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日経新聞夕刊コラム第6回

2018年2月8日   岡本全勝

日経新聞夕刊コラム第6回「職場の非常識」が載りました。

私は大学を卒業して、そのまま公務員になりました。民間企業などの職場を知らずにです。職場の習慣のいくつかについて「変だなあ」と思いつつ、「先輩たちもやっている。これで良いのか」と、それに慣れてしまいました。
スリッパやサンダル履きについては、私も駆け出しの頃は、出勤するとサンダルに履き替えていました。しかし、お客さんに会うときはまずいと思い、その都度、靴に履き替えていました。
大臣秘書官になって、一々履き替えるのは面倒になり、サンダルをやめました。その際、蒸れないように、メッシュの黒靴を室内履きにしました。これは、重宝しました。亜熱帯気候になる日本の夏には、一日中革靴でいることは、きつかったです。
民間の方とつきあうことで、他のことにも「やはりおかしい」と思うようになりました。9時30分始まり18時15分終了という勤務時間も、いずれ変わっていくと思います。

早速、反応がありました。
・表題は「役所の非常識」ではありませんか。
・まだ、サンダル履きの人を見ます。
・国会待機で、毎晩遅くまで役所にいます・・・。

ところで、このコラム執筆の苦労について、お話ししましょう。今回は、まずテーマについてです。
テーマ選びは、難しいです。何を書いても良いのですが、それがかえって難しいです。私は、随筆家ではありません(将来そうなれば、うれしいですね。笑い)。新聞社も、私にそのような内容を求めていないでしょう。
コラムとは、「ニュース以外の評論やエッセイなどの短い文章で、客観的な事実をもとに主観的な見解を挟んだ囲み記事」のことだそうです。
私は、官僚の生態学や経験で考えたことを、書こうと思っています。官僚は、新聞では批判の対象になり、また夜遅くまで働いている例として取り上げられますが、その実体はあまり知られていません。私の体験を元に、少しでも紹介できればと考えています。

雑談力

2018年2月8日   岡本全勝

2月6日の日経新聞夕刊「Bizワザ」は、「雑談力磨き つかめ信頼 」でした。詳しくは本文を読んでいただくとして。そこに表になっていた、「雑談のコツ」が勉強になります。
・相手に関心を示すことが重要
・自分のことを話しすぎない。商談の冒頭から半分くらいまでは相手に話してもらう
・質問は「5W1H」で。相手が「はい」「いいえ」以外で答えられ、話題が広がる。
・相手と目を合わせる、相手の話にうなずくなどのボディランゲージで信頼関係を築く
・年上と話すときは「教えてください」というスタンスが基本
・年下と話すときは世代を意識した発言は避ける。背もたれにもたれないなど座り方にも注意

スマホの反対語は我慢

2018年2月7日   岡本全勝

2月4日の日経新聞文化欄、東山彰良さんの「神様だって既読スルー」から。
・・・手を触れなくてもドアが開けばいいのに。ある日、誰かがそう考えた。おかげで自動ドアができた。階段上るのタリィな、階段のほうで勝手に動いてくれればいいのに。また誰かがそう思って、エスカレーターが発明された。電気、ガス、水道、エアコン、車、飛行機。誰かの夢想が、つぎつぎに現実になっていく。恋人と愛をささやき合いたいけれど、自宅の電話ではきまりが悪いし、相手の親に取り次いでもらうのも緊張する。
さあ、携帯電話の登場だ。世の中、どんどん便利になるぞ。頭で考えただけで、世界が思いどおりになる。手紙のやりとりをしていた時代は、相手の返事が届くまで一週間でも十日でも平気で待てた。だけど、またしても誰かがもっと早く返事を欲しがった。それでeメールが開発された。おかげで文章のやりとりが格段に速く、便利になった。それでも飽き足らず、瞬時に返事を欲しがる奴が出てきた。だから、LINEが普及した・・・
・・・人生なんてままならないことだらけだ。それでも、どうにか耐えていくしかない。なのに、スマホのせいで私たちはますますこらえ性がなくなっている。私がケータイを持たないのはなにも精神鍛錬のためではないが、スマホの反対語は「我慢」なのではないかと思うのだ・・・

『世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか』3

2018年2月7日   岡本全勝

世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか』の続きです。

2 消費が、「生存欲求」から「帰属欲求」「承認欲求」へ、さらに「自己実現欲求」へと向かっている。安くて良いものから、承認欲求や自己実現欲求を刺激するような感性や美意識が重要になっている。

なお、著者の「消費が生存欲求から帰属欲求、承認欲求、自己実現欲求へと変わっていく」主張は「マズローの欲求5段階説」に依拠していますが、「マズローの欲求5段階説は実証実験では証明されず、アカデミアの世界では眉唾と考えられていることを知らないのか」という反論が出てくるであろうと想定して、それへの答えも書かれています。
・・・科学においては「真偽」の判定が重要になりますが、「科学的に検証できない」ということは「真偽がはっきりしていない」ということを意味するだけで、その命題が「偽」であることを意味しません・・・筆者は「アート」と「サイエンス」の両方、つまり思考における「論理」と「直感」の双方を用いており、であるが故に筆者が個人的に「直感的に正しい」と考えたものについては、必ずしも科学的根拠が明確ではない場合においても、それを「正しい」(と思う)とする前提で論を進めていることを、ここに断っておきます・・・(p18)

なお、この本はもっといろいろなことが書かれています。ここで紹介したのは、その一部です。ご関心ある方は、本をお読みください。

本書に限らず、教養としての西洋美術も注目されているようです。
1月22日の日経新聞夕刊「西洋美術、背景知って鑑賞 欧米では必須の教養 歴史学ぶ講座盛況 企業の研修で採用

金融政策、専門知の分裂

2018年2月6日   岡本全勝

2月4日の朝日新聞別刷りGlobeの特集は「FRBと日本銀行」でした。なかなか読み応えのある特集です。そのうち、山脇岳志・編集委員の「専門知の分裂と私たち」を紹介します。

・・・金融政策の話は難しい。経済学の博士号を持っている人たちが、全く異なる見通しや懸念を持ち、論争をしている。
日本銀行による積極緩和策を唱える「リフレ派」と、超金融緩和や財政との一体化のリスクを指摘する「反リフレ派」の20年以上の論争。知人からは、「どちらを信じれば?」との迷いをよく聞く。迷って当然だと思う。
どちらの主張が正しかったのかは、いずれ歴史が審判を下すだろう。ただ、どちらを信じるかで、貯金や投資、借金をして家を買うべきかといった私たちの「今の行動」は変わってくる・・・
「専門知」の分裂……それは、個人にとって厳しい判断を迫られる時代となって、眼前に広がっている・・・

・・・当時(2002年)の私は、「リフレ派」寄りだった。日銀の政策はあまりに消極的に思え、それまでの政策を批判し、積極策を取るべきとの考えを記した。「だが、そう考えるのは、今アメリカにいて、アメリカ人のエコノミストや当局者の意見を聞きすぎているためかもしれない」との留保はつけた。米国の主流派エコノミストの多くは、日本が取るべき金融政策については、「リフレ派」の立場だった。
私が米国の主流派への懐疑を強めたのは、その1年後、03年のことである。FRBは00年のITバブルの崩壊後、超金融緩和を続けていた。金利低下を生かし、住宅を担保に借金を増やして新車を買うといった人々の行動に、日本の80年代のバブルと共通するにおいを感じた。米国を去る直前に書いたFRBの連載の最後の記事は「危うい成長構造」という見出しにした。

当時、米国の当局者やエコノミストに「住宅バブルが起きつつある」と指摘したが、「日本とは全く状況が違うよ」と、ほとんどの人に相手にされなかった。バブルが崩壊し、世界を揺るがす金融危機に発展したのは5年後だった。
今も米国の主流派の学者・エコノミストの中には、日本経済の処方箋について「リフレ派」的な考えを持つ人は多い。
ただ、神様のようにもてはやされた当時のFRB議長、グリーンスパンの評価はバブル崩壊後に急落した。少なくとも私は、FRBや米国の著名な学者の多くが、住宅バブルや金融危機の兆候を見逃したのを目撃して、経済学の権威だからといって、正しい見方や予測ができるとは限らないと感じた。中央銀行の力も過大評価しないほうがいいと考えるようになった・・・