官僚機構改善論4―人事課長の育成

官僚機構改善論3の続きです。
バックオフィスの管理の中でも、人事管理について述べています。前回は、人事政策が明示されていなかったことを書きました。今回は、人事政策を担う担当者についてです。

各省に人事課があり人事課長がいますが、これまで人事政策のプロを組織的・制度的に育成していたとは思えません。人事課長は、人事異動をすることが、主たる業務になっていたのではないでしょうか。
政策系の部局から優秀な職員を引っ張ってきて、人事課職員とします。特に上級職にあっては、この傾向が強かったでしょう。では、彼らに、人事政策や人事行政のあり方を、きちんと教育していたか。例えば、人事課長を育てる人事課長研修はあるのでしょうか。

「門外不出の秘伝」はあるのかもしれません。しかし、一般の職員が見ることができるような、書かれたものは見ません。また、人事課長たちが書いた「書物」も見ません。これまでは、口伝による名人芸に頼っていたようです。
地方自治体にも、当てはまると思います。適当な教科書や参考書がないのです。私が知らない事例、参考になる文書があれば、教えてください。参考にします。
これは、実際に担当している人でないと書けないでしょう。学者や研究者では、難しいと思います。この場合に、教育と教科書は2種類必要です。職員向けとそれを担当する課長向けです。研修を受ける人と研修をする人と言ったらよいでしょう。

戦前の陸軍にも無かったようです。陸軍は、人の大集団です。そして、中央において人事管理を行うとともに、出先組織(師団、連隊など)で構成員の人事管理をしていました。では、師団長や連隊長は、人事管理の原則を教えてもらっていたか。どうやら、そうではなかったようです。戦術はみっちり教え込まれるのですが、組織管理や人事管理は経験に頼っていたようです。戦術は陸軍大学校と海軍大学校でたたき込まれますが、戦略は学びません。例えば、藤井非三四著『陸軍人事』(2013年、NF文庫、潮書房光人社)。アメリカ軍、自衛隊は違うようです。

不勉強な点もあるので、意見をいただければ、うれしいです。「官僚機構改善論5」へ

 

世界史の中の明治維新、そして150年。

東京財団の連載「明治150年を展望する」第5回は、「世界史と日本史のサイクル」でした。
1868年が世界史的にどのような時代であったかが、簡潔に述べられています。
当時、先進的な国民国家を実現していたのは、イギリスとフランスだけです。
日本が明治維新で近代国家への道を歩み始めたのが、1868年。ところが、西欧でも、同じような動きが進んでいたのです。ドイツが国家統一を成し遂げたのが、1871年。イタリア王国の成立が1861年、国家統一が1870年。アメリカが南北戦争で国家分裂を回避したのが、1865年でした。
日本史では、「アジアで唯一」という「日本特殊論」に自尊心をくすぐられて(それはそれで良いことなのですが)、世界で同様なことが起きていたことを忘れがちです。

連載でも指摘されているように、これら新興国が、先進大国イギリスとフランスに挑戦します。ドイツ、日本、イタリアは、戦争によってもです。
アメリカは、2度の戦争ではイギリス・フランス側につきますが、経済的に凌駕します。
(西)ドイツ、日本、イタリアは、第2次世界大戦で敗戦国になりますが、今度は経済で躍進し、アメリカを追います。
しかし、アジア各国がベトナム戦争後、特に中国が文化大革命後に、経済発展路線に転換し、追い上げてきます。そして、20世紀末から21世紀初頭にかけて(つい最近、そして今です)、これら先進国を脅かすようになりました。

この連載は、以前に紹介したことがあります。「東京財団、明治150年の分析」。その他の回も、お読みください。

平成時代、先送りされた増税

6月17日の朝日新聞連載「平成経済」は、「目を背けた不都合な真実。消費増税、官僚が語った舞台裏」でした。

・・・国家財政の面からみると、平成はその収支バランスが崩れ続けた時代だった。なぜ財政再建はできなかったのか。朝日新聞は今回、財務省(旧大蔵省)の歴代幹部が在任中の政策を振り返った「口述記録」を情報公開請求で入手した。開示された1982~2001年の25人分、1千ページ超にわたる官僚たちの証言をひもとくと少子高齢化による低成長時代に突入したという「不都合な真実」に向き合わず、消費増税が実現してもその成果を「浪費」し続けてきた政官の姿が浮かび上がってくる・・・

・・・野田政権時代、財務省官房長として消費増税案を推進した香川俊介氏。10%増税が延期された後の15年7月、失意の中で次官を退官し、わずか1カ月後に58歳の若さで急逝した。
彼の言葉は、今回公開された口述記録には出てこない。しかし記者は、香川氏が中堅時代に書いた論文を見つけた。97年、出向先の英王立国際問題研究所でまとめた、手書きの文章だ。
「『政治家は利益誘導的な判断しかできないから、官僚が政策決定しなければならない』という考え方があるが、誤りだ。政治家が将来まで考えた決定をし、なお選挙に勝てる仕組みにしなければならない」
その仕組みはどうすればできるのか――。未来に広がる黒い陰を取り除くために、私たちが答えを見いださなければならない・・・

各紙が様々な切り口で、平成時代の30年を検証しています。近過去のことは、教科書に載っていないので、このような企画は有用です。

イノベーション政策、政府の役割

6月15日の朝日新聞オピニオン欄、神里達博さんの「イノベーション政策 政府は「主導」より「対処」を」から。詳しくは、原文をお読みください。

・・・ 最近、「イノベーション」という言葉をよく耳にする。現政権においてもイノベーションは非常に重視されており、「第三の矢」とされる「成長戦略」においては、中心的な役割が与えられてきた。
イノベーションさえ起これば経済は成長プロセスに乗り、日本社会は再び活気を取り戻すはず。そんな漠然とした期待が広がっているようにも思う。しかし、それは確かなことなのだろうか。
今月は、この概念の本来の意味を確認した上で、近年の日本の「イノベーション政策」について、少し考えてみたい・・・

・・・ 一方、その過程やメカニズムについての学術的研究もなされてきた。その結果、イノベーションを管理するための知識も、ある程度は蓄積されてきた。だが、社会に強いインパクトを与えるようなイノベーションの多くは不連続的な現象であって、事前の計画や設計ができる類いのものではないことも分かってきた。
また、真に影響力の大きいイノベーションは、以下のような物語を伴うことも多い。少数のパイオニア、時には狂信的ともいえるような情熱を持った人たちが、世間の冷たい視線にもめげず努力を続ける。そしてついに成果を世に示す日が来る。人々は驚愕し、世界が変わる――この種のストーリーは当然、計画や設計にはなじまない・・・

・・・本来、科学技術政策と産業政策は別ものだが、最近は産業政策、特にイノベーション政策の手段のように科学技術政策が位置づけられることが目立っている。
実際、政府の科学技術政策の司令塔「総合科学技術会議(CSTP)」は、14年の内閣府設置法改正により、「総合科学技術・イノベーション会議(CSTI)」に名称変更された。
加えて、閣議決定で設置された「日本経済再生本部」のもとに置かれた「産業競争力会議」の、さらにその中のワーキング・グループが、CSTIに対して「宿題」を出し、CSTIが対応するという、不思議な現象も起きているという。
これを「官邸主導」と呼べば聞こえはいいが、国会の議決に基づく、法的根拠のある行政組織が、閣議決定を根拠とする組織の「手足」のごとく走り回っているとすれば、問題ではないか。

これらは一部の例に過ぎないが、日本では他にも、すでにさまざまな政策が、イノベーションの名の下に動員されていく流れにある。それが本当に日本社会を豊かにするならば、一つのやり方かもしれない。だが、シュンペーターが指摘しているように、本物のイノベーションが起これば、それはしばしば既存のシステムの破壊を伴うということも、忘れるべきではない。
かつての通商産業省は、石炭から石油へのエネルギー革命に対処すべく、石炭対策特別会計を設け、石炭産業を安定化させ、離職者の生活を守ることにも気を配った。
行政の本来の仕事は、イノベーションを加速することよりも、その結果起こるさまざまな社会経済的なゆがみに対処することではないだろうか。結局のところ、政府はイノベーションという難題に、どのように、どこまで関わるべきなのか、いま一度、落ち着いて見つめ直すべき時だろう・・・