別アーカイブ:2018年

発掘された日本列島2018展

2018年6月23日   岡本全勝

今年も、「発掘された日本列島2018」展に行ってきました。
次々と、驚く発見がされています。道路工事や住宅工事などにひっかかった土地だけで、こんなにも出てくるのです。まだまだ、たくさんの「宝物」が埋まっているのでしょうね。
東日本大震災の復旧過程で、高台移転予定地からも、いろんなものが出て来ました。全国から応援に駆けつけた専門家が、発掘を急いでくれました。それらも、展示されています。

今日も、専門家の解説時間に合わせて行って、説明を聞いてきました。展示物には解説がついているのですが、専門家の説明を聞くと、へえと思うことが多いです。
榛名山の火砕流に飲まれた、甲を着けた人物は、NHKテレビでも想像した場面を放映しましたが、よくまあ残ったものです。加曽利貝塚の断面図も面白いです。アサリやハマグリのほかに、小さな貝が大量に捨てられています。出汁を取るのに使ったようですが。そんな手の込んだ料理をしていたんでしょうかね。何に味をつけていたんでしょう。謎です。

日経新聞夕刊コラム「明日香村」にも書いたように、考古学者になりたかったのです。小学生の時、「将来の夢」の作文にも、そう書きました。
どこをどう間違ったか。東京に出て、官僚になってしまいました。初志を貫徹しておれば、解説を聞く側ではなく、解説をしていたでしょう(残念)。

砂原庸介教授、政治研究の紹介

2018年6月23日   岡本全勝

最近、紹介を怠っていたので、久しぶりに、砂原庸介教授のブログを紹介します。(昔の紹介例
砂原くんは、現在カナダで研究中です。この夏には、帰ってくるのかな。

カナダからも、日本の政治行政研究の紹介をしてくれています。ブログをお読みください。
こんなにたくさん、しかもさまざまな分野での研究がされているのだと、驚きます。とても、全てを追いかけることは無理ですね。

慶應大学、公共政策論第10回目

2018年6月22日   岡本全勝

公共政策論も、第10回目。今日は、良い社会は、どのような要素でできているか。それを実現するためには、どのような方策が必要かについてお話ししました。

社会のいろいろなリスクを軽減するのが、行政・公共の役割です。反対から見ると、どのような社会が理想なのか。それを要素に分解しました。これまでに使っている「地域の財産」の表を使ってです。
すると、自然環境、公共施設(狭い意味での社会資本、インフラ)以外に、各種の制度、人間関係、(伝統)文化など、目に見えない要素も、重要なのです。これらを総称して、社会的共通資本(資産)と呼びます。

女性が夜一人で歩くことができる街、自動販売機が人気のない地域に立っていて壊されない社会。老人が電車に乗ってきたら席を譲る社会。勤勉と清潔を尊ぶ気風。これらは、暮らしていく上で安心できる重要な要素です。いくら道路ができても、電車走っていても、このような安心がないと、暮らしにくいです。
この写真に撮ることができない、金額で表せない「財産」については、日経新聞夕刊コラム「社会の財産」(3月15日)にも書きました。

これまでの、行政や公共論は、インフラ(狭義)などを議論し、視野が狭かったです。
難しいのは、これら関係資本をどのようしたら作り、維持することができるかです。道路や箱物なら、お金と技術があればできるのですが。
社会関係資本を支えている「住民の意識」。これをどのように育てるかです。
これから、文化的背景が異なる外国人(移民)をたくさん受け入れるとなると、対策が必要です。

慶應大学、地方自治論Ⅰ第10回目

2018年6月22日   岡本全勝

今日は、慶應大学で地方自治論Ⅰの第10回目の授業でした。議会について説明しました。制度とともに、運営の実際と、期待されている役割を果たしているか、その評価についてもお話ししました。
「地方自治論」は、かつては制度と仕組みを話せば良かったのですが、今は定着した仕組みが期待通りの機能を発揮しているか、それを検証する時代になりました。
ここは、実務家教員の得意とするところです。教科書には書かれていないので、新聞記事などを配って、説明しました。

日経新聞夕刊コラム第24回

2018年6月21日   岡本全勝

日経新聞夕刊コラム第24回「明日香村」が載りました。

正確には、私が生まれた昭和30年当時は、奈良県高市郡高市村大字岡でした。その後に合併して、高市郡明日香村大字岡になりました。飛鳥村と書かないのは、合併した旧村の一つが飛鳥村で、新しい村の名前に明日香村を使ったのです。いずれも、万葉集に出てくる「あすか」(万葉仮名)です。本籍は、そこに残してあります。

「岡」と「岡本」というのは、古い地名のようです。岡寺という有名な寺があり、その門前町で栄えました。西国33ヵ所の第7番札所で、私の子供の頃までは、巡礼の人を見ました。春や夏のお祭りや市も、賑やかでした。今となっては、過去形です。
岡本宮は、7世紀に、岡にあった大和朝廷の宮殿です。岡の麓で、岡本と名づけたのでしょう。わが家の祖先も、それにあやかって、名乗ったようです。折口信夫さんの親戚になるとのことです。書かれたものにも出て来ます。「・・大和の明日香村岡寺前の岡本善右衛門の八男・・」。

石舞台古墳は、当時は石室の上に、登ることができました。あの大きな石ですが、ある方向からは、子供でも簡単に登ることができるのです。今は、登ることは禁止されています。玄室には、入ることができます。壁や天井の巨大な石が、怖かったです。落ちてこないかと。

小学校高学年になるまで、学校にプールはなく、青年団の兄ちゃんたちが、飛鳥川をせき止めて天然プールを作ってくれました。今となっては、ぜいたくな話です。
新たにできたプールも、飛鳥川の水を引き込んでいました。その季節になると、上流の家の子供たちはチラシを持って帰ります。「川の水をプールに使うので、農薬を使わないでください」といった趣旨が書かれていました。
魚、カエル、蛍、トンボ、蝉、モグラ・・・たくさん捕まえて、殺してしまいました。生き物たちにひどいことをしました、すみません。学校の解剖に使ったカエルは、板蓋宮跡の井戸(当時はそう呼んでいました)で捕まえました。
家では蚊帳をつって寝ましたが、玉虫も飛んできました。蛇もムカデも来ましたが。
昭和30年代の故郷の話は、始めると尽きません。それはまたの機会にしましょう。

来週で、この連載も最終回です。